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和暦使用のすすめ

今年は令和6年、早いもので令和生まれの赤ちゃんがもう小学校入学の手前まで来ている。

昭和、平成、令和このような元号で年を表すのを和暦というが、これをやっているのは日本だけである。日本でも近年西暦が多用されるようになり、国際化グローバル化も相まって国内の事象も西暦で表現されることが多くなった。それゆえ和暦は西暦に変換するのが煩雑で大変なので無くしてしまおうという動きすらある。

わたしはこれに反対である。
大きな理由は一つ。東アジアの歴史を見てみると、いろいろな見方はできるだろうが、中国の王朝に対して周辺国が朝貢するという構図がずっと続いてきた。中国の王朝が親分、朝貢する国が子分で、中国に認められて初めて周辺国の王朝など政治体制が正当化される。これを冊封体制という。日本も例外ではない。

ところが朝鮮、ベトナム、琉球(沖縄)が中国と同一の元号の使用を強いられたのに対し、日本は645年に大化という独自の元号を名乗って以来、701年の大宝からは令和まで連続して独自の元号を使って年数を数えて独立性を保ってきた。

世界の歴史は覇権国による周辺国の属国化、植民地化の歴史である。虐げられた民族は文化も言葉も奪われ、征服者の文化、習慣、言語を押し付けられてきた。アフリカの民はアメリカ大陸まで奴隷として連れていかれ、アフリカ、南北アメリカ、中東、インド、東南アジアは西欧列強の支配下となり、文化伝統を奪われ宗主国のものに置き換わった。滅びた民族もいるが20世紀になってから少しずつ解放が進み多くの国は独立した。しかし独自の元号や暦はもう存在しなかった。それゆえに日本以外の民族は自分の国や民族の伝統や習慣、言語に非常にこだわる。

だから他国からの支配が薄かった日本は、国や言葉と並んで独自の元号を持っているのである。これは単なる慣習として続けるのではなく、今までの覇権主義や植民地主義に異を唱えるという意味でも意識的に続けていくべきだし、近年では悪しきグローバリズムや超管理社会に抵抗・反対するという意味でも非常に意義深いことだと思う。

もっとも西暦は、イエス・キリストの生誕を基準としており、世界万人に客観的な暦でもない。わたしは新約聖書のイエス・キリストは好きだが実在した人物とは思っていない。そしてそのキリストの言行を教えにしたキリスト教はその後権力と結びつき西洋列強の先住民の大虐殺、植民地支配に繋がったことは否定できない。

確かに西暦は2,000年超の歴史があり多くの国で共有されているし、元号が変わらないので歴史の比較検討や世界の出来事を対照するのに適しているのも事実である。だから現在マスコミが行なっているように和暦・西暦を両方列記すればいいと思う。

和暦は天皇制とリンクしていて天皇制に反対する人にとっては感情的なしこりが残るという問題も確かにはある。しかし天皇の在位=元号と固定化されたのは明治以降であるし、それ以前は天皇の在位中に元号を変えることもあった。柔軟な対応はできると思う。

日本のお役所や公文書は和暦で統一され、われわれ市民も和暦で請願しなくてはならない。しかしこれは国の歴史、民族の歴史、文化伝統を継承し護るためであること、地域の主権や個の人権を脅かすとも言われているグローバリズムや世界統一基準にあがらい、警鐘を鳴らすという意味でもとっても大切な行為であるとわたしは考える。

それに加えて積極的に和暦を使うことは世界の平和、民族の発展、個人の尊重に繋がることだとわたしは思っている。ぜひ教育の場でもこのことを伝えてほしい。

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