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警察官の心の支援はなぜ必要か④

四 米国の警察官の心の支援に学ぶ

心理学の起源は古代ギリシャへと遡るが、学問としての心理学は140年程度の歴史しか持たず比較的新しいものとされている。
メンタルヘルスケアの先進国である米国で最初に『臨床心理学(clinical psychology)』を提唱したのは、ペンシルベニア大学の心理学者『L・ウィトマー(Lightner Witmer)』で、1896年に開設した『心理クリニック(psychological clinic)』で行った講演であるといわれている。米国ではこの年(1896年)を臨床心理学誕生の年としている。
 19世紀末から20世紀初頭の米国は鉱工業生産で世界第一位に輝いたが、著しい経済成長の裏で、労働者の増加、移民労働者の増加、失業、貧困、都市のスラム化などの社会問題に悩まされていた。これらの問題解決のためにカウンセリングを取り入れたのが『パースンズ(Parsons,F)』である。職業支援に端を発したカウンセリングは、第二次世界大戦後に軍人の神経症(鬱病やPTSDなど)の緩和や社会復帰を支援するために活躍したカウンセラーによって広がりをみせたとされている。

 戦後78年を経た今、米国では警察官の自死が問題になっているようだ。しかしながら、米国では警察官とその家族(パートナー)のメンタルヘルスをサポートするホットラインが設けられ、機密性は法律によって守られるという仕組みが機能している。つまり警察官が業務内容と密接に関わる相談を行う権利が守られているということだ。
本稿で既に紹介しているが、橋本裕藏先生(警察官の心の支援はなぜ必要か②参照)は米国の「警察官の心の支援の仕組み」について調査報告の冒頭で以下のように記している。

米国では、必ずしも、「銃社会だから」というわけではなく、広く様々な理由、様々な観点から警察官の心の支援に向けられる関心が高い。
 これに呼応して、様々な機関によるきめ細かな支援が提供されている。また、その研究やプログラムは実に様々な側面からきめ細かく行なわれている。
 筆者が現地で調査した限りでも、専従の職員が配置されているところが多い。理由は様々だが、あるものは警察業務の効率化と正確さ及び丁寧さを考慮に入れたり(シカゴ市警察第九区の例)、あるものは現場警察官が起こしたストレスが原因と見られる市民に対する過剰な法執行を理由に提起された損害賠償請求訴訟を教訓にしたもの(ニューヨーク市警察の例)など様々である。
 州により、また法域により対応は様々だが、「おそらく全米の警察で警察官の心の支援に関する仕組みを備えていない警察は無いだろう。」と述べるのは前掲イリノイ州ヴィレッジ オヴ レイクインザヒルズ(Village of Lake in the Hills)のレイクインザヒルズ警察署の署長ジェイムズ・A・ウェルズ氏(James A. Wales, Director of police&public Safety)である。
 同様の趣旨のことは、後掲Cop2Copのプログラムディレクターである、シェリー・キャステラーノ氏やシカゴ市警の副署長で、その職務の中に署員の心の支援を含む、ロバート・R・ジョンソン、その他筆者が前掲調査で聴き取りを行なったすべての警察関係者並びにその他の関係者が述べていることである。

橋本裕藏. 〈海外調査報告〉警察官の心の支援―基礎研究と米国調査旅行中間報告―. 警察政策. 2012年, 第14巻, p.107-108

「ほぼ全米の警察で、警察官の心の支援に関する仕組みを備えている」というあたりから米国のメンタルヘルスに対する取り組み意識の高さを窺い知ることができる。警察官の自死が大きく取り上げられる程、警察官のメンタルヘルスに対する関心も高いということだろうか。
橋本先生はこの後、全米で初めて法執行官の心の健康支援にフォーカスしたプログラムを立ち上げた『Cop2Cop』という組織を紹介している。

Cop2Copは全米で初めて自殺予防と法執行官の心の健康支援に焦点を合わせたプログラムを立ち上げた法律上の根拠(P.L.1998,c. 149)のある組織である。1996年から1998年にかけて発生した一連の警察官の自殺に端を発し、ニュージャージーのコミュニティーリーダー達は、法執行官には秘密を保持された状態で安全に相談ができる外部組織が必要であると確信し、1998年に法律ができ、法執行官の危機に介入するホットラインが設置され、ニュージャージー医科歯科大学(the University of Medicine and Dentistry of New Jersey(UMDNJ)(http://www.umdnj.edu/)、並びに行動健康管理科学大学(University Behavioral Healthcare(UBHC))と提携して法執行官の危機に対する介入支援の仕組みを構築した。

橋本裕藏. 〈海外調査報告〉警察官の心の支援―基礎研究と米国調査旅行中間報告―. 警察政策. 2012年, 第14巻, p.140-141

警察官の心の支援の仕組みという点において、この『Cop2Cop』という組織から学ぶことは非常に多いと感じている。
*24時間365日いついかなるときにも相談できるホットラインである。(相談者は警察官だけでなく、警察官の家族、パートナー、恋人など広範囲に渡って受け入れている)
*相談者が不利益を被ることがないよう、法律によって守られている。
*専門的な知識を持つ、専従職員を配備している。
上記の3点は特に学ぶべきポイントであると感じているが、特筆すべきはニュージャージー州からの助成金によって設立されたものであり、このニュージャージー州の法律がCop2 Copが法執行官に不可欠なプログラムになるためのサポートをしたということである。米国の主権は連邦政府と州政府にあるとされているが、主権を有する州政府の法律による支援が得られるというのは、相談者が安心して悩みを打ち明けることができる環境が整えられているということだ。

この組織は2000年11月にホットラインの受付を開始しているが、2001年9月に9.11の悲劇に直面した米国でCop2Copは地域のかなりの数の法執行官機関に精神保健サービスを提供する上で重要な役割を果たしたとされている。(尚、その際にはNJの全ての消防士とEMS (Emergency Medical Services)を含むようにサービスを拡大している。)このとき彼ら Cop2Copは、625件を超える緊急事態ストレスマネジメントサービスに従事している。 
 これによって、平時の精神保健サービスを非常時に転用することができるということが示されたことになる。平時から警察官に向けた心の支援の仕組みが機能していたからこそ、緊急事態に柔軟に対処することができ、消防士やEMSに向けた心の支援へと拡大することができたのである。
一方で東日本大地震で多くの警察官がPTSDの疑いがあるとされた我が国は、平時から警察官が精神保健サービスを受けることができる仕組みが不十分であり、警察官とその家族(パートナーを含む)が悩みを打ち明けることによって受ける不利益を虞なければならないというのが現状ではなかろうか。今後予想される東海、東南海地震などの災害時に備えて、早急に平時から警察官の心の支援の仕組みを構築する必要があると感じている。

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