空白の150年日本古代史の真実

ちかみつリーディング要約 2024.4.4

・卑弥呼らしき人は山のようにいる。巫女さん

・空白の150年にダブル王朝が2つ出てきた。吉備王朝と阿波忌部王朝。岡山と徳島。
これが後に、藤原氏の誰かによって消し去られた

・古事記、日本書紀は藤原氏によって全部再編纂された。聖徳太子直後に

・阿波忌部王朝をスキャンすると阿波忌部一族と物部一族が出てきた。3〜4割は物部氏

・阿波忌部王朝と吉備王朝は150年間仲が良かった。

・吉備王朝は遡れば九州のほうから流れて来た

・中国三国志の頃の日本は各地に王朝があり浮き沈みを繰り返していた

・天照大神は男であり、3200年前に北九州で生まれている。今の皇室の系譜。遺伝子的な繋がりがある。東進し吉備王朝へ至った

・同時期に宮崎にも王朝があった

・国常立尊も3200年に天照大神と別の王朝にいた

・日月神示の岡本天明氏に啓示した本体(艮の金神)は6000年前、阿波忌部王朝ができた時のスメラミコト(天皇)

・阿波忌部王朝は空白の150年の時に中臣一族によって大戦争を仕掛けられる

・中臣一族はのちの藤原家でありGoing My Wayのオラオラ系、日本のロックフェラー(原文ママ)

・中臣氏をスキャンしたら、愛知にルーツがあり、その後長野に移っていった。その後、岐阜→愛知→奈良と移り阿波忌部王朝に戦争をけしかけた

・支配するために(奈良)遷都を阿波忌部王朝に持ちかけNOと言ったら武力で弾圧し強引に連れて行かれた。飛鳥時代の前まで阿波忌部王朝の名残りが残っていた

・それを見ていた吉備王朝はNOと言ったらやられることを実感し言うことを聞いておこうという態度になった

・聖徳太子の血脈は阿波忌部一族

・中臣氏(藤原氏)は権力者を果てしなく追い求める一族で、トップは血筋を自分の一族に変える力があった

・中臣氏は古くから日本列島にいた。渡来人ではない

・空白の150年の時期は吉備王朝と阿波忌部王朝が際立っており、出雲や宮崎などはスキャンの反応がない

・阿波忌部王朝は(九州から)吉備王朝に至る途中の存在かも知れない

・巫女を卑弥呼というのなら朝鮮半島にも中国にもいた

・卑弥呼が魏に信書を送った件をスキャンしても時間がかかり過ぎて反応で出てこない。中国の官僚がその場で造った可能性も高い
(上司に怒られるetc)

・当時は日本は一つの国家ではなく、王朝が乱立し中国ともそれぞれに交易朝貢していたので、日本のどの王朝が中国のどの王朝と交わした文書なのかを考え出すと大混乱

・日月神示で岡本天明に啓示した艮の金神は日本神霊団のトップ中のトップ。艮の金神が阿波忌部王朝を興したとすれば日月神示は四国弁(徳島)で読み解くことができる

・天照大神を部下にもつ国常立尊の上に来るのが艮の金神。日本神霊団の社長的存在

・日本神霊団は22万年間現在まで存在する。北太平洋が大陸だった頃から。アラスカのちょっと下に古代文明があった。そこで艮の金神は日本神霊団のトップに就任した。その頃の地球は97%が大陸だった。太平洋上にいくつかの湖があるだけであと全部大陸。「大陸の惑星地球」といった感じ

・中臣氏(藤原氏)は自分で王朝を造るのではなく、吉備王朝か阿波忌部王朝に(奈良に)入ってもらう作戦を立てた。吉備王朝も阿波忌部王朝も人が好かった。自分はそれを利用し骨抜きにして権力を握った

・中臣氏(藤原氏)は阿波忌部王朝の血を引く聖徳太子の一族も滅ぼして、歴史を消すことに成功した

・日本書紀、古事記は再編纂した

・艮の金神は6000年前に徳島に降りて以来、地球に降りていない。後のことは日本神霊団の幹部である国常立尊や天照大神に任せている

・艮の金神はそういった意味で日本の総責任者だから岡本天明に日月神示を降ろした

・艮の金神は22万年の経験を踏まえて、これから日本は良くなると言っている

・艮の金神は、近所のゴミの分別が守られない、病院代の滞納と言った悩みまで聴いてくれる存在

※この文章は動画を元に要約したものです。正確な表現は元動画を聴いて判断ください

元動画
https://youtu.be/nALYj-vmdEE?si=GaNuyqEMC03Oebnu

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