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瀬戸内・四国の旅(2) 高知編 「四国縦断と高知城」

3日目は直島を出て高松まで船旅。そして峡谷続きの絶景で人気の土讃線で高松から高知へと四国を縦断。
そして高知では、四国で三つ目となる現存天守を保有する高知城を見学するのが最大の目的だ。


10月、1月と旅行した瀬戸内〜四国。
すっかりとこのエリアに魅せられ3回目の訪問となる今回は連休を利用して直島から四国へ。
そして高松から電車で四国を縦断して高知へと至る4泊5日の旅をレポート。

今回は三日目のレポート。
前日までの直島の旅は以下から

直島を離れて高松へ船旅

さて三日目の5/1は駆け足で移動の旅となる。
直島
からフェリーで高松へ、そして高松から土讃線で四国を縦断して高知に向かう。
直島9:07発のフェリーは約一時間の船旅で10:07に高松に着く。

今回はゴールデンウィークということもあり、行楽地はどこも混雑と行列が予想された。
それを避けないと無駄な時間を費やし、疲労も重なる。
そのため移動を楽しむをコンセプトにして、移動時間を長めに設定。
その代わり、移動は可能な限り指定席を使い、のんびりと座って車窓や船窓の旅を楽しんだ。
「移動を楽しむ」これが本旅のコンセプトだ。

直島から高松行きのフェリーは巨大でしかも意外に座席は空いており、船の動きはかなりゆったり目。
晴れていたので甲板に出たりして、のんびりと瀬戸内の風景を満喫した。
途中、桃太郎伝説で知られる鬼ヶ島とも呼ばれる女木島(めぎじま)など、島の風景を眺めるのも和む。
瀬戸内海は日本最大の内海で、自然災害が少ないおだやかな海域なので船旅も快適。 閉鎖性海域のため、外洋からのうねりの影響を受けないらしい。

直島発のフェリーは一時間で高松に着く。

高松港から高松駅までは徒歩約5分。
今回は高松は素通りして高知を目指すので、高松駅で駅弁を購入。

土讃線沿線、峡谷の絶景

高松駅11:13 発の快速サンポート南風リレー号で多度津へ向かい、高知行きの特急に乗り換える。
多度津駅11:56発の土讃線の特急「南風アンパンマン号」で高知に向かう。

この多度津から高知に向かう、四国を南北に走る土讃線の車窓からが絶景続きで人気だと言う。

土讃線は四国を貫くように走るが、香川県から徳島県を走り高知県に至るという四国の三県を跨がる。
前日までは瀬戸内海の風景を楽しんだが、この日からは一転して山間の絶景を楽しむのが、このコースの魅力だ。

この路線を走る「四国まんなか千年ものがたり」と言う観光列車もあるくらいだから、人気も窺い知れる。

多度津駅から高知駅までは1.4時間、車窓からの風景は飽きるどころか見逃せない。
特に大歩危(おおぼけ)の峡谷は、四国山地を横切る吉野川の激流によってつくられ、約8kmにわたる絶景は驚愕的に見ものだ。

大歩危

峡谷続きから徐々に平野となり、高知駅には13:41に到着。
朝から移動続きだが座ったままだし、「移動が観光」になっていて時間が有効に使えている。

経路1 多度津→大歩危
経路2 大歩危→高知

現存12天守の高知城

昨年丸亀城松山城と四国の現存天守を制覇したが、高知城で三つ目の訪問となり残りは宇和島城のみとなる。
現存天守とは江戸時代またはそれ以前に建設され、現代まで保存されている天守のことで、これ以外の天守には、復元天守、復興天守とも言う。
全国では姫路、松本、松江、犬山と制覇し現在7つを訪問、残りは彦根、弘前、丸岡、備前松山が未制覇なので、12天守制覇まで後5つに迫った。
四国には12のうち、1/3の4城が存在し12天守マニアには効率的に地域だ。

高知城は大河ドラマ「功名が辻」で著名な山内一豊が築城した。

一豊は高知以前には静岡の掛川城を居城としていたが、関ヶ原の戦い前の軍議(小山評定)においてこの城を家康に献上することをいち早く提案。
本戦での戦功はなかったが、この提案を先んじたことで後に続く大名が続き、東軍を有利に導いたとして、加増され掛川から土佐一国を与えられた。
小大名から大大名に一大出世したわけだ。

それまで土佐を治めていた長宗我部氏は西軍に属し土佐を召し上げられ、その家臣の家筋は下士として差別され、外から来た山内家上士として支配層となる。
結果としては幕末になり、下士側の坂本龍馬岩崎弥太郎が時代を動かす。
その辺りの経緯は『龍馬伝』でも詳しく描かれた。

「功名が辻」の作者、司馬遼太郎は余程土佐に関心があるのか、『夏草の賦』で山内以前の土佐の盟主であった長宗我部元親を描き、『竜馬がゆく』で幕末の土佐を描いている。
さらには、元親の息子の盛親や最後の土佐藩主となる山内容堂をも題材に作品を上梓している。
さらに言うと、『龍馬伝』では岩崎弥太郎香川照之が、龍馬暗殺の下手人今井信郎(いまいのぶお)を当時の市川亀治郎が演じているが、お蔵入りになるのだろうか。

さて、我々は高知駅に到着すると高知での宿「三翠園」に向かう。
敷地内には土佐藩15代藩主山内容堂が建設した重要文化財旧山内家下屋敷長屋など、歴史的建造物が佇む。
高知市内で唯一、温泉がある宿でもある。

敷地内の旧山内家下屋敷長屋の門

ここで荷解きをして、徒歩で高知城に向かう。
徒歩8分と城までが至便であることもこの宿にした理由。
14:30に高知城に到着。

高知城天守

宿からも遠目に高知城が見えるが、市内からシンボル的にお城が見えるのは市民にとっても誇らしいだろう。
高知城は、平野の中にある山、丘陵等に築城された典型的な平山城である。

城内に入り、緩やかな坂を登ると天守が見えてくる。
そこそこの距離の坂ではあるが、ヘトヘトになるほどではなく適度な運動程度で、ハイキング気分で15分ほど歩く。

天守は 外観は4重、内部は3層6階建て

4層6階の天守は、一豊の前任地である掛川城の天守を模したといわれる。そして本丸内の本丸御殿がすべて残っているのは高知城だけ。

天守と本丸御殿

山内一豊の妻として知られる千代の像。
夫に馬を買わせるために大金を差し出した話など、内助の功で知られる。
大河ドラマも夫より妻を主人公として作られたが、史実とかけ離れていた感もあり、無理はあった。

山内一豊の妻の銅像

土佐に入国した山内一豊は、以前の大高坂城を改修し、河川に挟まれていたことから「河内」と改める。そして、「河内」はのちに「高智」と書かれ、現在では「高知」と表記されるため、城も高知城と呼ばれている。

四国の現存天守の丸亀松山のレポートは以下を。

直島→高松→多度津→高知

旅の続きは、


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