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今の私のヨガについて

1年半前にヨガのレッスンから離れてから、毎朝15分ほどのヨガをするようになりました。皮肉なもので、レッスンを手放してからようやく、自分にとってのヨガに向き合うようになったような気がします。

自分の体で感じるまま動いていくと、取り入れるポーズも、その流れも気付いたら決まってきました。

いつも同じ7〜8このポーズを、同じ流れでやっていく。毎日繰り返していくと、その中で本当にたくさんのことが見えてくる。

心地よい箇所、苦手意識の強い箇所、日によってその感じ方も違うし、その感覚によってその日の自分の様子が徐々に把握できてくる。落ち着きがあるか、気持ちは安定しているか、満たされているか。体を通して自分の内面を確認していくような感じです。

一般的なヨガクラスのビギナーレッスンでやるようなポーズを、ひとつひとつ体の隅々まで意識を払いながら取り組んでいくと、それらがいかに難しくて、安っぽい表現かもしれないけれどいかに奥が深いかも、それはそれはよく分かってくるんです。

これまで私、ずいぶん「形」だけのことをやってきたんだなぁ、ということが露呈してくる。

そんな自分ひとりで繰り返すヨガの時間に加えて、自分の体のメンテナンスを月一ペースで続けてきました。その時間を通して、私の生き方や外の世界への在り方が、いかにハリボテ感満載だったのかも見えてきた。

器用そうに見せかけたり、できてる風を装うハリボテ感が、私の体つきやヨガのスタイルにも存分に出ていました。少しずつセラピストの方の手を借りながら、この一年で解いてきました。

でもまだまだで、とくに胸元から肩周りに虚勢を張って生きてきた様子が残っていて、そんな様子を今は受け入れつつ、いつかこの胸や肩のハリボテ感を下ろしてまあるくなりたいなと、朝のヨガ時間や日常生活の中でも試行錯誤している最中です。


以前の私のヨガは、目指すところとして、より美しくなりましょう、とか美ボディ目指して、みたいな気持ちが強かったのです、とても。だからちょっと鍛えたり引き締めたり、みたいな要素を存分に入れてきた。

この一年半、静かにひとりヨガをしながら自分の体や呼吸や心を見ていったら、生きるために不可欠な息を吸う、吐くということも十分にできていなくて、立つ、座る、歩くという日常の動きもなかなかに未発達なのだと気付きました。

やだ私、人間として生きるの、動くのめちゃくちゃ下手くそなんやん、と。

外見の姿形をハリボテのように整えるより、中身のしなやかさを本来持っていた状態に戻したいなと思った。

40年以上気付かず鎧ばかり厚くしてきた体と心は、そんなに早々には変わりません。でも、気付いて目指す先は決まっているので、私はただただ毎朝同じ動きを繰り返し、今日の自分を確認してその自分を受け入れています。

そうして、そんな積み重ねが以前よりずっと素直に笑える自分を作ってきたように思います。

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誰かの模倣や一般的なスタイルに沿っただけのヨガレッスンでなく、ようやく自分なりのヨガのスタイルが見えてきたと感じる今、この日々の地味な繰り返しがいかに体や気持ちを解放するか、を大事なクライアントさんたちに伝えたいなと思った。この鬱々とした時期だからこそ、体や心を頑なにしてしまいがちな空気が蔓延した今だからこそ。相変わらずのお節介です、自分でもつくづく。笑 

やりたい気持ちと裏腹に悲しいかな、止まった時間の長さのぶんだけ腰が重くなって、やりたいなぁと気持ちでは思ってからなかなか動けずにいました。できれば失敗したくないし、やるからには完璧に、と。

でも伝えたいのは今の私が毎日繰り返してることであり、それを通して私自身も日々改善しようとしている、ということ。

毎度目新しいプログラムで気持ちを引くようなレッスンはしません。私が今その必要性を感じないから。毎度ほぼ同じポーズの繰り返しにより、その日そのときの自分と向かい合う大切さを伝えていけたらと思います。


今週、オンラインレッスンから再開します。久しぶりのインストラクション、わくわくとドキドキと。

一年半も勝手に放置してたにも関わらず、待ってました!と言ってくださる方々、本当にありがとうございます。感謝してもしきれません。ご期待に添えるように、ヨガの時間を通して体と心に向き合うことで得られる幸福感を伝えられるように精進していきます。

共感してくださる方々といい時間を過ごしていけたらいいなと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。

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