見出し画像

ベタの趣味語り「死についての考察〜人はほんとうに死ぬのか〜」

 死について思い耽ることが多い。実際、「死」をテーマにしたり話題の中心にした記事も多く書いている。

 数えてみましょう… 

 (当記事作成時時点)公開している337記事中、40記事が「死」関係でしたわw。これを含めず。私、よっぽど「死」がスキなのね。

 いくつか、読まれていない死についての面白い記事があったから、よかったら見てみて。言っておくけど、


初期のベタの記事は長くないです!


 日本人の1/2はガンで死ぬ。衝撃的だけど当たり前な事実。

…これも死についての記事だと思う。

 他にも、死んだ猫ちゃんに贈る記事とか、なくなった祖父・祖母の記事、また、もうじきお迎えが来そうな母へ贈る記事などもあります。

 …という風に「死」について興味津々なベタですが、最近、「人は本当に死ぬのか」と、またトンデモな思考に染まり始めているので説明します!👿

死についての考察

 人は死ぬとどうなるのか。天国に行くのか地獄に行くのか。死とは、魂が身体から離れていく現象のことで二度と戻ってこない…、そして魂は天国に行くのか地獄に行くのか、または消滅するのか。消滅とはなにか。死ぬと身体の質量が21グラム軽くなるのか。死んだ先は、脳の活動が停止するのだから、何も感じるすべも考えるすべもない。だから死後は痛みも、悲しみも無い。それを無と呼ぶとするという説もあります。

DEATH NOTEでの死

 週刊少年ジャンプに連載されてアニメ化・映画化などで大ヒットとなった『DEATH NOTE』(デスノート・大場つぐみ原作、小畑健作画)、では「死神」が高校生夜神月(やがみらいと)に殺したい人の氏名を書くと殺せるという「デスノート」を与え、それを巡っての漫画ですが、其の中でも死神リュークが、ライトにこう言います。

 ※ ↑ noteでは一部しか表示されないのでタップしたほうが良いです。 

…これは物語序盤の1シーンで、その真意については、物語ラストで語られます。ネタバレになるので書かないけど、必見の名シーンです。

メリーバッドエンドは好きでの死

 いま私のプロフィールのトップに貼ってる、拙作「メリーバッドエンドは好き」の冒頭でも、主人公と相手がこう語り合ってます。

 どんなエンディングが好きかと問われたら、普通ハッピーエンドが好きに決まってるでしょ、と言いそうなものだけど、そんなこと言ったら彼はきっとこう言うでしょ。

「人生にハッピーエンドなんて無いだろう。」

 って。人はいずれ死ぬ、その時家族に囲まれていようが、それまで幸せだったかに関わらす、結局は化学的絶命の時一人で死ぬと言いたいのだろう。でも私はこう言うの。

「メリーバッドエンドは好き。私は、幸せが何か分からないし、だからといって不幸だと思ったこともないし。このまま死ねたら良いのにな。そしたらそれはメリーバッドエンドでしょ?なんだか素敵じゃない?」
 って…。

(小説)メリーバッドエンドはスキ、冒頭より

…うそ、語り合ってはいないでしょって?…そんなつっこみ、スキのかずに反比例して誰もそこまで読んでないから、分からないから✋(泣く!😭)

死とは

 さて、死とは、現代的解釈では<↑の引用>にあるとおり化学的絶命、とあるとおり主に心臓および肺機能の停止からの血流停止からの脳神経系の機能停止・遮断、によって、神経・思考の完全なる停止、を指すというのが、まずは一般的解釈だと思われていると思われます(正確には心臓の血液…大動脈から大量に脳に循環などしない、頭の前後で内頸動脈、椎骨動脈などに分岐された後枝分かれする。そこから電流が流れて脳が機能するのが基本)。現代では、普通どんな宗教家でもそれが分かった上で、さらにオプションで、「魂が離れる」「天国や地獄に行く」「魂が消滅する」「生まれ変わる」などと表現するのでしょう…。その他の、そのオプションを信じない、現在では多数派となった勢力は、やはり「死=無」ということまでは分かっていて、本当には魂や、天国地獄は信じていない。でも、「死=無」についても、あまり深くは考えていない、というのが実情ではないかな、と。

私はこの「死=無」が何なのかが気になって仕方がないです。

 で、上記の「死とは」の通り、死=無なのだから、生前の努力も家族も愛も愛する子孫も遺産相続も隠しフォルダにあるえってぃ画像をももはや全く気にするほどの無いほどの「完全なる無」になるし(私は無いですよ??w 最近は、死んだのちにPCなどを強制的に処分してくれるサービスが儲かっているんだとか。意味あるの?杞憂だと思うんだけど)、身辺整理も必要ないし、「自分が生きていた証」など残す必要も気にする必要も無いし、ましてや「名を残す」必要もない、と、めっちゃ思っています。

 死んだあとも、世界は続くのだから、少なくとも家族には責任があるだろ、と思いそうですが、いや、無い、と思います。それほどまでに、完全な、完璧な無になるんだと確信してます。…つい先日までは。

死と生は違うもの

 …もっとも、だからといって生きている間に無責任なことをしても良いとは思っていません。だったら早く死んだら?と言われるのは(めちゃ沢山のnoterさんから思われてそう)、余計なお世話だし短絡的です。なぜなら、死と生は表裏一体、では無いからです。対義語ですら無いと思いますというかそうすべきです!つい一緒に、対にして考えがちですが、ぜんぜん違う事象、分野、状況、思想、です。
 死と生を対にして考えてしまうのは、人間のヒューリスティック、つまり思考の怠惰による即断性の連想癖による思考です。…これについて詳しくは、死と生の違い、および生について、生とは、などを一生懸命語ることになるので、スレチガイ、また今度ということで。オィ、説明しろよ、と怒る人、せめて「ヒューリスティック」を検索しましょう。それで7,8割は分かる。

新しい死の観点

 それで、先日思い立ったことについて。昼間にぼーっとしてたら突然思いついたんだけど。

 死んで、数分後、AEDなどで蘇ることがあるじゃないですか。すると、それまでの「死」状態は、死んでたことになるのか、が事の発端です。

 そもそも医学的な死の定義とは。まず寿命やいろんな病気や事故から「心肺停止状態」になるでしょう。そしてAEDや心臓マッサージなどの心肺蘇生(CPRと言う)の効果がない場合に、死亡と判断されます。または死後硬直が始まってる、あるいは腐って形も無いような場合は、その状態で心臓マッサージなどせずに(するかよw)死亡と判断されます。簡単ですね。

 で、自分はというと、その「心肺停止」直後はどういう状態か。「心肺停止」直後に意識が無くなり「無」になっているのか。そこが関心どころです。で、心臓マッサージなどによって蘇生した人の話で、「臨死体験」すなわち心肺停止中の記憶がある例がある…という話しを聞いたことがありますよね。調べましょう。こちらの記事では

 蘇生した330人中140人が死んでいる間のこと(死んでいる?むぅ…用語が難しいw)を覚えていて、

  • 39%は意識があったことは覚えているけど内容は覚えていない

  • 25%は信じられないくらい平和な感覚があった、または恐怖を感じた

  • 13%は意識が離れる感覚

  • 13%は感覚が研ぎ澄まされる

…えーいよく分からんな!こういうときは原文を読んでみましょう…

  • 39%は、意識の感覚があったが明確には覚えていない

  • 20%は異常な安らぎを感じた

  • 三分の一は時間が遅く感じた、あるいは速く感じた

  • 明るい光を見た(金色の閃光または輝く太陽)

  • 恐怖、溺れている、または深い水に引きずり込まれているという感情があった

  • 13%が自分の体から離れていると感じた、13%が感覚が高まった

…とのこと。一緒ですなw

 ともかく、多くの場合心肺停止しても少しの間、意識に近い活動はあるのかも知れません。その時能動的な意思(思うこと)は出来なくても、蘇生したら、その時、いろいろ感じたりイメージしたことを、覚えていることがある、ということかと。

 この間は、確実に「生きている」ですよね。

 それが、いつ「死ぬ」のか?蘇生時間(つまり長くかかった場合)別に統計取れて、「だんだん意識が薄れていく」のかどうかまでの研究は見つかりませんでしたが、きっとそうなのでしょう。

そ・れ・で、

死後、蘇生できることがあるなら、いつをもって死か

 この、心肺停止し、「心肺蘇生の効果がないと確定できる時間」は、明確にはどこの国も定められていないようです。どんな世界の賢人も、責任持って決められないんでしょうな…。ですが、何分ぐらいで心肺蘇生しても蘇生が厳しくなるかのグラフは、こちら↓が分かりやすいです(あと心肺蘇生…つまり胸骨圧迫・人工呼吸、AEDの使い方入門としても秀逸)。

https://www.city.toyohashi.lg.jp/secure/16047/G2015.pdf

豊橋市「心肺蘇生法(G2015.pdf)より

‥22分でも、蘇生の可能性がある!?意外と長いのですね。でも、5分〜10分適切な心肺蘇生行動をしないと、それ以後はかなり厳しそう。

 で、この「心肺蘇生」はいつまで続ければ良いのか、というか、いつまで続ければ、諦めるべきなのか。それによるとどの日本のマニュアルも「電気ショックと心肺蘇生は救急隊に引き継ぐまで、または傷病者に呼吸や目 的のある仕草が認められるまでくりかえす」とあります。…つまり素人は、心肺蘇生を、救急隊が来るまでずっと繰り返さなければならない、勝手に「もう蘇生は無理」と判断してはならない、ということのようです。

 た、大変だ…。

 蘇生活動の基準については医療および倫理および文化によるとして国際的に協議されていて、こちらが詳しいです。

 でも、CPR 、難しそうですよね。なお、一般人が、心肺停止など重篤状態にある人に遭遇し、CPRなどの救命措置を行って、もちろん故意でなく「失敗」した場合は、過失の罪になど問われません。これは聖書に由来する「善きサマリア人の法」の精神にのっとっています。

 なお…、どんどん興味が湧いて調べてしまうのですが、救命措置に怖気づいて助けなかった場合、罪に問われるのか?は、普通他人の場合「不作為義務はない」として、罪に問われません。

そ・れ・で、

 …また前置きが長くなってしまった…。
 自分が死んだと思っても、生き返る可能性がある。それは最大22分ぐらいのようですが、もしかして、「科学が意外と発達していて」または「いろんな奇跡的条件が重なって(一瞬の気候変動で凍結させられたとか)」または「未来人が来て」とかで、「すごく長時間後に、生き返る可能性」があるとしたら。

 死んで、意識も遠のき完全に「無」になったとしても、いつかばっ!と目覚める可能性があるとしたら。それが1ヶ月後とか1年後とか、あるいは100年後とか、あり得ないと言い切れないじゃないですか。

 死んで時間が立ってたら、火葬されて灰燼になっているから、蘇生するわけがない?いえ、死んだ自分には、死んでどうなっているか分からないじゃないですか。死んだら自分の体が火葬されてるのか、冷凍保存されているのか、蘇生活動が続けられているのか、どこかで気づかれず放置されて何らかの奇跡的条件で腐食しないで保存されているかなんて、分からない。

 死後すぐに火葬してくれと遺言していたとしても、それを実施されているか、分からない。

 つまり、普通に(急性心停止などで)心肺停止した場合ならば特に、蘇生される可能性は0%では無い。
 そして、さらに言えば、どんな死に方をしても、蘇生される可能性は0%では無いとも言えるのではないか。

 どんな死に方をしても、蘇生される可能性は0%では無いのである。言い方を変えましょう。どんな心肺停止をしても、蘇生される可能性はある。限りなく可能性が低くても、時間が経過しても、(死んだ自分にとっては)あり得る。

 ということは、自分が「死」を迎えるという「化学的絶命の時一人で死ぬ」と思った其の直後に想像するに、すぐに意識がなくなり「無」が訪れ「死」を迎えるんだ、と思うのが普通であったのが、この考えに到達したベタと読者の皆様は、ということはこう考えるでしょ。

 「あぁ…意識が遠のく。もうじき完全なる『無』が訪れるであろう。しかし、蘇生される可能性は、絶対に0%では無いといえる。だから、それを待つ無が訪れるだけである。ちなみに無の境地に至るのだから、それが長い年月あるいは何百年のあとであったとしても、蘇生されて意識が戻った時は、一瞬の出来事、なのであろう」と思いつつ絶命するでしょ⁉

 それは、もう、「死を迎える」では無いですよね。すなわち「死」は訪れない(絶命とか言いながら、言葉が難しいですが)。

 心肺停止して意識がなくなった後の自分、時間がだいぶ経ってしまっても、「もう蘇生されそうにないな…」とか、考える意識はもうないから、諦めもしない。だから、もう一度いいます。

自分には「死を迎える」は、もう無い。「死」は訪れない。

 だから私はこう言うの。

 人生にハッピーエンドが無いというより、私達の人生にエンディングなんて無いのよ。なぜって、私死なないから。

 ということは、私のプロフィールのトップに貼ってる、拙作「メリーバッドエンドは好き」(全力で書いた自分的傑作小説なつもりなのに、非常に人気がない)の冒頭、

 どんなエンディングが好きかと問われたら、普通ハッピーエンドが好きに決まってるでしょ、と言いそうなものだけど、そんなこと言ったら彼はきっとこう言うでしょ。

「人生にハッピーエンドなんて無いだろう。」

 って。人はいずれ死ぬ、その時家族に囲まれていようが、それまで幸せだったかに関わらす、結局は化学的絶命の時一人で死ぬと言いたいのだろう。でも私はこう言うの。

「メリーバッドエンドは好き。私は、幸せが何か分からないし、だからといって不幸だと思ったこともないし。このまま死ねたら良いのにな。そしたらそれはメリーバッドエンドでしょ?なんだか素敵じゃない?」
 って…。

(小説)メリーバッドエンドはスキ、冒頭より

…これを、書き直して、本編も全体的に書き直さなきゃならない気がしてきたww(泣く!😭)


以上…

感想コメントはベタの食べ物です。ぜひお恵みを…w
てか、「メリーバッドエンドは好き」を最後まで読んでください!😭🙇‍♀️

betalayertale 2022年10月10日

5685文字

楽しい哀しいベタの小品集 代表作は「メリーバッドエンドアンドリドル」に集めてます