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器用に手を抜くのではなく、全力でこなすこと。

私が通っていた高校は単位制の高校でした。
さらに理数科という特殊なクラスだったので、3年間同じ担任。
個性豊かで、素敵な先生だったので今でも担任の先生のことは忘れません。

高校生で単位制と言われても、正直ピンときてませんでした。

そんなとき、先生が、単位を選ぶ時間のときに言った言葉。
今でも鮮明に覚えています。


「100点はいらないから、こなしなさい。」

受け取り方によってはマイナスに感じる言葉かもしれませんが、その時の私にとっては衝撃的なアドバイスでした。

「頑張りなさい。」なら言われてきましたが、
「こなしなさい。」なんて言われたことがない。
100点が正解だと思っていた(当時の)真面目だった自分には衝撃の一言です。

「高校生がやるべきことは、学生生活を楽しむこと。
そのためには、部活動に励む必要もあれば、
授業もしっかり学ばなければならない。

正直ひとつの体じゃ足らないよ。
だから、しっかりこなしなさい。
やりたいことのためなら、学業はこなすだけで大丈夫。
やりたいことが学業にないなら単位は、こなすように取りなさい。
ここからは器用にこなすステージですよ。」

そのときはそこまでピンと来てませんでしたが、肩の力が抜けたのは覚えています。
自分で人生を選択することを実感した瞬間だったかもしれません。


社会人も全力でこなす

今、やりたいことがある人は、たどり着くまでに嫌でもやらなきゃいけないことがあるかれません。
自分の仕事には関係ないことだったり、目標に向かってないことだったり。
それでも、何かしらの理由で経由しなければいけないことが多々あります。

私も、昔やりたくない仕事ランキング上位だった仕事が、今仕事になっていたりするのでなんとも言えません。必要性がありそうなりました。

「こなす」という言葉は受け取り方によってはそう悪くはないと考えてます。
たくさんのやるべきこと、やりたいことがあるからこそ、
全力ですべてをこなす。
人生全体でみたら全力です。

力の配分は全力を出さないとわかりません。
出来る一つのことだけに打ち込んでるうちには見えないかもしれません。

私は、全部に全力で打ち込んだときに、自分の限界値が見えて、こなす能力を理解し始めました。


限界値は更新される

限界値は常に更新されます。
人は成長します。

だからこそ、「こなす」という言葉は「手を抜く」のではなく、
「今持てる力の最大限の配分値」
として頭に認識させてます。

最後に

ただし、ときには器用に手を抜いて休息も必要です。
人によりますが、仕事が全てじゃないです。
そのへんは本当に難しい。バランスの取れる人を目指します。

私はもともと手を抜くことが得意な人でした。
大学の部活でもそう。
ほどよく、手を抜いて「こなして」いたのだと思います。

その証拠に、後輩達から卒業するときにもらった色紙にこんなことが書いてありました。

仲の良い後輩の女の子より。
『先輩のどこか仕事してそうでサボってるところが好きでした。』
…手を抜いてたら、見る人から見たらわかるものです。

さあ、今日も未熟ながら、仕事を全力でこなします。

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