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幸せな自分でいなければいけないという苦しみと自己否定。

1度書いたら堰を切ったように、もう書いたって晒したって良いじゃんって気になってしまった。
私が某宗○に入っていた頃の自分の話です。

※私は誰がどんなものを信じても良いと思ってます

あくまでも私個人の体験ベースなので誰が悪いとかではないことを前提に。

幼い頃から特定の思想とか宗教とか、何でも良いのだけれど、ガッチガチに固められているとそれが自分の常識になり、違和感があっても抜けるのが難しくなる。
幸せになるはずのそれが、いつからか自分を苦しめるものだと知った時、私はまだ未成年だった。
絶望と隣合わせのような気持ちで、自分をだましながら生きるしかなかった。
その時親に言えば良かったんじゃないの?
って今の私は思うけれど、そんなに簡単なものじゃない事は痛いくらいにわかっている。

ようやく違和感から抜けられたのは10年ほど前。
実に長かった。
それまでもそれなりに、それっぽく幸せな事もあったし、どうにもならないこともあったし、病気もしたし、色んな経験をした。
その間私が欠かさず思い続けていたのは、私は幸せな自分しか見せてはいけないということだった。

実際は幸せじゃないって感じることばかりで、こんな境遇に生まれなかったらもっと私は自由だった。
他の友達と違う境遇に悩み続けて、ある意味誰に対しても嘘をつきながら生きているようだった。
だからずっと自分を環境を責めてきた。
表面上は明るくて恵まれていて、と思われていたのも知っていたし、私もそう努めようと頑張った。
ある意味その宗○の看板を背負っているのだから、、、と。
私が誠実じゃなかったら、その宗○に泥を塗る事になる。
私が幸せじゃなかったら、その宗○に理解を示してくれなくなる。

私は一体何をしたくてここにいるのだろう。
やりたくないのに居続けたのは、過去に少し反発した時に、母に叱責されたから。
母を悲しませたくないと思って、違和感の中に居続けた。
それを私は選択した。

幸せになるはずの教えを持っているのに、両親は常に喧嘩していて、父の暴力、母の愚痴。
この違和感。
やりたくないのに、やるしかないかと諦める違和感は続いた。
私がそこにいることを選択し続けた。

過去にそれに入っていると知られた時に離れて行った友達が何人もいた。
そのたびに悲しくて、辛くて、言わなきゃ良かったって思って。
だからいつからか、知られないように知られないように、言わないように言わないようにとびくびくしながら人と付き合うようになった。
何十年も周りに嘘をついて生きているような感覚が、辛かった。

実は苦しめているのはこの宗○ではなくて、その中にいた時に持ち続けた【偽りの幸せで居続けるしかない】という苦しみだった。
それは自分を否定し続ける事だった。
というのも、誰かを幸せにする(宗○への勧誘)ことで自分の過去の云々がどうこうで、自分も幸せになるからというような教えだったから。
実際私は自分が心の底からそれをやっていて幸せ!と感じたことは1度もなかったので、誰かを誘う事なんてできなかった。
年齢があがるにつれて、周りから誰かいないのかと言われたり、「そんな人いない」って言った時に母に怒られたりしてますます違和感を覚えていく。

もちろん、自分がやっているそれを自信をもって勧める人もたくさんいるわけで、それはその人が本当に心の底から違和感なく思っているがゆえ。
この宗○が正しいとか正しくないとか、善悪とかではないんだなと今はよくわかる。
私がずっと違和感しか持てなかったのは、私はそこで生きる人間じゃなかったから。
シンプルに、それだけだとわかった時、もう体を壊してまでどうにか留まるのはやめようと思った。

罰が当たるよ

って酷い事も言われたけれど、想定内だったし、それはその人がそう思っているだけであって、後戻りはしないと決めて私は静かにそこを去った。
何度も来る連絡も、スルーした。
私の人生のためだと思って。


何かのために幸せ風で居なきゃいけないところから抜けたのに、実はこれがその後何年も続く。
そう、そこから抜けても自分を詰まらせているのが一体何なのかに気付けなかった。
すぐに終わると思っていたことが、全く終わらなかった。
楽になると思っていたのに、全然楽にならなかった。
暗いトンネルから全く抜けられなかった。
ずっとずっと自分を責め続けていた。

抜けられなかった私に起きたのは、もう人生終わらせたいって思うような出来事だった。
それで私はやっと暗いトンネルから抜けられる術を知った。


正直、こういう話ってかわいそうな話にしか聞こえないから文字にするのもためらった。
話がぐちゃっとしている部分があるけれど、そのまま文字にした。
整理しながら自分のいくつかの部分を受け入れることができた気がする。

そんな気持ちを持っていたことも、それでいい。
自分を責めてしまっていた過去も、それでいい。
もう人生を自分のために生きていい。
何でもいい、私はこれでOK。

と。

無理に幸せだと思わなくていい。
けれどいつだって幸せだし、誰かのために幸せにならなくていい。
自分のためだけでいい。
それだけでいい。

LIVE your LIFE


もしこのぐちゃっとした記事を読んでくれた方がいらっしゃったなら、心の底からありがとうを伝えたいです。
貴重な時間、ありがとうございました。

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