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保坂和志「草の上の朝食」を読んだ。(小説の中の競馬)。

先日、「プレーンソング」を読んだ。
続けて、続編の「草の上の朝食」を読んだ。

二作とも、どこにでもありそうな日常を切り取ってきたような小説で、大きな展開はない。その中で、喫茶店で競馬の話をしたり、競馬場に行く男たち(ついていく女たち)のシーンが出てくる。


草の上の朝食
中公文庫・2000年発行


「プレーンソング」は昔読んだことがあったのを読み直したのだが、「草の上の朝食」は初めて読んだ。

「プレーンソング」は、野良猫にエサをやる場面が多かったが、「草の上の朝食」では、主人公の男が喫茶店のウェイトレスを好きになり、仲良くなり、彼女の家に通いつめるようになる、その一連の流れが出てきた分、猫の存在感が少なくなったように感じた。

ただその中で、相変わらず競馬の話や競馬場のシーンが出てくる場面は一定量あり、その中で「おっ。」と思ったところがあった。


ランニングフリーが出てきた。

先週、ランニングフリーの馬主さんが書いた本について記事を作っていた。

「草の上の朝食」を読んでいたら、まだ重賞レースの常連になる前の、言わば無名時代のランニングフリーが習志野特別という条件レースに出てきて、12番人気で3着に好走した、というエピソードが出てくる。

語るのは、“万馬券は競馬会が仕組んで出している”と信じている三谷という中年男で、この習志野特別で勝った馬とランニングフリーの300倍見当の馬連をたんまりと買っており、当たっていれば一千万円勝っていた、と興奮して語る。

こういうエピソードは、フィクションなので作り放題なわけだが、出てくる馬にタマモクロスやオグリキャップではなく、ランニングフリーを選んでいるあたりが渋いと思う。競馬ファンとしては、にやっとしてしまう。(あるいは、本当に著者か、著者の周囲にこの穴馬券を買っていた人がいたのだろうか・・。)


「え?こんな小さいところで走るの?」

主人公のもう一人の競馬友達の、石上という男が、仕事の関係で知り合った女子高生と仲良くなり、女子高生ふたりと主人公、石上の四人で競馬場で遊ぶ場面が出てくる。

女子高生のうちのひとりが、競馬場のパドック(本番のレースが行われる前に、出走馬が観衆の前で歩いて周回する場所。ファンはそこで出走馬のその日の仕上がり具合を間近で確認する。)で、「え?こんな小さいところで走るの?」と素っ頓狂な声を上げる。

このエピソードは、以前にも書いたが、浅田次郎さんのエッセイにも笑い話として出てきた。

「草の上の朝食」の時代設定は1986年(昭和61年)。

オグリキャップや武豊の登場を前に、競馬場が、中年男たちがそこはかとない背徳を感じながら遊びに興じる賭博場から、若い女性やファミリー層も遊びに来る週末のレジャー施設に変わっていく過渡期にあったことを思わせる。

なお、前出のランニングフリーの本(「馬の愉しみ」)の中では、藤島氏はこの時期の競馬場の変容について、違和感を感じる、と綴っていた。

私は過渡期も一段落経てからの、96年頃から競馬場に通い始めた。
たしかに、「え?なんでこんな人が競馬場に?」と思ったことはない。かなり幅広いファン層を持つレジャーになっていると思う。
ただ、G1で混み混みの日に、ベビーカーに赤ちゃん乗せて来る若い夫婦がいるのには、なんで?というか、好きなんだなぁ〜とは思うが…。


話が逸れ気味になってしまったが、「プレーンソング」、「草の上の朝食」はともに、“日常の中の競馬”をごく自然な形で小説の中に溶け込ませており、楽しめた。
極端に言うなら、競馬ファンであれば、筋を飛ばして本をスキャンするように“競馬”の文字を探してページを繰り、読み進めても面白いかもしれない。



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