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終わったけど、終わってない

時空が歪んでいる、というか時間を認知する私の脳がすっかり歪んでいる今日この頃。

クライアント宅へ向かう地下鉄の中では、降りるべき駅のひとつ前の駅に電車が止まったところで、(降りるのは)次の駅だと認識し、居眠りをしたわけでも考え事をしたわけでもないのに、どういうわけか次の駅だと思った駅が、次の次の駅だったり、今日は今日で、大学の講義後に友達から「病院実習どうだった?」と聞かれ、随分前の話をするなと思いつつ適当に話をしたものの、実は実習が終わったのは先週だったし、それ以降彼らに会うのは今日が初めてだった、ということに帰宅してから気がついて唖然としたり。ただの過ストレスか、メノブレインなのか、それともディメンシアなのか。

それはさておき、6週間のプレイスメントがようやく終わりました。毎朝の早起きの辛さはもちろんのこと、ノンストップで頭の中で繰り広げられるあらゆる思考のバトルがキツかったです。長いこと個人経営で仕事をしてきて、すべてを自分で判断し実行し、なにかあっても自分で責任をとる、ということに慣れていたのが良くも悪くも足枷になったように思います。そうでなくても病院内の照明と各種機械音だけでもすでに脳のCPUがいっぱいいっぱいな上に、学生という立場をわきまえつつ、自主性があるところを見せ、組織の決まりごとに沿って行動できるということろも見せなければいけない、でも日本のように手取り足取り教えてくれるわけでもないという状況は、一般的な思考回路を持たない私の脳には難題すぎました。

特に最後の配属、救急病棟の教育係は教育熱心で、機会があるごとに患者さん対応をさせられたさせてくれたのですが、まあ見事に上手くいかないわけです。誰も上手くやるとは期待していないし、できなくて当然なのだけど。ただこの頃の私は、コースを続けることそのものに疑問を感じていたので、本来なら、失敗した→次はどうしたらいいのかと向かうべき思考が、そもそも観察メインのプレイスメントなんだしもうやらせないでほしいと、願うばかり。

そして半ばいやいややっていたプレイスメントで、唯一自信を持って楽しくやれたのは、身体の動きに関することを評価したり、動きの手伝いをすること。これがコース続行への疑問に拍車をかけます。なにしろ実習中、私が興味深く観察しているのはたいてい作業療法士の仕事ではなく、理学療法士の仕事なのです。自分で一度決めたことを途中で辞めることも、そもそも迷うこともない私にとって、この迷いをどう処理してよいのやら、とすでにオーバーヒートしていた脳の許容範囲を超えていました。なのでもうただひたすらプレイスメントが終わることを指折り数えていたのでした。

そして待ちに待った先週の金曜日。プレイスメントの最後には、課題として出されていたプレゼンテーションで汚名挽回をし、総合評価でも奇跡の合格ライン超えをもらい、これにてプレイスメント終了。その日の夜は、友人が打ち上げディナーに誘ってくれたのでした。

そして土曜日。迷える子羊は、去年たまたま聞いた説明会でいいなと思った理学療法コースがある大学のオープンディを再訪しました。体験レッスンはとても興味深く、他の見学者たちもいい感じ。なによりチューターともとても気があって、別れ際には「9月に会いましょう」なんて言われたりして、心は転校モード。

ところが念の為にと必要資格を確認したら、今受けているコースの解剖生理学の成績は70%以上であること、さらに1年次の全モジュール平均成績が70%以上であることが条件だと言われ、我に帰ったのでした。同レベルの移転なのにそこで良い成績をとるという条件の意味がよくわからないものの、とりあえず解剖生理学の成績は良かったし、現時点での平均成績も条件は満たしています。とはいえ成績の出ていないモジュールはまだ3つもあるのです。残りの3モジュールでどこまでやれるかはわからないものの、平均が条件を満たしているのも解剖生理学にぶらさがっているだけだしで、申込前にすでに雲行きが怪しい。てか、今のコースをやっていく自信も興味も失っているところで、転コースのために転コース先には関係のないモジュールで良い成績を残すべく必死に勉強するとか、なんとも本末転倒意味不明です。しかも今のコースに決めたのだって、ちゃんと考えて出した結果だったわけで、実のところ「こっちがだめだからあっち」と言ってるだけなんじゃないか、自分?と思わなくもない。

とりあえず今答えを出すのはやめにして、転校するなら7月のクリアリング(2次募集)を狙うことにして、まずは今のコースでそれなりの成績を収めることにフォーカスすることにしました。そもそも1年目の成績はパスさえすれば出来は卒業成績に影響しないし、もっといえば資格さえとれば(つまり全てをパスして卒業さえすれば)就職には卒業成績の良し悪しなんて関係ないわけです。それに仕事もしながらだし、母国語じゃないし、良い成績とかこだわっている場合じゃない。でも、このありとあらゆる言い訳を一旦置いておいて、やれるだけやってみたら見えてくるものがあるかもしれない、なんてね。そもそも成績が提示された満たなければ転校できない=選択肢が減るし。

面白いなと思ったのは、今日の授業。来月のOSCE試験(Objective Structured Clinical Exam)の練習ということで問診のロールプレイをしたのですが、プレイスメントではあんなに絶望的だったのにそれなりに出来るようになっていて、一緒のグループだったクラスメイトからも「すごく良くできてて、たくさんメモとっちゃったよ」なんて言われました。もちろんまだまだよれよれには変わりないのだけれど、確かに手応えはあったのです。

そこでふとヨガのティーチャートレーニングを思い出しました。トレーニング中に初めて教える練習をしたのですが、とにかく何をどうしたらよいのかわからず頭の中はパニックのまま始めました。が、ところどころすごく自然にできる瞬間があって、それはまるでそれまでずっとついて習っていた先生と一緒に歩いているような感覚でした。

そして今日のロールプレイ中も、似たような感覚がありました。自分で話しながらも、これはあのセラピストが言ってたなあ、そうそうあのセラピストもこういうふうに話してたなあとか、プレイスメントで会ったセラピストたちと一緒にやっているような感じだったのです。

嫌だ嫌だといいながら、早く終わってほしいと思いながらも、知らないうちに蒔かれていた種にちゃんと栄養が与えられていたようです。なにしろプレイスメント中の睡眠の質は散々だったわけだし、しっかり休んだらまた違う見かたができるようになるのかもしれません。

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