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あなたは何者なのか? Vol.2 〜不確かな直感という軸〜

Vol.1 では自分の軸の話をした。Vol.2ではそれを深く掘り下げていきたいと思う。
Vol.1の記事はこちら

古来より軸についても語られてきた。特に精神世界や形而上学ではそれらを中心に扱ってきた。それらを元にBESOなりの一つの答えが見えてきた。

一言で答えを言うと、それらは「直感」と言われている。自分の本当の軸は「直感」である。その直感の成り立ちや作られ方に迫ってみる。

科学が軸である現在では「直観」は無視されがちである。論理や証拠を軸にする科学ではむしろ一番敬遠される要素かもしれない。だが、どの発明や定理の発見も「直観」から生まれている。直面している問題に取り組んでいる時に、「直観」が新たな方向性や答えを生み出してくれる。

論理や証拠が大事では無いと言う話ではなく、直観とそれらが密接に関係していると言う事を感じている話である。

子供の頃によくやった神経衰弱や、絵合わせ。同じ柄が並んでいる場面で表を当てる。当たる確率は数学的に言うと、かなり低い。それが高確率で分かる人達がいる。サイキッカーと呼ばれる人たちだ。

それがゲームとして、またギャンブルとしても芸術の域に達しているものがある。麻雀だ。多くの雑誌や漫画で伝説となった人たちが描かれている。所詮漫画や書き物と侮ることは簡単だが、実際に目の当たりにした人からすればそれが現実なのだ。

確率で言えば、神経衰弱より低いかもしれないが、それが分かると言うのだ。そう言う意味では彼らもサイキッカーかもしれない。

こう書いていると、サイキッカーになれ、というメッセージに感じられるかもしれない。が、実はその逆で、全員がサイキッカーの卵なのだ、と言う話である。

あなたには裏向いているカードが何かは分からない。BESOにも分からない。しかし、左一キッカーには分かる。そして、サイキッカーが言うにはあなたにも分かると。その理由は人間全員が持っている自然な感覚だからであると。第6感や第7感と呼ばれるものだ。それは信じて出来ると思う人は出来る。そう思わない人は出来ないだけの至極簡単な話だと。

映画でもこれらが主流になってきている。漫画の世界のSFももちろん多いが、全てが非現実だと思わないでほしい。映画は人々の教育に最適である。大きなビジョンに大きな音響。それらで情報が一気に脳内に入る。

天才と呼ばれる人達は生まれながらに天才なわけでは無い。赤ちゃんの時には周りと変わらず1人で歩くこともご飯を食べることも出来なかった。しかし、自分の直観を信じる事に関してはいち早く出来ていたのだと思う。それが子供になり学校にいき、社会へ出ても続けられる人だったのだと思う。

逆に多くの人も赤ちゃんの時は天才の片鱗があったはずだ。それが子供になり、学校に行く中で社会に合わせなければ、周りに同調しなければと、直観の信頼よりも大事だと思うことが出てきてしまう。

今、時代が空気を読まないことが優先されるようになってきた。これは天才社会の幕開けの予感がしてる。

ただ、天才ばかりだと調和が今までには無かった。だがそれを上手く調和させられる社会が訪れる気配が今漂っている。その全体的な直観や軸の話を次回に続けたいと思う。

とにかく今回は自分の軸は直観であると言う話だった。

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