すずめの戸締りを鑑賞した時の所感

2022年、映画館で上映が始まる少し前に新海監督のインタビュー記事を読んだ。

僭越ながら、僕も表現者の端くれとして「伝えたいことがちゃんと伝わらないもどかしさ」みたいなものを感じるときがある。僕は『君の名は』の時点で「これは震災オマージュと被災した人への応援歌だ」と理解したのだけど、多くの人はそう捉えてはいなかったという監督。次作『天気の子』でもう少し震災フレイバーを加味したが、やはりダメだったので『すずめの戸締り』で直接的に表現した、という告白に胸がチクっとした。

実際、作品は東日本大震災に関係がある主人公たちが被災地にいくロードムービーになっている。内容は割愛するが、ちょっと辛辣ながら第一印象は「半分くらい精神世界の描写だった」し、そこは興行的な目的や(本当に失礼ながら)スタジオの映像表現アピールに感じた。作品の筋としては普通にロードムービーをやっているだけで成立していそうなのに、ファンタジー要素が入ることで”誤魔化されている”ような気分になった。

実際に東日本大震災を成人として目の当たりにした世代として、本当はもっと描いて欲しかったいざこざや大人の事情をスルーされたような気がしたからだと思う。

だけど冒頭の監督インタビューでも述べられているように、あの大津波を知らない世代も増えてきた中でどうやって語り継いでいくかを熟慮した結果が、そういったエンタメファンタジーであるのだから、やろうとしている事は正しく、清い創作であったとも思う。

たとえば、水戸黄門は現代社会を江戸時代の仮面を被せて描いているので、あの演劇で感じ取る正義や悪は、我々が生きている世界のそれの簡易版であり、だからこそすんなり視聴者に理解される。
エンタメの”理解されやすさ”は、現実社会の複雑さをキャンセルして本質を描くのには適している。
『すずめの戸締り』も、エンタメファンタジーを取り入れることで若い世代に東日本大震災の教訓を伝えようとした。あそこにどれだけの悲劇があったかを残そうとしたのだろう。

ただやはり、「伝えたいことが伝わらない」から直接それを描いた、という表現が僕自身は飲み込みがたかった。これは小説家と俳人の違いのようなものだろう。僕はどちらかというと俳人や詩人タイプなんだろう。表現の美意識として、湾曲表現により作者も予期せぬところにもタッチするような作品が好きなんだと思う。そう改めて自覚することができた。率直に言って『君の名は』は素晴らしかった。

公開当時はまだコロナ禍でもあり、上映後みんな静かに回廊を後にしていたのを思い出す。上映前はこれが震災の話だとはアピールされていたものの、ここまで直接的な表現だとは思わなかったもんね。



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