空港で

あるとき「これは大阪行きのゲートですか?」と英国人のお爺さんにたずねられた。「ええそうですよ」と答える。「ああよかった。空港の職員に間違ったゲートを教えられて空港の端まで行ってやっと戻ってきたんですよ。」
「それはひどい」とそれから立ち話を少しした。「ドイツには何年住んでいるの?」という質問に私が「もう10年も暮らしているのにドイツ語は難しくてなかなか上手くならない」と話すと「私なんて日本に20年以上住んでいるけど日本語が話せずお恥ずかしい」という。
「何がきかっけで日本に来られたのですか?」
と何気なく聞くと思いもかけず、
「ロマンスって言葉しってますか?」と聞いた。
そのときゲートが開き搭乗の時間となり話も途中で私たちは動き始めた。
いつも空港で出会った人とはいくら待合や立ち話で盛り上がっても時間が来たら「では」と言って別れる、二度と会うことも話すこともない。その時もそうであろうと思っていた。

しかし、エコノミーの狭い席に着いてしばらくすると先ほどのお爺さんがやってきた。席は偶然にも隣だったのだ。
ガサゴソと彼はカバンの中を探り一枚の新聞記事のコピーのようなものを取り出し、それからカバンを上のロッカーにしまった。
私にその新聞記事のコピーを手渡すと
「これが私のロマンスです。」と言った。
そこには軍服を着た彼のごく若い時の写真と壮年期の写真の二枚が載っていた。
そして彼は自分のロマンスを語り出した。

第二次世界大戦後、連合国軍の占領期にまだ若かった彼は広島に駐留した。
私は息を飲んだ。原爆投下直後の広島である。そこで何を見たのだろう。しかし表情一つ変えず話し続けた。
そこで一人の日本人女性と出会った。
彼女と毎日一緒に過ごした。
それ以上のことを言わなかった。どんな毎日を過ごしたのか私は想像するしかない。日本語のわからない彼をあちこち案内してくれたのかもしれない。色々と世話を焼いてくれたのかもしれない。二人で色々なものを見たのかもしれない。
とにかく赴任期間は終わり英国に帰国することとなった時には離れがたい存在となっていた。滞在の延期を申し出たが聞き入れられず一人英国に戻ることとなる。
もしかしたら、その時は「しばらくの間だけ。すぐにまた会える」そう思って別れたのかもしれない。
英国に戻ってからも二人は手紙のやり取りを続けた。

しかし文通にも終わりが来る。
彼女の手紙に「結婚することになった」と書かれていたのだ。お見合いをし相手が決まった。「お幸せに」そう書いた後、二度と手紙を受け取ることもなければ書くこともなかった。

しかしどうしても彼女を忘れられなかった彼は勤めていた大学の日本人留学生の集まるところを訪れては、もしかして知り合いがいるかもと彼女の名前を出して聞いた。そこにずっと通い続けたが一人も知り合いに会うことはなかったという。

何十年もたった。
彼は大学を定年退職した。
そんなある日、突然家の電話が鳴った。
「はい。」
「あの。。。もしかして」
彼の名前を出して聞く声には聞き覚えがあった。すぐに誰だかわかった。戦後広島で出会ったあの日本人の彼女だったのだ。

彼女の夫は少し前に他界した。そして彼女は若い頃に出会った初恋の相手である英国人の彼のことを思い出した。会いたい。しかし住んでいる都市と名前しか知らない。一体どうやって探そうかと考えた結果、東京の、当時の電電公社へ向かったという。
そこでは当時は都市名と名前で電話番号を教えてくれるサービスがあったそうだ。今では考えられないが。彼女はそこで複数の電話番号を手に入れ、順番にかけていったのだ。
何人目かが彼だった。

電話で話し、二人はすぐあの頃の気持ちに戻った。
そして彼女が英国にやってきた。
20歳ごろに出会った二人は60代になっていた。でも「ロマンス」はすぐに戻ってきたという。
そして彼は日本に移住することにしたのだ。それが今から20年以上前。
彼女が英国に行くのではなく彼が日本に行くことになった理由は話さなかった。彼女には子供や孫が日本にいたのかもしれない。それはわからない。
今彼は西日本の地方都市に住み妻となった彼女と家で英会話教室を開いているそうだ。今や二人とも80代。
配偶者ビザは3年で切れるので3年ごとに英国に帰国しているという。

飛行機を降りるとき、彼は食事の時に注文したワインを二本、封も開けずに前の座席のポケットに入れていたのをカバンに入れた。カバンを開いたときに黄色いうさぎや卵の形をしたイースターのチョコをちらりと私に見せて「これは日本にはないでしょ。お土産なんだ」と言った。
それから隣にある私のスーツケースを下ろしてくれた。
イースターからはだいぶ経った5月のことだった。

これをオンにするかオフのままにしておくかだいぶ悩みました。おこがましいのではないかと。でも決めました。 書くことが何より好きでそれを仕事にしたいからその第一歩として。よろしくお願いします。