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泥沼から砂金を拾う法

UYは、嫌いな人(やモノ)がいると、その人からの情報をすべてシャットアウトする傾向がある。僕は、いつもこれがもったいないな、と思っている。なぜなら、人の成長というのは、他人の良いところをどれだけ多く盗んだか、が鍵だからだ。

「いいえ、私、はいろいろな良い人の良いところを、たくさん参考にしているわ」

という反論があるかもしれない。しかし、自分にとって「良い」人のことばかりを参考にしていては、限界があるだろう。

そういう人の考え方や、やり方、生き方から影響を受けることが悪いと言いたいのではない。ただ、自分にとって「良い人」というのは、往々にして、自分と似たような趣向を持った人である場合が多いので、得られるものに、どこか偏りが生まれてしまう。

僕は、どれだけ忌み嫌う相手がいたとしても、

「もしかしたら、この人からも、自分の人生において、なにか参考になる良いところがあるのではないか?」
と、考える。

どれだけ嫌な人でも、どれだけ悪い人でも、どれだけ苦手な人でも、自分にとって良いヒントやきっかけ、道具となるような思考法などがあれば、なるべく深く探るようにしている。

そして、

「ああ、これは参考になるな」

というものが見つかれば、自分のものとする。これが、盗むということだ。(決して、窃盗という意味ではない)

参考になる他人の要素というものは、案外、自分とは真逆のベクトルを持った相手からのほうが、得るものが多い。これは、読書の価値と似たような部分があるかもしれない。

なにも、嫌いな相手を好きになれ、と言っているわけではない。自分と似たような方向性の人たちからの影響も大切だが、それ以上に、正反対の相手から影響を受けることも、無駄にしてはいけない、という意味だ。

情報は多ければ多いほど良いのと同じで、自分とは違った他人の意見や考え方に多く触れることは、人生において、とても大切なことだと思う。

もちろん、ほとんどのケースでは、

「結局、相手はただの嫌な人だった」

で終わることがほとんどなのだけれど、ごくごく稀に、とんでもなく大きなヒントを与えてくれる人もいる。そういうわずかなチャンスを、見逃すべきではない。

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昔、ロックマンというアクションゲームがあった。

そのゲームは、複数用意されたステージに一つずつ挑み、最深部で待ち受けるボスキャラクタを倒すと、主人公のロックマンが、倒したボスの必殺技を使えるようになるという、当時では、かなりセンセーショナルなものだった。

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あのボスには、このボスの必殺技が、より大きなダメージを与えることができる、といった設定も用意されていた。プレイヤは、どのステージから攻略していけば、効率よくボスを倒してゲームを進められるかを考える。これがとても楽しかった。

そして、すべてのボスを倒して、すべての必殺技を覚えたロックマンは、最終ステージで、あらゆる技を駆使しながらラスボス討伐に挑む、というような内容だったと思う。

人生もこれと同じだ。

敵として現れた相手のほうが、実は、自分にとって有意義なものを与えてくれることが、往々にしてある。

そういう相手を倒して乗り越えながらも、良いところはマネして、受け入れて、自分なりの武器として、前に進んで行く。

そうすることで、若い頃はできなかった斬新な考え方ができるようになったりして、もっとたくさんのことをできるようになる。新しい技が増えれば増えるほど、どんどん攻略の幅も広がって、楽しさも増す。

まさに人生そのものではないか。

だから、僕は、いつもUYに、

「ロックマンみたいに生きてみれば?」

と提案している。

しかし、彼女は、今の所、それを受け入れるつもりはないようだ。

泥沼から砂金を拾うような話ではあるけれど、しかし、短い人生を有意義に生きるためには、とても大切な方法だと、僕は思っている。

嫌いな相手からこそ、たくさん学んで、たくさん盗もう。