前に進むということ
前に進むっていうのは、どういうことなんだろうと考える。
歩行とかそういう具現的な意味ではなくて、人生を考えた際の比喩的な意味での方だ。
「いつまでもクヨクヨしていてはいけない。前に進むんだ」とか、そういうやつ。
人生を前に進める。
はて、どうすればいい?
明確な結果として何かが与えられるのなら分かりやすい。
例えば試合に勝つとか、賞を取るとか。
「次はもっと高みを」だとか「もっと大きな舞台に」だとか、考えやすい。
でも一般人が日常を生きていて、そんなものは中々得られない。
だったらどうやって、前へ進むのか。
結論、前へなんか進めない。
日常を歩くということはウォーキングマシンみたいなもので、足を動かしていても地面の方がスルスルと後ろに移動していくだけであり、本人は進んでるつもりでも実は同じ位置で運動しているに過ぎない。
そんな虚しさを感じながら生きるというのが人生で、ようするにあまり意味は無い。
意味が無いことが良くないことと感じるのは所詮人間の作り出した価値観であって、動物はきっとそんなこと考えない。
ただ、生きてる。
でも、僕たちはやっぱり人間だ。
だから、意味を感じられない日々には虚しさを抱くし、耐えられなくなる。
それが人情ってもんである。
だからこそ、到来する虚しさを避けるために出来ることは、前へ進もうとすること以外にない。
大事なのは前進する前段階の、『前へ進もうと気持ちを切り替える意思』だ。
全ては気持ちひとつから始まる。
・・・などということはない。
意識すらすることなく始まっていて、それが多大な結果に至るなんてことは世界のあちこちで起こっている。
気持ちを変えたら何かが変わるというのは稀で、多くの場合は尻窄みに終わる。
人間はそんなに簡単に変われる生き物じゃない。
でも、それでいい。
大事なのは結果ではなく、やっぱり切り替えの方なんだと思う。
前へ進もうとする選択。
そのために一番簡単に出来ることは、今持っている何かを捨てることだ。
何もそれは手で触れるものでなくても良い。
LINEのアイコンを頻繁に変える人がいる。
ものすごく無責任なイメージだと、そういう人は精神的に揺らぎやすい人に見える。
アイコンを変えたところで、何かが変わるわけがない。
たかが小指の先ほどのサイズの画像に過ぎないのだから。
でも、そういうのが案外大事なのだ。
この広大な地球上で、一人の人間の、小指の先っちょサイズの画像が、たった一枚だけ変わった。
それで何かが変わるか。
カオス理論をもってしても難しいかもしれない。
でも、それで良くて、そういうのが一人の人間をその瞬間救う。
たかがアイコンひとつ変えるだけで、その人は気分一新、それまでの嫌なことをふっきって前を向こうという気分になれるのだから、価値がある。
アイコンに限らず、手で触れられるもの、触れられないもの、何かを捨てることは、人の気持ちを切り替えるきっかけに確かになる。
気持ちの弱い人間の思考に見えるかもしれないが、『気持ちが弱い』なんて概念に根拠なんて存在しない。
そんなものは幻想でくだらない。
前に進める。
何かを捨てて、変えて、切り替えて。
その瞬間、刹那であろうとも、その人の気持ちはたぶん晴れやか。
人生は虚しいけど、その虚しい人生の中でスッとした気持ちになれる瞬間トップ5くらいには入るだろう。
勿論、自己満足ではあるけれど。
でも、「自己満足は褒められたものでないもの」、というのもおかしくて、自分が満足できるならそれに越したことはないじゃないかと思う。
自己満足は人生を楽しむための重要な秘訣のひとつだ。
だから僕は、人生がしんどくなってきた際は、何でもいいから何かしら捨てている。
そして、一瞬でも前を向く気になって、自分を休める。
そうやって生き抜く。
その時点で、前に進んでいる。
立派な自己満足だ。
前に進むということは、自己満足の集大成かもしれない。
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