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諦めない左利きとクラスメイトの愛

物心がついてから、ずっと左利きであることで右利きの人たちには想像もつかないほどの我慢や不便さ、何ならある意味、”本当の”自分を押し殺して生きてきたとさえ言えるのではないのか、なんてことを、まさかチェロを通して気付かされてるとは思ってもいませんでした。

左利きの人々は、例えば自動改札を通る時は自分の左腕にほんのり進行妨害されるとか、ファスナー付きのバッグを肩にかける時にバッグの裏側を表にして持たないとファスナーが後ろにきて危ないとか、お気に入りのイラスト付きのマグカップの持ち手を左に向けるとイラストが向こう側を向いてしまうとか、常にもやっとする現象とともに生活しているのです。

右利き仕様の世の中を、仕方ない、そういうもの、少数派だから、って思っていたし、何なら左利きであることを密かに誇りだったりもしなくもなかったけれど、よく考えたら、マイノリティがマジョリティに合わせて苦労を強いられているのに、そこには人権問題は問われないのか?もしかしてここは怒るところなんじゃ?なんて、小さな思考の塵を巨大な雨雲に発展させてみたりして。

あまりに先週のレッスンでの自分に絶望して、今受けているコースを辞めるというところまで追い詰められた、というか勝手に思い詰めた私は、あわよくばコース料金の部分返金をと、カレッジの音楽デパートメントのオフィスにメール問い合わせをしました。このカレッジの素晴らしいところは、「いや、返金はできません。以上。」というありがちな返信をしてこないところ。私が抱える問題を具体的なところまで聞き取り、とことん付き合い、そういうことならと、先生と話し合うことをアレンジするところまでしてくれました。(本来ならまずは先生に相談するのが筋だったのですが、諸事情でそれが不可能だったのです)。

そのおかげで今日、レッスン前に(正確にはレッスン時間に食い込んだのだけれど)先生と話し合う時間を持つことができました。先生的には私は「One of the best students」だそうで、そもそも絶望する意味がわからない、てか、あなた自分に期待しすぎ、というまさかのコメントをされ、利き腕に関しても、とりあえずスタンダードな弾き方でレッスンを受けることを推奨されたものの、左利き用のチェロを入手した暁には左手に弓を持って弾くことはウェルカムだし、何より楽しんで弾いて欲しいとのこと。モノの言い方もキツいし、これが私のやり方だからつべこべ言うなという印象が強かった先生なので、目が点でした。

その後のレッスンでは、「いやいやそこまで気を使わなくても」と笑ってしまうくらいに、物言いに気を使い、ことあるごとに過度に褒め、とそれはそれで逆に気持ち悪いんですが、、、という気がしないでもなかったものの、その気持ちはありがたく受け止めました。そして私の苦悩を知ったクラスメイトの優しさにもほろっ。

チェロという楽器は、構え方からしてとても地に足のついた感じがあるのですが、クラスメイトの皆さんもそんな感じ。自己評価が果てしなく低い私は、こうして周りの人たちの愛に気づき、受け止めていくという修行をしているんだなと改めて思ったのでした。


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