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べてるの家のオンラインマガジン「ホップステップだうん!」 Vol.286



・子ども当事者研究×無印良品 江連麻紀

子ども「自分のこと」研究所 vol.6 「ほめほめクッキーとメッセージカードをつくろう」が無印良品東京有明店で開催されました。

今回の企画考案は私なのですが、周りの人に相談すると褒め言葉が出てこない人が多くて不安になって当日を迎えました。

参加人数6人で50分のイベントを2回行いました。

クッキーでデコレーション作ったあと、自分のことを褒めるメッセージを書きました。

私の心配をよそに、子どもたちはするすると褒め言葉を書いていました。中にはわからないという子もいましたが、他の子の言葉を参考にするとすぐに書けていました。ほめ言葉が一枚ではおさまらず、何枚ものメッセージカードが書けました。そして、途中からとなりで子どもたちを見守っていた保護者にも書いてもらいました。

ほめほめメッセージの一部を紹介します。

わたしかわいい

きのこ嫌いなのに給食ぜんぶたべてる

家族とはケンカするけど友達とはしない

おてつだいできてえらい

わたし絵がうまい

テストの100てんとれてえらい

ピアノで先生に怒られてもがまんしてる

プールのクロールがんばっててえらい

たまご焼きが作れてすごい

足がはやい

妹にやさしくしてえらい

しゅくだいやってえらい

家族で誰よりも早起きしてる

仕事で遅刻をしたことがない

よく寝てる

家事も育児も仕事もしている

毎日お弁当作っている

それぞれのほめほめメッセージを順番にわかちあって拍手を送り合いました。人から褒められることも少ないことですが、自分を褒めることはもっと少なそうで、今回がはじめての経験だった子もいました。

保護者から「会社では部下を意識的に褒めるようにしていたけど家庭内では怒ってばっかりで夫も子どもにも褒めていないことに気づきました。これからは家庭でも褒めあっていきたい」と感想をいただきました。

私も自分も褒めて、家族も褒めていきたいです。

次回の無印良品の子ども自分のこと研究所は5月に「家族会議」のワークショップを行います。

文/写真:江連麻紀


●新刊「弱さの情報公開」

2023年10月発売の最新書籍です。
2020年に発売しご好評をいただきました「弱さの研究」の続編。
不寛容な社会での孤立と孤独「つながり」を考える。

一部では、カーリング日本代表の吉田知那美選手とべてるの家の人や
向谷地生良氏との「強さと弱さ」についての対談。

二部では人と人の「つながり」を各章で考察、依存症、認知症の孤独について、本当の「つながる」ことの意味を考える。

<目次>
まえがき―「弱さの情報公開」の源流 
一部 弱さの情報公開
一章 弱さの情報公開 
二章 弱さを認める 
三章 行き当たりバッチリ 
二部 つながる
四章 わたしが「ダメ。ゼッタイ。」ではダメだと思う理由 
質疑応答 
五章 「認知症と繋がる」ということ 
六章 あいだは「愛だ」 
七章 地域と人と苦労で繋がって(向谷地生良氏最終講義) 

●大反響増刷中!
『子ども当事者研究 わたしの心の街にはおこるちゃんがいる』

本体価格:990円+税、出版社:コトノネ生活



・「北のバラバラな日々」(39) 笹渕乃梨

ここ数日の札幌は、「春さん、いくらなんでももうちょっとゆっくり来てくれていいよ」というような陽気です。家の前の氷を割りに思わず外に出たほどです。こんな呑気に氷割りなんかしているわたしですが、先週あたりまでは時間の倉庫番的な感じで常にタスクに追われて「イライラ」か「カリカリ」しかしていませんでした。いやですね。

○ ○ ○ ○ ○

当事者研究をしていると、もうお腹いっぱい!というほど自分の情けなさを目の当たりにします。仲間の情けなさにも安堵させられ、(子育てにまつわる話題のときは)「立派な親になんかなれない」ということは、頭では100万回くらい理解できたような気になります。

なのに!わたしってやつは!気づけばその謙虚さはどこへやら。

ちょっと気を抜くと、絶対的ファンタジーであるはずの「立派な母さん像」を追い求め、届かず、届かないどころか見失い、何を追っているのかすらわからなくなり、勝手に疲れ、イライラし、子どもに気を遣わせまくる母さんに仕上っているわけです。こういう自分がほんとうに悲しい。

過度に気を遣ったり大人の顔色を窺うような人に育ってほしくないという思いを人一倍つよく持ちながら子育てしているつもりが、その思いに反比例するかのように娘は空気読みの腕をナチュラルに上げ、いまや達人の域。

わたしの心は「やっぱり自分は毒親にしかなれないんだ!」と怒りながら泣くわけです。まったくいろいろ忙しすぎます。

○ ○ ○ ○ ○  

先週わたしは風邪的な症状で寝込み、ほとんどの予定を諦めることになりました。やっと回復しはじめた矢先の今週、こんどは娘がインフルエンザにかかりまたしてもほとんどの予定が白紙状態。神さまから強制休暇が与えられたのでした(それで、春の氷割りもできたわけです)。自分の体調不良のときはまだ怒ったり悲しんだり「もっと頑張れるはずだ」と自分を鼓舞(自責?虐待?)できたのですが、いつも健康な娘が力なく眠る姿を目の前にすると、強制休暇という余白にふわっとイメージが降りてきたのでした。

「がんばっていろいろこなして機嫌良くいられなくなるくらいなら、要領良くたくさんをこなせなくても鼻歌でも歌いながらリンゴなんかをむいてる母さんのほうが立派じゃね?」と。

ピカーーーー!

降りてきました。ひらめきが。

「立派」という言葉を手放せないあたりに、わたしの情けなさが滲んでいます。

当事者研究をしていると大切で大好きなはずの理念が形骸化してしまう時期が訪れることがあります。そして、その形骸化を呼びやすくするのが「ひとり研究への偏り」のように感じます。苦労は外の風にあてて仲間に揉まれてなんぼなのかもしれません。

最近のわたしの研究スタイルはもっぱらひとりでした、そういえば。

2月10日は旧暦の正月だったらしいです。新年だなんていい区切り。

気持ちも新たに「第一のものを第一に」と刻んで日々を過ごそうと思います。理念じゃないですね。

とほほ。


笹渕乃梨(ささき・のり) 自己病名は『境界線ぐちゃぐちゃ症候群サトラレ型変化球言葉タイプ(現在は枯れている)』
北海道で小学生の娘と二人暮らしをしている。趣味はゆるめの野遊び、スキー、工作、手芸など。精神科のお医者につけてもらった病名はうつ病とADHD。現在は無脳薬で約3年。
「子ども当事者研究」、「子育て当事者研究」、「なさ親」などで活動中。22年4月より「nasaLAB(なさラボ)」のWebラジオ「つまり、きりがないラジオ」パーソナリティ。

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・続「技法以前」227 向谷地生良


「哲学の方法としての当事者研究」

前回にもお知らせしたように、当事者研究は「臨床の哲学」の方法として関心を持たれていることを紹介しました。そのことに着目したのが、大阪大学の元総長であり、哲学者の鷲田清一さんでした。

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