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私とパン

私は、街にあるパン屋さんがかなり好きである。どのくらいから好きかと言うと、子どもの頃、親に何食べたいかと問われた時、普通にスーパーで売られている市販のパンと、パン屋さんで売られているパンを分けて表現する為に、トングでパンをつかむ動作から、わざわざ「つかむパン」と言って、お願いしていたくらいに好きである。また、幼稚園の卒業アルバムに載っている私の将来の夢は「パン屋さん」だ。

この後、小学校から野球を始めてしまい、夢はスポーツに舵を切ることになる。しかし、高校生の時、早めに専門学校への進路も決まり、長く続けられるアルバイトを探していると、近所のスーパーに入っているパン屋のバイト募集を見つけた。私は即申し込み、面接の際自分がどれだけパンが好きかを伝え、かつ店長の求めるシフトも上手く噛み合い、見事採用を勝ち取った。めちゃくちゃ嬉しかった。高校では友人が受験勉強をしている最中、私はパンと値段を英語用の単語帳に書き出し、ひたすらにバイトの仕事を覚えていった。

日々バイトをしている中で、基本的に惣菜パンは余っても、製造した日に廃棄しなければいけないルールがあった。廃棄したパンたちは、その後牛豚などの畜産用の餌や肥料になると聞いた。廃棄になるくらいならと、店長やバイトの先輩は、仕事終わりにパンを持ち帰っており、自分もそれに習い、かつパンが好きなのもあり、いつも袋2つ分位のまあまあな量のパンを持ち帰って帰宅していた。1回それをスーパーの人に見られて、店長に怒られたが、廃棄して豚の餌になるくらいなら、俺がここにあるパンを食べますと突っぱねたら、まあまあとなだめられた事もあった。さすがにそれから少し持ち帰る量は抑えめにしたが、いつも持ち帰っては当日の夜食や翌日の朝食にした。幸せな日々であった。

その後進学して、どうしてもバイトを辞めなくてはいけなくなった時は、とても寂しかった。勤務最終日は、店長に了承を得て、いつも持ち帰りを許されない保存がきく食パンやバゲットにまで手を伸ばし、かなり大きめな袋4つくらい、ぎゅうぎゅうにパンを入れた。そして、雨でもないのに持ち運べないからと、わざわざ親に車で迎えに来てもらった。その日いただいたお別れの立派な花束や贈り物より、パンの方が重かった。

バイトではあるものの、ある種パン屋になるという、子どもの頃の夢が叶えられた事もあり、バイトが終わってから今までパンをかなり好んで食べている。
雑誌に載るような有名店に行く事もあれば、近所にある素朴なパン屋さんにも足を運ぶ。かつ、私はかれこれ5年くらい三軒茶屋の近くに住んでおり、ここはいつも天国かと思うくらい、三軒茶屋ならび世田谷はパン屋激戦区。私はその恩恵を存分に受けながら、気が付いたらパン屋巡りを行っている。

自分がどれだけパンが好きかを伝えた所で、次回はこの前行ったパン屋さんの事でも書こうかと思う。そして、そろそろクリスマスに向けた新作が出る頃だなと、これを書きながら、またパン屋巡りしたくなってきた。良い季節になってきた。興奮してきたな。

では、また。
ここまで読んでいただきありがとうございました。


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