風のように17年続けた仕事を辞めた話

なぜ私が清里に夫と子供を置いて行けたのか
という理由を考えてまとめてみています。

最初は、まず夫とのパートナーシップのことを書きました。

次に今日は、仕事編でまとめてみたいと思います。

大学卒業してから17年間、
高校の英語教員としてずっとフルタイムで働いてきました。

岐阜県立高校から、横浜の私学、そして神奈川県立高校という変動はライフステージに伴い多少ありましたが、基本は安定の職。しかも、その変動も自分で起こした変化なので、公務員になりたくて私学から県立に動いたりした。
試験を受け直すって結構なエネルギー。
手続きも健康診断とかめちゃくちゃ大変だった。
ましてや、私は受かった途端に、2人目の妊娠が発覚して、
1年採用保留してもらうっていう事態まで乗り越えてる。

なのに、私は辞めた。
安定の職業をなぜ手放したんだろう。

現在も収入の面では超不安定。
でも、公務員を辞めてみて、交通違反で警察に捕まったり
(毎回養蜂家です!って言って??って顔される!!重要な職業って認識されてない!!っていうか、自営とか会社員とか応えるところってわかっていて、わざと、ですよ)、
書類を記入するときに
公務員って書かないでいいってなんか気が楽だなって思ってます。
まぁこれは自意識過剰?
自分が公務員とか教員って社会的に見られているって思い込んでるからかもしれないなぁとは思いますが。

とにかく、養蜂家になるって決めた。
片手間の週末養蜂とか趣味で始めようと思ったけど、できず、
フルコミットメントしないと無理だって思って始めるから
仕事は辞めるの一択でした。

まずは、夫に話す。
その時の勤務校で5年目が終わると転勤が決まっていました。
新しい学校に行って、今まで育児中ということで70%のエネルギーで仕事をしていたところを120%に上げて仕事をしたいと思えないって言いました。
現状維持だったらまだ続けていたかもしれません。
同僚もみんな一緒にいて楽しい人たちだったし、
家からも近いし。

でも、仕事ってそういうことじゃない。
何か自分がやりたい!
こうしたい!
っていう情熱が英語教育に対してなくなっていたんです。
もうやり切ったっていうと、
そんなもんで?っていう気持ちもあるけど
たくさんの先輩方に育ててもらったのに、志なかば、っていう気持ちもあるけど、
でも、とにかく現状維持じゃない!

って訴えたら、
ふーん、じゃあやってみれば、って言ってくれた。

それで、次の日は校長室に話に行った。
次の年の希望とか退職願とかを出す時期は完全に逃している12月の末。
奇しくも、風の時代が到来すると言われていたタイミングで。

校長先生には養蜂って言えずに、
まぁ子供のことがあって100%の気持ちで仕事が続けられない
ということを言ったと思う(朧げ)

覚えているのは、夫ともう少し話し合ってみたら?みたいなことをやんわり言われたので、
いえ、夫とはもうすでに話し合ってここにいますので、気持ちは変わりません
ときっぱり言った。
ありがたいことに、いつでも気が変わったら、なんとかするから、話に来てね、と言ってくださった。
まぁ気が変わるなんてこと、ここまで来てないけどね、と思いながら、
でも、引き留めてくれないんだ、ってちょっぴりがっかり(笑)

そんなこんなで、
両親、友人、誰に話しても止めてもらえず
あなたはそんなに教員として素晴らしいのに、辞めたらもったいないって言われた記憶がございません。
(先週末今頃、そんなことを言ったら、え?全力で私が止めたじゃん!と言われましたが。人は聞きたいことしか聞かないっていう好例www)

まぁすでに、辞めるって決めていたので
誰も止められなかったんだろうなぁ、っていうのが後から感じていること。
渦中にいるときは、それすら考えることなく
真っ直ぐに前しか見ていませんでした。

その後、あんな不安定な生活が待っているとも知らず・・・

そういうわけで、風に乗って仕事を辞めたお話でした。


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