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ドイツの失業保険①

私は2019年から2020年にかけて1年間、ドイツで失業保険を受給した。
3年勤め、3年育児休暇(うち1年は有給)を取ったのちに退職→失業保険受給という流れだ。

ちなみに、普通に会社を自己都合で退職した場合、通常、3か月の失業保険給付制限があって、すぐには失業保険を受け取れない。

しかし、これには例外がある。
例えば、私は育児休暇中に、夫と子どもと一緒に暮らすために、職場のある街を離れてベルリンに引っ越した(私は夫と遠距離恋愛をしていた)。
そしてベルリンで育児休暇の3年を過ごす中で、夫の仕事が安定したり、家族で暮らすための家が見つかったり、子どもが保育園や日本語補習校に通い始めるなど生活環境が整ったため、このままベルリンに住むことにして、やむなく退職した。

この、家族が一緒に生活するためのやむを得ない退職というのは、給付制限期間の対象外となる。
そのため、私は申請後、すぐに失業保険を得ることができた。家族が一緒にいる、ということは保証されるべき人間の権利なのだ。

さて、受給が決まったのはいいが、そこから連邦雇用エージェンシー通いがはじまる。いわゆるハローワークだ。これが思ったよりもあたりが強かった・・・。

★初回呼び出し
初回は状況確認というかんじで、事務的に終了。
なんだか不愛想な担当者で大丈夫かしら、とは思ったが、正直そのくらいのほうがありがたかった。

★2回目呼び出し
しばらくして、次の呼び出しの通知が来た。が、担当者の名前が違う。ふむ、新しい担当者か、職安にも何か考えがあるのだろうか、と思い、ノープランで臨んだ。
ところが、新しい担当者は、私を見るなり開口一番、「で、質問は?」。こっちが「???」となってしまった。えーと、呼び出されたから来たんですけど・・・。

そこから、また前回のやり取りの繰り返し。引継ぎもちゃんとできていないのかとうんざりしたが、前回と違ったのは、その担当者がとにかく執拗に結論を要求してきたことだ。なにかノルマでもあるんですか?と聞きたくなるくらい、しつこい。
だけど、何がしたいんだ?と聞かれて、スパっと答えられるものをもっているのなら、そもそもここに来てはいない。
かといって、その担当者に自分のうん十年の歴史を語って、一緒に考えてもらおうとも思っていない。

そんなかんじで、煮え切らないというか、これどうしたらいいの?という状況の中で困っていたら、その担当者はものすごいプレッシャーで、コーチングを受けろ、と言ってきた。
そして、PCで2つ候補を見つけると、こっちとこっち、どっちがいい、と詰め寄ってきた。これを拒否したら支給を止めるぞ、といわんばかりであった。
仕方なく、受ける覚悟を決め、家から近くて期間の短いコースのほうを指さした。すると、彼は私のスケジュールなど完全に無視で、8日間のコーチングの予定を立ててしまった。確かに、失業中で求職中だから、予定などない、という前提なのだろう。けれど、この日程でいいですね、といった確認もなかったことに、人として扱われていないような感じがした。

★コーチング
私の8日間のコーチングの内訳は以下の通り。
①導入・全体説明:1日
②新たな視野を持つ:4日
③仕事の探し方:2日
④履歴書の書き方:1日 

①では、まずはその場に居合わせた20名くらいに対して全体説明があり、その後、個人面談。そこで、うけるコースの確認をする。
コースは全部で10種類あり、誰がどれをうけるかはそれぞれのようだった。実際、私がうけた4つのコースすべて最後まで一緒だったのは一人だけだった。

②は、グループワークだった。私が参加した回の参加者は4名。かなりこじんまりとしたチームでやりやすかった。
全員が自分の学歴や職歴、失業に至るまでの個人的な経緯をプレゼンする。それをうけてほかの参加者がこんな仕事はどうだ、あんな可能性はどうだ、と意見を出しあうのだ。
正直、赤の他人の前で、自分の個人的な話をするのは嫌な気がした。それに、何十年もの歴史を5分でプレゼンしたところで、私のことを全く知らない他人が、目からうろこが落ちるようなアイディアをだしてくれるとは思えなかった。
実際に、出てきたアイディアは、私が一度は考えたことのあるものでしかなかった。それでも、久しぶりにドイツ語で、学校の授業のようなものを受けて楽しめた部分もあった。

ほかの参加者の話は興味深かった。30代半ばのクロアチア出身の女性は、7-8年前におばを頼って単身でベルリンにやってきて、語学コースで知り合った友だちからの紹介でホテルの清掃の仕事をしていたとか。
最初は時給での支払いという話だったのに、実際にはこなした部屋数での支払いで、一部屋4ユーロ以下、しかも2人でチームでやるから、一部屋当たりの一人の取り分は2ユーロ以下だったと。これが3つ星のホテルだったというから驚きだ。
体調を崩して仕事をやめ、失業したということだった。数年前に子どもと夫を呼び寄せたが、夫は彼女よりもドイツ語ができないため、様々な役所からの手紙やら事務処理などをすべて彼女がしなければならず、負担が大きい。それでも、子どもはドイツになじんているし、将来のことを考えても、しばらくはドイツにとどまるつもりらしい。

もう一人の40代のドイツ人男性は、スーパーの入り口前に立つセキュリティーの仕事をしたり、肉体労働をしてきたが、それらは常に自分の人脈で見つけてきたという。
肉体労働をする中で何度も足を骨折するなどのけがをしたが、病院嫌い、今のソーシャルメディアが嫌い、事務処理の一切が嫌い、ということで、だれにも頼らず自力で治してきたという。が、6度目のけがでいよいよ足腰が使い物にならなくなり、重い荷物を運んだり、立ち仕事は無理、となって、公的機関・連邦雇用エージェンシーを頼る気になったとか。
その彼に対して、機械工などの職業訓練を受けたら、というアイディアが出た。すると彼は、そんなことはいままで思いもしなかった、それだったら自分もできるかもしれない、と嬉しそうに語っていた。

この時、私はドイツの教育格差を感じた。普通に考えたら、そのくらいのアイディアは自分でも思いつきそうなものだ。しかし、彼は自分の狭い世界だけにいて、ほかの可能性に気づくことがなかった。なるほど、ドイツにはまだまだそういう層がいる、だから、こういったコーチングが意味があるのか、と思った。

③は連邦雇用エージェンシーのサイトの使い方がメインだった。これは大したことなく、淡々と受けた。受講者は私を含めて2名だけだった。

④は、履歴書と添え状の書き方の指導で、10人ほどいた受講者はほぼ全員、事前に応募する先を見つけていて、そこにあてた手紙を作成していた。
私は応募先が見つかってなかったから、仕方がなく、時間がくるまで2時間ほど、応募先をネットで探し続けた。
これは本当に不毛な時間だった。応募先なんて一日で見つかるものではない。主要ないくつかのサイトをチェックして、自分に該当するものがなければ、その日はもう無理。これ自体は10分もあれば終わる。
履歴書をきれいに書き整える作業もしたが、これはドイツ人の夫に見てもらってもできたことだろうし、果たして私がこのコースに参加する意味があったのかどうか、、、。

いずれにしても8日間のコースを終え、ほっとした。これで連邦雇用エージェンシーからのプレッシャーも少しは和らぐかしら、と期待した。


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