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何もなかったから歌手になれた!?杏沙子が実践した鳥取でのクリエイティブ術〜後編〜



こんにちは!
『鳥取を上機嫌に』をテーマに鳥取の最新情報をお届けするローカルメディア「鳥取マガジン」です!


鳥取から大きく羽ばたいた先輩たちと、鳥取出身だからこそできる夢の叶え方を見つける鳥取マガジンの新規連載企画。

その名も「Be:come

第一回は東京を拠点に活躍を続けるシンガーソングライターの杏沙子さんにお話を伺っております!

⬇️杏沙子さんの創作活動の基盤を作ったとも言える学生時代のエピソードはこちら



杏沙子さんプロフィール


群を抜いたポップセンスと、チャーミングな歌声を併せ持つ、鳥取県出身の女性アーティスト、杏沙子(あさこ)。
作詞家・松本隆に影響を受けた表現力豊かな詞世界を、超絶キャッチーなメロディーに乗せた楽曲が高く評価される。


杏沙子Official HP




後編


上京後、間もなく味わった挫折。乗り越えるために取った行動とは…?


ーー大学入学をきっかけに上京して一番最初にやったことはなんだったんですか

すぐにオーディション受けよう!と思いつつ、まずアカペラサークルに入ったんですよ。
当時ハモネプが全盛期の時代で、ハモネプで活躍してから歌手として有名になった方がいたので「そういう方法もあるのか」と思ったんです。


ーー実際入ってみてどうでした

ハモネプの決勝に出たアカペラサークルだって知って入ったんですけど、これがまあ、歌が上手い人が多いんですよ(笑)。
全国から歌に自信がある人が集まってるわけだから、みんながリードボーカルの取り合いみたいな(笑)。
そこで私はオーディションなんか受けちゃいけないんじゃないかって失望しちゃったんですよね。


ーーなんと...

そこから一年くらいは自分の歌が周りに埋もれないための研究をしていました。
自分の強みはなんなんだろうって。
歌への評価がシビアな環境で、どうやったら自分がサークルの中でトップに立てるんだろうっていうのを考えてたらあっという間に2年が経っていました。


アカペラに励んでいた頃の杏沙子さん


ーースキルを磨くよりも自分の武器とはなんなんだっていう自分と向き合っていた時間だったんですね

技術はもちろんですけど、そこはみんな当たり前に上手いんですよ。
そんな人たちがグループを組んで何十組もライブに出る中で、打ち上げではどこがよかったかって話になる。
みんなによかったな〜って言ってもらえるグループのボーカルになるためには、「やっぱり杏沙子に歌ってほしいよな」って思ってもらわないとダメだなって考えて、自分の強みを研究してました。


ーー自分の持ち味と向き合っていた時間に、鳥取の頃の経験が生きたなっていう感覚はあったんですか

誰かの真似じゃいけない、っていうのが自分の持ち味を考える中で大事だったんですよね。
そう考えると、私は鳥取で生活してた時に、何もない日常の中で気づけば何十組ものアーティストを研究してて、そのアーティストたちの真似になっていないか自分の中で確認できたので、自分らしさに気づきやすかったのかもしれないです。
こういう歌い方をしたらこのアーティストっぽくなるなっていう感覚があったんですよね。

今思うとアカペラサークルは歌の教室に入ったような環境で、自分の持ち味の研究なしでオーディションを受けていても何にもならなかったかもしれないですね。


ーーでも上手い人ばかりの中に入ってしまったら、たとえどれだけ志は高くても志半ばで気持ちが折れてしまう人も多いと思うんですよ。それでも歌と向き合い続けられた理由ってどういうところにあるんですかね

やっぱり中一の時に見た聖恵ちゃん(いきものがかりボーカル)は大きくって。
ライブの帰り道に何度も誓ったから、もう無理だって思うまでは挑戦し続けようって決めてたんですよ。
大学当時、アカペラのグループが出るライブに出演させてもらっていた時に、ライブハウスのおじさんに「将来何になりたいの」って聞かれたんです。
そこで初めて家族や親しい友達じゃない人に「歌手になりたいんです」って言ったら、「一人でライブ出なよ」って言われたのがきっかけで、大学2年からソロでライブに出るようになったんですね。


飛躍の原点ともなった初めてのソロライブ



杏沙子さんがかかった「呪い」。その「呪い」をかけたのは中学時代の自分だった…!?


ーー色んな環境に自ら一歩踏み出している杏沙子さんが自分のことを信じられるようになったきっかけはあったんですか

鳥取の頃から、人前に出る機会をいただいた時に、色んな嬉しい言葉をかけてもらったりとか成功した記憶が自分の自信になっていたんだろうな。
あの経験がなかったら一人でライブに出ようっていうことはなかったんじゃないかなって思います。


ーーでは逆にあまり上手くいかない時はどう自分を奮い立たせてきたんですか

自分は特別だって信じたい自分が、どこか深いところに残っているんですよね。
その根っこの部分を作ってくれたのは鳥取での経験で...
最初のライブの時にかけてくれた言葉や、みんなの眼差しとか。
一つ一つが今も支えになっています。

辞めようと思っても辞められないから、私はあれを「呪い」だと思っているんですよね(笑)。
ただその「呪い」のお陰で今は楽しくご飯を食べさせてもらっているし、この漢字は「のろい」と書いて「まじない」とも読める。
私は鳥取で「呪い」をかけられたからこそ今があります。


ーー中一の時に憧れたいきものがかりさんのような存在に、今の自分はなれているなって感覚はありますか

ちょっと予想外な部分があって...


ーーというと...

昔の自分には曲を書きたいっていう気持ちはあんまりなかったんですよ。
歌いたい気持ちが強くて。
だから今の自分が歌詞も曲も作って『シンガーソングライター』という形で世の中に出ていくとは到底思っていなかったんです。
最初は曲なんか書けると思っていなかったけど、自分の曲があった方が覚えてもらいやすいかもなと思って、思いきってライブをする度に一曲ずつ作っていったんです。
気づくと自分のことをシンガーソングライターと名乗るようになっていた
んですよね。


ーー中学校の頃の作詞ノートもある種の「呪い」だったのかもしれませんね(笑)

本当だ(笑)。
中学校の頃に歌詞を書いてたってことは書きたい気持ちがあったのかもな。
中学の時に取っていた行動が今につながってるのかもしれないですね。


杏沙子さんの今をつくった学生時代(右側手前が杏沙子さん)



鳥取を好きになったのは東京に出てから!?杏沙子さんが考える自分をもっと深く知るメソッド


ーーでも、オリジナルソングを人の前で披露する時って怖さもあると思うんですよね...

むしろ解放されている感覚がして嬉しかったです!
元々私は人の顔色を伺って気を遣ってしまう性格なんですけど、歌の中では自由で、誰にも気を遣わずに自分が思っていることをみんなが聞いてくれるっていうのがすごく嬉しかったんです。

それに言葉にメロディがついているからこそ言えることは多くあって。
普段言葉にして言ったら恥ずかしい自分の信念も歌にしたら共感してくれる方もいたり...
そういったことは嬉しくて楽しくてしょうがなかったですね。


ーー自分の本心を曝け出すって狭いコミュニティであればあるほど難しいなって思うんですよね。特に鳥取県に住んでいると自分の感情を表にする機会はなかなかないなって

そうですよね、控え目な県民性ではありますもんね。


ーー自分を出すことって習慣がないと難しいなとも思います

外に出て自分以外の人間のことを知ると自分のことが逆に分かるっていうサイクルがあると思うんですよね。
違うコミュニティの人の言葉がふと自分に刺さって気付かされるみたいな。


ーー経験あります!

今考えると鳥取にいた頃って自分の言いたいことがなかったんですよ。
周りとの違いを知って自分が確立されてきたから言いたいことが出てきた気がしていて
そう考えると外に出たからこそ、自分を出せるようになっていったんだなって思います。


ーー鳥取から離れてみたからこそ自分が変わっていったんですね

私、鳥取の外に出てからの方が鳥取好きになったんですよね。
それは外を知ったからだと思うんです。
私の表現のエネルギーは他を知ることで得られていますね


まさにエネルギーを感じるライブ中の一枚


ーーでも、杏沙子さんの中で、鳥取が大切な場所だなって気づいたのはどんな時だったんですか

東京にいる時に、ふと鳥取に帰りたいと思った時ですかね。
あんなに鳥取の外に出たかったはずなのに、帰りたいなって思うタイミングが度々くるんです。


ーー不思議な引力が発動しているんだ...

鳥取に帰ってこないと補えない何かがあるんだなっていうのを東京に出て確信しちゃったんですよ。
この感覚があるからもう鳥取に帰らないっていうのは無理なんだなって思いましたね。



杏沙子さんが高校生だった頃の自分に伝えたい言葉とは…?


ーー今だからこそ思う鳥取の良さはどんなところに感じますか

「何もないところ」です!
わたしの楽曲『とっとりのうた』の中でも書いてて、ほぼ悪口じゃん!ってよく言われるんですけど...(笑)。
ただ、何もないがある場所ってないんですよ。
何もないから考えられることがあるし、深められることがあるし。

もし東京に小さい時から住んでいたら、季節の変わり目の匂いとかあまり感じられてないかもなって思うんですよ。
例えば、あ!雪が降る匂いがする...!みたいな。
それをキャッチする力って鳥取にいたからかもって思うことがよくあるんですよね。
色んなものをキャッチできる感性は鳥取で育んだものなので、自分の本来の感情を呼び覚ましに帰るっていうのも一つの目的かもしれないです。


湖山池がロケ地となった「とっとりのうた」MVは⬆️をタップ!


ーーただ、今の高校生って何もない時間をSNSやゲームで埋められる状況にもあるなって思うんですよね。何もなくないどころか足りきっちゃってるみたいな。もし、この2023年の高校生に杏沙子さんが戻ったとしたら何をしていると思いますか

難しいな〜。

もしかしたら部活に熱中していたのもよかったかもしれないですね。
それに通学時間は変わらないからネットに没頭する以外の時間は価値があるかもしれない…!


ーー確かに通学する時っていわば行動を制限された状況だと思います。だから、杏沙子さんの話を聞いて、制限された状況をいかに有意義に使えるかが自分の人生を切り開く上で重要なのかもしれませんね

制限がある方が自分の遊びができるというか個性が出ると思うんですよ。
鳥取って制限があるのがいいとこだから。


ーー何もないって制限ですもんね

制限ですよね、色んなものが足りてないし。
足りてないから工夫して自分で生み出したり、深められたりして、人が手に入れられないものが手に入れられると思うんですよ。
限られた時間、お金の中で突き詰めていたら、知らない間にとんでもない武器を手に入れられてるかもしれないし。


ーー最後に鳥取に住んでいる方々に対して一言お願いします!

私も含めそうなんですけど、自分の人生を自分のものだと思えていない人が多い気がしていて。
自分の人生は自分だけのものだよっていうのを特に高校生にお伝えしたいです。

家族のことや、環境がこうだからっていう仕方がないことももちろんあるけど、自分の人生という船に最後まで乗っているのは自分だけだから。
環境や周りの人たちのこととかを一度全部取っ払って、シンプルにあなたが一番したいこと、望んでいることを考えてみてほしいです。
これ当時の自分に一番言いたいことでもありますね(笑)。


杏沙子さんからのメッセージ!


ーー編集後記ーー

杏沙子さんの言葉の一つ一つに感じたのは、鳥取や周囲の人々への愛でした。

高二の文化祭に確信した自分が将来なるべき姿を追い求め上京。
その約10年後今度は自分が夢を与える立場となり母校に戻り、文化祭で再び歌うという漫画のような物語。
これが現実となったのは純粋に自分の好きを追い求め続けた結果なのかもしれません。

あなたにかかっているのはどんな「呪い」なのでしょうか。
時にはその「呪い」を信じ、まっすぐ突き進むべきなのかもなと思わせてもらえた時間でした。


エンドウレイ



杏沙子さん最新情報


▼最新LIVE情報▼
杏沙子ワンマンライブ「SUMMER IS OVER.」
10/14(土) 19:00 START!
会場チケットSOLD OUT!

配信チケットはこちら🎟(アーカイブは10/22(日)23:59まで)
https://asako.zaiko.io/item/359477

▼最新リリース情報▼
8/16(水) 配信シングル「夏をキライになっても」リリース!
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デザイン:KENPI
インタビュー・編集:エンドウレイ
写真提供:杏沙子さん
運営:鳥取マガジン


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