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#18:寂しいオーストラリア人に罵倒された話

私がtinderにハマった理由のひとつとして、普段の自分の生活では考えられない人に出会えたことがある。東京に住んでいるというオーストラリア人モデルのMは「サクラじゃないのか」と思うほど完璧な風貌をしていた。プロフィール写真は雑誌の表紙のようだったし、たぶん彼が掲載されている雑誌を見たことがある。なぜこの男がtinderなんてしてるのだろう?と思ったことで興味を持った。こんな風貌ならちょっとクラブにでも行けばいくらでも女がついてくるに違いない。写真で見る限り、彼は確かに素敵だった。ブルーグレーの目に柔らかな鳶色の髪とヒゲ。何日かの間、メッセージをやりとりしたあと、神戸でデートしよう、という提案があった。

とはいえ、本当にやってくるのだろうか。あんな男が私に会いにやってくるはずがない。と、半信半疑の状態で空港の待合場所で待っていると、ニット帽にダウンにチノパンにサングラスというなんということもないカジュアルなファッションなのに、圧倒的なオーラを持つMが私の方へ近づいてきた。会うなり人前でハグされ、サングラスをはずしながらキスされた。身長差でいうと 30 cm 近くはある。私はいたって平均的な身長だが、この差は背が高い男が好きというワケでもなくても素敵だなと思った。

以前から知っていたかのように、一緒にタクシーに乗り、チェックインを済ませ、北野のピッツェリアに食事に出かけた。陽気で気取らない雰囲気でリラックスして楽しめたのには正直驚いた。これだけのルックスで何が問題なんだろうか。何か問題があるに決まっている。とんでもない変態とか。

部屋に戻って一緒にお風呂に入って、セックスをして、コーヒーを飲む。セックスが終わってからもやさしい。一体何が問題なんだ。と引き続き観察を続ける。セックスに関しても負の要素はひとつもない。

夜も更けたころ、Mがぽつり、ぽつりと耳元で話しだした。
「俺には家族がいない」
「どういうこと?」
「捨て子なんだ。養護施設で育てられてきたけど、数年前に、本物の母親に会いたくてどうにか探し当ててシドニーへ行ったら私には息子はいない、って言われたよ」
「…」
かける言葉がなかった。家族という存在、当たり前のように持っていた自分の意識がひっくり返る設定の話だ。彼に必要なのはちょっとした遊び相手ではなくて、普通に知り合って、彼のことを大好きで、苦労も厭わず、いつも一緒にいたい、と思ってくれる女性だろう。寝ている間も何度も私を腕で探すような仕草をするのが辛くて、私はほとんど眠れなかった。

翌日ランチに出かけた店は個室だった。まだ私とセックスしたい、と言うMの気持ちが可愛く思えた私は、少しの間だけ入れることを拒否しなかった。店員に勘付かれたのですぐ退散したけれども。
逃げるように支払いを済ませたあと、子供のように笑って私のことを抱きすくめるMを見ているのもまた胸が苦しかった。この人のために人生を変える覚悟ができないなら、これ以上会わない方がお互いのためだろう。ルックスがこれほど完璧にかっこよくてタイプでも、人生観や背負ってきた苦労が違いすぎる。
そんな時に思い出したのはやはり日本人で映画館を持ちたい、と語っていたTの存在だった。彼も苦労してきた人だが、他人に自分の人生を背負ってもらおうという気がないのが、Mとの最大の違いだろう。圧迫感が桁違いだった。

Mを空港まで送り届けたあとほんの数時間後には「もう君がいないことが寂しい。また会いたい」というメッセージが来た。

なんて返せばいいのだろう。しばらく考えてから「あなたには家族が必要で、私にはできないことだ」と返した。

すると、こう返してきた。

「Heartless cunt」
ちょっとまて。
(Heartless cunt=心ない女性器)これは、私が今まで生きてきた中でも最大級の罵倒じゃないか。
黙って「そうよね。わかるわ、あなたの言うとおりよ」と言うタイプではないので、逆上して
「は?そんなこと言うやつのこと好きになるわけないだろ。むしろ、腹立つし、大嫌い。早い段階で本性が見えてよかったわ」
と返した。

数日後「あの時は酔っていた。申し訳ない」と何度も謝罪のメールがきたけれど、人生最大級の罵倒ワードを超絶イケメンにいただいたショックはさすがに大きかったし、危険なメンヘラのニオイがしたのでLINEは即ブロックした。フェイスブックやインスタは実はまだ繋がっていて、今でも時々「いいね」とか誕生日のメッセージが来るたびに冷たい感覚が背中を走る。

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