見出し画像

07/思考のクセ

トーキョーコーヒーの考え方に触れはじめ、
自分の中にあった、◯◯すべき、◯◯が普通みたいなものを取っ払っていくことができた

それから、これまで当たり前のようになんの疑問も感じてこなかったことが、見えるようになってきて、
なんで必要??何のために??でいっぱいになった。
あぁーこれってこういうメッセージに繋がるよなぁとか、それに合わせられないとされる子は居心地が悪いよなぁとか、なんか違和感があるのにそれを言わずに、言えずにやらなきゃいけないって楽しくないよなぁとか。

そう感じやすい子は、(子どもは元々、みんなその感性を持っていたと思っている)毎日そんな思いをしているのかと思うと、そら行きたくない!ってなるよね。と。

自分が当たり前に思わずに、自分の意見を持って、それを人に伝えていいんだ。という経験と思いを持って行動していたら、我が子が大きくなる頃に教育は変わっていたのかもしれないと思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

もちろん、数字で評価されたり、何か課題があった方が過ごしやすいという子もいる。

そっちに合わせることが協調性で
合わせられない子は協調性がないとされて、認められない風潮になっている子どもの社会は
どんな人間性をつくりあげてしまうのかなと思うし、
1日の半分以上を過ごす環境について
学校任せにするんじゃなくて、一人一人考えて対話していきたいなと思う。

多数派の意見が正しくて
多数派の意見と同じだと安心する
違う意見があると自分が否定されているように感じる

これが個を尊重できない思考のクセだよなぁと思う
その経験がずーっと連鎖されていってる。
多様性を認めようと言われるようになってきたけど、見た目や文化とかわかりやすいものに視点がいってる。もっともっと日常的に起こっている多様性を認め合う訓練していかなきゃなと思う。

自分もこの思考のクセがまだまだ残っていて
自分だけ違う意見だとソワソワするし、
反対に、複数が同じ意見だと安心している自分がいる。
認めてもらえなかったとか感じて、攻撃的になってしまったり、悲しんだり悲しませたり。
子どもについ、「みんなはこうなのに」と言ってしまったりする。
食い気味に、「みんながなんなんや!自分は自分やろ!」と小4と小1に言われる始末。笑
思考のクセがついてないこの人たちの意見を
大切にせねばと、ドキッ!!としながら思う日々です。

親育てしてもらってます。

まずは、自分の思考のクセに気付くことからなのかなぁ。
私も最近、自分が正しい!という気持ちが
よくあってイライラしまくってた、、、
気をつけよう。
思考のクセはなっかなか直らないものだけど、客観視することを忘れずにいきたいです

なんかそれまくったけど
終わります。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?