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「わかる」とはどういうことか

こんにちわ。ごえです。指導者の立場に立ってから4年が経過しました。選手を見ていると「この子はわかったんだなぁ」と思うこともあれば、「わかってない」と思うことも多々ある。わかっていないと感じる時、なぜわからないのか?と疑問を感じる人は多いはず。今日はそんな「わかる」ということについての話です。

「わかる」と「伝わった」とは違う

指導者をしていると「わからせる」ことが課題だと思っている人が多いかと思います。相手が「わかってない」と自分の説明の仕方を責める人もいれば、理解できない相手を責める人もいるでしょう。原因は指導者側にあると言われるのが普通です。個人的には9:1程度で指導者の責任だと思っている。この時に説明の仕方が悪いと考え、いろいろな本で勉強したりする人も多い。しかし「伝える」ためのテクニックやスキルに走ってしまい、「わかる」の構造を分析しない人が多い。上辺だけのテクニックやスキルでは、本質は伝わらない。相手が「わかる」には到達しない。「伝わった」かではなく、相手が本質的に「わかった」とはどういう構造しているのしょうか。

「わかる」の構造

心の働き

「わかる」というのは心の働きである。その働きには2つある。一つは感情。二つ目は思考。感情は形がなく、どういうものか説明が難しい。思考は順序や原因と結果の様にその全体像を説明しやすいものが思考である。マインドマップはまさに心の像を形にしたものだと言えるでしょう。この二つの中で「わかる」に重要なのは思考である。そしてこの思考はさらに二つから成り立っている。

思考の構成要素

思考の構成要素は五感と記憶の二つで成り立っている。五感は皆さんが知っている嗅覚、触覚、聴覚、視覚、味覚の5つです。五感は今の状態を脳にフィードバックし、「今」の状態を心像として作っている。記憶はそういったフィードバックを元に脳の中にパッケージ化して保存しているものが記憶です。五感と記憶を縦に横に奥行きにそれぞれを比較することで違いを明確にすることがまさに思考になるのです。
指導者は考え直せとか、もっと考えろとか、すぐに口に出してしまうのですが、これは指導者の怠慢だと私は考えている。考えて欲しければ、思考を促すように問い直す必要があるからです。その時に大事になるは記憶の想起を促し、思考の比較検討をさせることができるかになる。
おそらく、スポーツを指導している場合には個々に未来記憶が追加されることになる。つまり成功イメージというやつです。本来、ないはずの記憶を想像することで、過去に成功した可能ように記憶として形を保存するのが未来記憶になる。だから、より詳細にかつ鮮明にイメージできると思考するときに記憶として扱うことができるのです。
この記憶も細かく分けると陳述記憶とか手続記憶などあるのですが、長くなるので触れないです。

要するに、思考とはマインドマップであり、マインドマップの一つは五感を通して学んだ記憶で出来上がっていると言うことだ。

「わかる」ための目印

わかる」を導くためには「思考」が必要不可欠であり、思考をすすめるためには記憶の比較が必要である。では、記憶の比較をするためには、想起=思い出すが必要になります。その時に重要な役割をしてくれるのがこの目印の話です。人は物事を記憶するときに単体で記憶しておくことが苦手です。なぜなら情報力が増え過ぎてしまうからです。なので、ある程度の塊をパッケージにして圧縮して名前をつけて保存しています。パソコンと同じです。ここでいう圧縮とは無意識下とも言い換えることができるでしょう。名前をつけて保存することは記号化ということです。

○○とは、、、といった表現はまさに記号化です。単語そのものにも意味がありますが、オリジナルでその意味を付帯することである種の記憶として保存している。よく言語化と言われるものは、一つの単語にこういった意味をを付与することで一つのパッケージにしている。それを多くの人と共有することで意思疎通をやりやすくている。これが言語の始まりです。もちろん、個人で思考する時にも同様のことが言えます。以前の練習の時の○○とか、以前問題解い時の○○はこうだった。とあらゆる五感から得られたものを○○した時という記号として記憶している。

つまり、短い文章でも良いので内省し、パッケージにしておくことで、記憶しやすくできる。そうすれば、わかりやすくなるということです。この記憶をたどりやすいように、パッケージされているキーワードを目印に追うように問いかけると「伝える」ではなく、「わかる」につながるではないでしょうか。例えば、○○と同じだよね。とか、似ているイメージで。とか。。要するにこういうことだよね。などがパッケージ(記憶)を呼び覚ます時によく使われることです。

よくある「わからない」の落とし穴

ここまで「わかる」について説明してきました。ここで指導者がよくある落とし穴がある。多くの場合、相手が「わかった」かどうかを「伝わった」かどうかで判断していることが多い。なので、伝え方の問題だと勘違いしていることが多い。伝えたのに「できてない」に苛立つことが多い。これも大きな落としです。伝わったけど、わかっていないのだから正確にできるわけがありません。わかるを引き出せなかった。もしくは、相手が「記憶を持っていない」から「わからない」ということを見落としていることです。先にも述べた通り、「わかる」に至るまでには記憶が重要です。しかし、そもそも比較するべき記憶がなければ、わかるはずがないのです。
つまり、「経験がない」もしくは経験があったとしても「記憶していない」ということです。

まとめ

わかるとは、心の働きの一つである。その中でも思考な働きである。思考をする気には比較できる対象が必要であり、その対象とは記憶である。この記憶は「今」の五感が統合され、パッケージされることで強固な記号(言語)として記憶される。相手の「わかる」「わかった」を引き出そうと思ったら、この記憶(記号)を想起させて、比較しすることで、答えに導くことが重要である。一方で、「わからない」時には落とし穴があり、実は相手に「記憶がない」「経験がない」といったことが隠れていることがある。指導者としてかかわる際には、相手も同じような経験があり、その記憶があるという前提を捨てて話をすることも重要である。前にも言っただろう=「伝えた」であって相手が「わかった」にはならない。

今は「わかる」ということを「過去の経験による記憶」の比較(思考)した結果だといったが、実は他にも「わかる」は色々ある。
次回は色々な「わかる」について書いていけたらと思う。

いつも長文を読んでいただきありがとうございます。でわ、また。。。

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