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MOON-RADIATION vol.6

ムーンラジエーション。これは造語です。
月明かりが、
放射状に全世界に広がり、
しかしラジオのようにひっそりと、
聴く者だけに届くようにと思い、
この名前を付けました。

日本の夏。

今年は、これまでにない夏だった。

線香花火は、僕にとって面白いものだ。

あれほどまで大きく、高い花火を打ち上げたり、

さまざまなグラデーション、
不思議な動きの花火が夏には催しされる。

線香花火は、それとは全くの逆である。

火も弱いし、パチパチと火花を弾かせる。

そして先端に少し火の玉ができ、
火の玉はその自重に耐えきれず、ポトン。

あっという間に真っ暗だ。

食後のデザートはとびきり甘いものがくる。
それだからこそ、今日という日を締め括れる。

線香花火は、それに比べて人によっては
物足りない。

僕は、線香花火は落ちた後を楽しめる
花火の最高位に位置付けられると思う。

打ち上げ花火のデザートになるのは、
これまでよりもさらに大きな、高い花火だ。

夜空を突き破るほどの打ち上げ花火が、
その日の締めくくりに等しい。

あの月まで届くとは言わないが、
月から地球を見ている者は、
花火が小さく映っていてほしい。

さて、一般家庭で、
大きな打ち上げ花火を実現することは
不可能に近い。

線香花火なら、どの家庭でも楽しめる。

普通、その火花の大きさから
順当に考えれば、
花火の序盤にやるはずの線香花火。

どうして最後なのか。

それは、
線香花火の火玉が落ちた後が、
大切だからではないか。

それまで月明かり程度の明るさしかないところに、
太陽のように明るい花火で遊んでいる。

最後に、線香花火をする。

火玉が落ちる。

当たりは真っ暗だが、
そこにはそれまでの花火の明るさや、
線香花火の火玉が目に焼き付いている。

火花が、残像として残る。

真夏の太陽を直接見た時の、あの感じ。

線香花火は、遂に火花を想像で作り出し、
僕らを楽しませる。

目が慣れてきたところで、
我に帰ったように夏の終わりを告げる。

あーあ。

終わっちゃったね。

あの言葉は、花火が終わったのではなく、
夏が終わったのだと感じて吐露したのだと思う。

だから、線香花火は、決して最初に行わない。

線香花火が、最後にやった方がいいと、
そう身体が覚えている。

線香花火が、この夏を締め括れると
そう覚えているから、最後なのだ。

それを、余韻を楽しむというのでは。

線香花火には、儚さがある。

少し雑にいうと、

簡単に儚さを味わえる道具。

簡単に火玉を作れ、
簡単にそれを散らせることができる。

桜をあっという間に咲かせ、
すぐに嵐がやってくる感じ。

今しかないこの時間を、手軽に作れる。

しかし、何度もはできない。

手軽さに比べて、
線香花火は作るのに手間がかかる。

儚さは、その時が再現しづらいから、いい。

線香花火は、手軽に儚さを作れる。

手軽なのに、儚いというパラドックス。

たった一本の線香花火が作り出す、
たった数秒の儚さ。

盛者必衰。

今年の夏は9月23日まで。

新学期に入るみんなの夏は、

もうちょっと。

ダラダラとすみませんでした。

MOON-RADIATIONでした。

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