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そうだ。「倫理」や「哲学」の話をしよう③~「善」と「悪」

何が「善」で、何が「悪」なのか。
そんなこと考えたことがない。

信じる宗教があれば、
宗教の教えに沿った行動、思考が「善」なのかもしれない。
だが、私はそういった宗教をもたない。

では、何をもって自分は、事の良し悪しを判断してきたのか。
 法律? ← いや、いちいち法律を調べて善悪を判断してない。
 人の為? ← いや、人にとっていいか悪いかなんて分からない。
 誰かの利益? ← いや、そんな事いちいち考えてない。

やはり、自分の良く分からない基準で、瞬時に善悪を判断しているようだ。

近代哲学の祖と言われるカントも、「人としてそうあるべきだから」という自分の判断で善悪を判断する基礎を提唱したそうだ。
つまり、その判断は自分である。

何か、腑に落ちる。
だから、「悪者にも悪者の正義がある」と言った言葉をたまに聞く。
人によって何が正義かなんて違って当然。
だから、戦争すら正義を御旗に、今もなお新たに発生している。
(今日2023年10月8日もイスラエルとパレスチナの戦争が始まった)


では、悪の存在は仕方ないのか。
そうかもしれないが、そう思いたくない。

ただ、
人を物理的、精神的に傷つけるのは、悪だと思う。
他人の所有物を奪うことも悪だと思う。
他人に損害を与えることも悪だと思う。
では、自分の定義での悪人は、存在してはならないのか?
それに対する自分の考えはまとまっていない。


「ここは今から倫理です。」♯善と悪 より

兄のお願いで、ヤクの受け渡しをしていた高校の生徒は、
ヤクと金をもって逃げた兄のせいで、悪い奴らに捕まりそうになる。
そこをヤクの売人であるバーの店主に助けられる。
その店主は、高柳先生の知り合いで、高柳先生と口論。

店主は、生徒に対して、こう言う。
「バカだから何が善か悪かも知らずに、その場その場で流されて何も考えずにいたから、今、ここにいる」
「その場のノリに流されて”悪”に行くのは人間として当然だ」

高柳先生に対して、こう言う。
「アンタみたいな”善”には(生徒は)何も教えない」
「教えたトコで・・・何も解決しない」


そう、
数年前から増えている特殊詐欺の末端の人や、闇バイトも、
みんな、
何が悪いかを知らないため、流されて、犯罪を犯して居ると思う。
そして、途中で自分が悪いことをしていることと認識しても、
”善”であるだろう、親や知り合いに相談できない。
相談しても、
すでに犯罪集団に巻き込まれている自分を守ることはできない。
自首を勧められるだけ。
だから、捕まるまで続けるのだろう。
捕まって、刑期を終えても、
根本の問題が解決していないから、また犯罪に巻き込まれる。

捕まる前に救えるのは、
悪人を制御できる更なる悪人だけかもしれないが、
(だから、”必要悪”というものが存在するのか)
それもまた、根本の問題が解決していないから、また犯罪に巻き込まれる。
そう、
警察や司法では救えないことが沢山あると思う。



その物語の最後に、高柳先生は、
その生徒に対して、激しく怒って、こう言う。
「ちゃんと考えなさい。自分にとって何が”善”か”悪”かくらい!!」

そう、それが根本の問題。


高校で、こういう授業をやるべきだと思う。
一回限りの授業じゃなく、何度も。何度も。
クラスで議論して、自分の考えを書かせて。
また、議論して。
正解は、人それぞれ。
考えることが大事、とてもそう思う。

今の若者は、
人気のユーチューバーが言っていることが正しいと思っている。
ユーチューバーは悪くない。
悪いのは、自分で考えない若者。
自分で考えることを奨励しない大人。
大人だって、
「政治家の〇〇さんが言っていることは正しいに決まっている」
「今までこうしてきたから」
「みんなそうしているから」
などと理由をつけて、考えることを放棄している。

小学校や中学校でもいい。
大人向けの授業も必要だ。

そうすれば、
いじめが少しは減るだろう。
救われる子供がいるだろう。
闇バイトも減るだろう。


今はあるか分からないが、「道徳」の授業をそれに当てればいい。
国のいう「道徳」より、何倍も大切な授業になるだろう。
だって、命を、人生を救える内容だから。

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