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24卒大学院生の自己紹介!!(初投稿)


 初めまして、BERRYと申します。

 出身は新潟で、祖父母は新潟県の佐渡島という島で農家をしています。そのため、子供の頃は年3回のペースで佐渡島に行き、農家の手伝いをしていました。

 現在は、新潟とは別の地方国立大学の大学院に通う修士1年生です。専攻は機械工学です。

 noteを始めたらまずは自己紹介を書くのが良いと聞いたので、やってみます!
 とりあえず身長174cm、体重64kgです(唐突)!!

今までの人生の概要

 自己紹介って何書けば良いのかわからないのですが、小さいころから好奇心旺盛で色々やってきたため、習い事を中心に人生の概要を書いていきます。


 まず、3歳~11歳(小5)まで水泳をやっていました。幼稚園児の頃はとにかく水泳が嫌いで毎回泣いていたらしいです(笑)。あまり記憶がないのですが、息継ぎなしで25mは泳げていた気がします(水泳経験者は、もっと泳げると思います(笑))。


 また、5歳~8歳(小2)まではピアノも習っていました!幼稚園の先生がピアノを弾いているのがかっこよくて、親に頼んでピアノ教室に通い始めたらしいです(僕は全く覚えていません笑)。
 ただピアノをやめた理由は覚えていて、クラスの女子に
「なんで男なのにピアノを習っているの?変じゃない?」
と言われ、「確かにそーだな」と思って辞めました(笑)。当時小学二年生だった僕の周りでピアノを弾けるのは女の人しかおらず、男の僕がピアノをやっているのが珍しかったんだと思います。
  今思えば、男でピアノ弾けるのはむしろ珍しくてかっこいいから、そんな理由で辞めなきゃよかったと少し後悔してます…(笑)

 8歳(小2)~10歳(小4)までそろばん教室に通っていました。やめた理由は、電卓のほうが計算が速いと思って辞めました(笑)。あまりよろしくないですが、そろばん教室に電卓を持って行って、こっそり電卓でそろばん用の問題集を解いていました…(笑)。

 10歳(小4)~12歳(小6)までは少年野球もやっていました。足が速かったので、最初のポジションはセンターでした。そして小5の終わりには二番セカンドでした。ショートとの連携が難しかった記憶があります。(野球知らない人からすると興味ないと思うので割愛します(笑))。

 詳しくは書きませんが、小4の一年間だけ将棋教室にも通っていました。将棋自体は幼稚園年長の時に父に教わっていました。級だけでも持っていたほうが良いといわれて、日本将棋連盟の棋力1級は持っています。

 中学はバスケ部、高校は地域のバスケサークルに入っていました。中学の時は隣町に引っ越したため、入学当初は友達がいない状態でしたが、バスケ部の人達に優しくしてもらい、充実した中学生活を過ごしました。ちなみにポジションですが、よく言えばシックスマン(6人目の男)、悪く、いや普通に言えばベンチでした(笑)。試合に出たときはSGやPGを任せてもらっていました。
 いやー、スポーツではバスケが一番楽しかったですねー。ちなみに僕はアンチバドミントンです(笑)。中学の体育でバドミントンをやったのですが、バドミントン部の人に1on1で遊ばれて以来恨んでます(笑)。

 大学では地域のバスケサークルと、大学で宇宙ロボットを作るサークルに入っていました。宇宙兄弟を読んでいる人は知っていると思いますが、Cansat(缶サット)ってやつを作ってました。主人公のムッタが砂漠でやるあれです!
 知らない方が普通だと思うので簡単に説明させて頂きます。缶サットとは、名前の通り空き缶サイズのロボットで、大会にもよりますが上空50mから機体を落下させ、安全に着陸、その後目的地までのタイムを競う競技です。ただし、機体の落下からゴールまでは、すべて自律制御(遠隔操作は用いらずに、すべて機体自身が考えて行動する方法)で行います。下↓に先輩の代のものですが、缶サットの画像を載せておきます!
 因みに僕らの代はコロナで大会が軒並み中止になってしまいました…泣



 また、大学では塾講師を4年間やっていました。自分でいうのもあれですが、生徒から人気で、アンケートみたいなのでも表彰されました(〃▽〃)。

 以上が僕の人生の概要です!
なんか色々やってましたね笑


手術歴

 書くことあるかなーと思ったとき、そういえば僕、小さい頃は体が弱かったことを思いだしました。なので手術歴を話します(唐突)。少しは笑える内容だと思うのでぜひ読んでください(笑)。
 ちなみに、僕は小学2年生のときから難病指定されている病気に、現在進行形でかかっています(ちなみにじゃない(笑))。今回はその内容に触れません(笑)。

不明熱

 正しい病名かはわかりませんが、生まれつき病弱で、しょっちゅう入退院を繰り返していました。どうやら生まれつき喉の奥(扁桃腺)に菌が溜まりやすい性質だったのが原因でした。そして6歳(幼稚園年長)のときに扁桃腺を切るという手術を行いました。

 記憶がおぼろげですが、はっきりと覚えていることは、手術室に入り呼吸器?を口に着けられたことです。そして音楽が流れ始め、お医者さんに、
「この音楽は不思議な音楽で、聴いていると眠くなるんだよ」
と言われました。僕は「本当か?」と疑った瞬間眠りに落ち、起きたらすでに手術が終わっていました(笑)。

 当時の僕はこれに驚いていましたが、大人となった今では原因はわかります。麻酔です。呼吸器か点滴から麻酔を流されました。なので、聞いただけで眠くなる音楽などありません。大人になるってこういうことかって思います(笑)。

虫垂炎(盲腸)

 二回目の手術は虫垂炎、いわゆる盲腸です。まじでお腹が痛かったです。中学2年の年末にお腹が痛くなり、病院で検査して虫垂炎と診断された後、そのまま1週間ほど入院しました。

 そのため、年越しは誰もいないなか、一人寂しく病院のベッドの上で紅白を見て年を越しました。僕の人生は割と変なところでついていないです(笑)。なぜわざわざ年末にかかったのか、、、(笑)。

 ちなみに冬休み明けの登校日には余裕で完治してました(笑)。

 ですが、再発する危険性があるので、中学2年~3年に上がる春休み中に手術をしました。たしか病室のTVで、当時AKBだった前田敦子がAKB卒業を発表したニュースを見たのを覚えています。そしてまたもや登校日には元気に学校に通えていました…(笑)。


今やっていること

 次は今(2022年10月現在)やっていることを述べます。最初のほうにも書きましたが、地方国立大学の大学院に通っている修士一年生です。専攻は機械工学です。

 僕の小さい頃の夢は研究者でした。大学院に入ったことで、その夢は半分くらい叶えられたと思います。

 大学院では思う存分研究をしたかったので、学部まで続けていた塾講師のバイトは辞めました(生徒との別れが辛かったです…泣)。現在は研究室の教授のお手伝いと、株取引(スイング方式でやっているので、収入が不安定です)でなんとか生活費を稼いでいます。

 因みに現在絶賛就活中(24卒)です。正確には2023年3月から就活が始まるのですが、就活が早期化しているため、夏インターンから色々な企業のイベントに参加しています。

 僕自身、研究が大好きなので、このまま博士進学もありかなと考えています。しかし、金銭面や将来の不安から多分博士課程には進まないと思います(笑)。

 研究ではPythonやC++を使用しているため、そのメモとしてもnoteを使おうとしています。ちなみにPythonは学部1年時からサークルの活動で使っているため、Python歴は4年半です。

 まとめるとnoteにはPythonのことや研究のこと、日記や雑談みたいなことを書こうと思っています。興味ある方がいれば応援していたたげれば幸いです。


将来の夢

 将来の夢は、「いのち」に関わる技術開発で世界に貢献することです。
そのために、まずは医療機器メーカーや自動車メーカー、もしくはそれらの企業を下支えしている企業の就職を目指しています。

 僕がこのように思う理由は、高校3年生の12月に3年間同じだったクラスメートを事故で亡くしたからです。また、上で述べたように僕自身小さい頃は病弱で入院複数回、手術2回を経験しているのでこのような夢を掲げました。事故のことを詳しく書くのは今回はやめておきます。

 将来の夢について詳しくは下の記事に書いてあるので、是非読んで頂けたら嬉しいです!


 人を助けるにはそれなりの力(能力、資金力、(人を動かす意味での)政治力など)がないとできません。なので、研究をはじめとする他のことにも全力で取り組んでいます!

 僕の夢を応援したいなと思ったり、成長を見届けたい見守りたいなと思ってくださる方は是非フォローやスキを押していただければ幸いです!
  実際にフォローやスキを押されると頑張ろうと思えます!!

 最後となりますが、僕の夢を応援してくださると嬉しいです!!!!


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