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この一枚 #18 『The Nightfly』 ドナルド・フェイゲン(1982)

1982年にリリースされたドナルド・フェイゲンの『The Nightfly』。80年代の音楽シーンに多大な影響を与えましたが、フェイゲンはその後表舞台から消え去り10年以上沈黙したのです。彼を苦しめた当時としては最先端のデジタル・レコーディングによる傑作『The Nightfly』の裏事情と沈黙の80年代を探ってみました。

ジェイムス・テイラーの来日公演

ディーン・パークス

さて、前回1986年まで進んだ80年代ですが、とある事情で1982年に逆戻り。今回はDonald Fagen(ドナルド・フェイゲン)の『The Nightfly』を紹介します。本作は全米チャート11位となりプラチナ認定されましたが、売行きを超えた衝撃を音楽業界に与えました。

セットされているレコードはソニー・ロリンズの『CONTEMPORARY LEADER』

それは先日観たジェイムス・テイラーの来日公演。
内容自体も素晴らしいものでしたが、参加メンバーを観て唸ったのです。
ドラムにスティーヴ・ガッド、ギターにディーン・パークス(Dean Parks)とまさにスティーリー・ダン(SteelyDan)か、という人選。
ベースのジミー・ジョンソンとキーボードのケヴィン・ヘイズスティーヴ・ガッド・バンドのメンバーでジャズ畑なので、そこかしこにジャズテイストを感じるステージでした。
テイラーも同時代のスティーリー・ダンは当然意識していたでしょうが、本文を弁えて敢えてジャズには触らずに来たのかもしれません。
2000年代に入るとスティーブ・ガッドを起用し始め、今回はマイケル・ランドーからディーン・パークスへとギタリストが変わりました。

ジェイムス・テイラーとスティーブ・ガッド

そこで本題ですが、ギターのディーン・パークスのプレイが職人芸というべき絶妙さで感服した次第。特に彼のバッキングの音からはスティーリー・ダンの世界が時たま顔を出しました。
そして彼こそが、ラリー・カールトンと共にスティーリー・ダンに最も重用されたギタリストなのです。

パークスの参加は、外部ミュージシャンを導入し始めた1974年の「Pretzel Logic」に始まり、「KatyLied」、「The Royal Scam」、「Aja」と4作連続、そして再結成後の2000年「Two Against Nature」と5作に参加。ラリー・カールトンを上回る作品数となる程、絶大な信頼を得ていたのです。

そして、カールトンはリード、パークスはリズムという棲み分けも成されており、多くのアイコニックなソロを残したカールトンに比べると、リズム専任と言うべきパークスは地味で、今回生の姿を初めて観て、彼の学者然としたルックスも認識したのです。

ミュージシャンというより学者然とした風貌

彼の見事なギターは「Aja」Josieのイントロで聴くことができます。

パークスはドナルド・フェイゲンのソロでもある『The Nightfly』にも参加しており、ラリー・カールトンは表の顔としつつも、決して目立たない渋い貢献をしていたのです。

デジタル・レコーディングの走り『The Nightfly』

80年代の音楽シーンに絶大な影響を与えた『The Nightfly』を1982年に出しながら、フェイゲンは11年間の長い冬眠に入り、表舞台からの離脱は1993年の「Kamakiriad」のリリースまで続いたのです。

1981年の6月スティーリー・ダンは活動を休止、そして1982年にフェイゲンは本作をリリースするが、精神的に不調に陥り活動休止状態となります。

スティーリー・ダンの休止はウォルターベッカーの不調によるものですが、
それに続いてフェイゲンも不調と、『Gaucho』そして本作の制作は燃え尽き症候群となるような苦行だったようです。
「心の病」となり80年代の7年間は精神科に通院していたそうです。

1982年に発表された本作は、当時珍しかったデジタル・レコーディングが採用され、3M製の32トラック・マシンで収録。プロデュースはゲイリー・カッツが変わらず担当、ロジャー・ニコルズはエンジニアリング統括に昇格しハードウェア面を見て、エリオット・シャイナーがエンジニアリングを担当しました。

本作には1980年11月に発売された『Gaucho』でも使用された、ニコルズが開発したドラム・サンプラーWendelがさらに進化し、本作の独特なドラム・サウンドが創出されたのです。

Gaucho』ではHey Nineteenリック・マロッタの基本パターンに、スティーブ・ガッドのフィルインを重ねたのが、成功例でした。

ドラムのそれぞれの音は分解されて、曲によっては複数のドラマーの音が切り貼りされたのです。

慣れないデジタルレコーディングや機器の不具合が、知らず知らずのうちに彼の心を蝕んでいたのに、想像に難くありません。

80年代のフェイゲン

『The Nightfly』

I.G.Y.(A-1)

この曲のタイトルI.G.Y.とは、「International Geophysical Year」の略で、1957〜1958年に渡って実施された国際科学研究プロジェクトの名称です。
レゲエのリズムを導入した本曲ですが、シンセの多用によりまったりし過ぎず、当時としては先取り的なサウンドとなっています。
ここでドラムを叩いているのはジェームスギャドソン(James Gadson)とジェフ・ポーカロ(Jeff Porcaro)ですが、ツインドラムではないようです。

James Gadson

ギャドソンはR&Bドラムの第一人者として著名だが、フェイゲンとは初顔合わせながら、オープニングでありシングルカットの重要曲を任されてました。最近ではVULFPECKとの共演で若い世代にも知られる存在です。

冨田恵一(富田ラボ)の著書によればベースになっているのはギャドソンで、その上にポーカロのフィルインをWendelで切り貼りしているらしいのです。

ベースはアンソニー・ジャクソン。前作の「Gaucho」GLAMOUR PROFESSIONで名演を披露したジャクソンはチャック・レイニーに代わり、新たなフェイゲンのお気に入りとなったようです。

アンソニー・ジャクソン

ギターはパークスと共にリズムギタリストとして徴用されたヒュー・マクラッケン。彼もまたパークスと並び5作に参加した強者。
ホーン隊はブレッカー・ブラザーズ

Green Flower Street(A-2)

そのレイニーが参加したGreen Flower Streetのドラムはポーカロ。74年「Pretzel Logic」からの付き合いの2人が参加したこの曲は、最もスティーリーダンらしさが濃厚。さらにPretzel Logicにも参加したパークスもギターとして参加。本作でリードを弾きまくるカールトンがここで登場。2作目にも参加したリック・デリンジャーも参加しており、初期の作品に参加したメンバーが揃います。

パークスはクルセイダーズの「Free as the wind」にもカールトンのサポートで参加、余程相性は抜群なんですね。

Maxine(A-4)

この辺りの曲は不定形を好むウォルター・ベッカーの存在を感じさせないソロならではの、スタンダード調のナンバー。
エド・グリーン(Ed Greene)が別の曲で叩いたドラムパターンをそのまま流用した、という本作ならではのエピソード。

別の曲とは映画「The King Of Comedy」のサントラに収録された  デイヴィッド・サンボーンThe Finer Thingsです。
エド・グリーンのドラムにベースがレイニー、ギターがスティーブ・カーンマイケル・オマーティアンがキーボードで、フェイゲンとValerie Simpsonがコーラス。
本作のアウトテイクと思われます。

New Frontier(B-1)

2枚目のシングルとなったNew Frontierのビデオは初期のMTV の名作としても知られ、トムトムクラブのビデオでも撮られるアナベル・ジャンケルにより制作されました。

ドラムはエド・グリーン。ベースにはフェイゲンと初顔合わせとなるLAの売れっ子セッションミュージシャンのエイブラハム・ラボリエル(Abraham Laboriel)が起用され、ループ感は希薄で本作中最も肉感的なプレイとして富田ラボ氏からも絶賛されています。
ラボリエルは1980年にはディーン・パークスアレックス・アクーニャと共にフュージョンバンドコイノニア(Koinonia)を結成しています。

息子に、ポール・マッカートニーなどサポート・ドラマーで有名なエイブラハム・ラボリエル・ジュニアがいます。

The Nightfly(B-2)

そして本作最高の聴きものとなるのがThe Nightfly

ドラムはジェフ・ポーカロ、ベースはまだ20代前半のマーカス・ミラーという若い布陣。ミラーは前年1981年、マイルス・デイヴィスのアルバム『THE MAN WITHTHEHORN』にベーシストとして抜擢され、ワールドツアーにも参加。80年代の幕開けに70年代の音やグルーヴと差別化を図るべく、新鋭のミラーを起用したのでしょうか。

本作では得意のスラップを封印されたマーカス・ミラー

またポーカロのドラムは微妙に跳ねた16ビートで、ループ感はなく実際に演奏されたものだろうと推測されています。
レコーディングでは珍しくフェイゲンがピアノを弾いています。
WJAZ」というジングルのようなコーラスでフェイゲンとハモるValerie Simpsonは、アシュフォード&シンプソンとして著名。WJAZというラジオ局は当時は想像のものだったが、今はこの曲のオマージュで現存します。

The Goodbye Look(B-3)

キューバ危機について歌われていて、カリプソを取り入れたカリブ的なサウンドになっています。
ドラムはジェフ・ポーカロ、ベースはマーカス・ミラー。ここでもポーカロのサンバ・フィールにリアルなドラミングが味わえます。
ギターはカールトンとパークスのコンビ。

結局ジェフ・ポーカロはサンプリングとリアル含めて最多の5曲で貢献。1974年の「Pretzel Logic」に始まり、「KatyLied」の時にはメンバーとしてもクレジットされたが、「The Royal Scam」、「Aja」は声がかからず苦渋を舐めました。が、本作での重用を見ると、やはりフェイゲンにとってのベストドラマーは人柄も含めてポーカロということかもしれません。

1974年時はツアーメンバーだったポーカロ

本曲は後にジャズの大御所メル・トーメにカバーされますが、フェイゲンにとって誉でした。

True Companion

実は本作の前に知られざるフェイゲンのソロデビュー作があります。「Heavy Metal」(1981)というアニメのサントラ収録のTrue Companionで、ドン・グロルニック、ウィル・リー、スティーブ・ジョーダンで録音。スティーブ・カーンのギターによるインストのようだが、後半にフェイゲンの歌声が聴けます。

そして、同様のリズムセクションで録音されたのがウィル・リースティーブ・ジョーダンによるWalk Between Raindrops(B-4)。グレッグ・フィリンゲインズの弾くキーボードのベースラインにウィル・リーがベースを重ねて、アップライトベースのような音を出しています。今やワッツの後継としてストーンズのドラマーとして有名なジョーダンですが、この頃は一介のフュージョン系ドラマーでした。

『The Nightfly』から復活まで

Century's End

さて「The Nightfly」で「自分の内面をさらけ出しすぎた」と後悔したフェイゲンは、リリース後に憂鬱症となりセラピーを受ける日々が始まります。
そして、長い冬眠に入ったフェイゲンですが、1988年に再会の街として公開された"Bright Lights, Big City" のサントラに収録されたCentury's Endが久々のリリースとなりました。

ジェイ・マキナニーの原作も読んでおり、話題作でしたが映画は期待外れ。音楽スコアもフェイゲンが担当し、復活かと期待しましたが、それも果たされず、また暫く休眠が続くのでした。

また1988年にフェイゲンがTV出演した珍しい映像を発見。本人はキーボードのみで、オマール・ハキム(ドラム)、マーカス・ミラー(ベース)、デヴィッド・サンボーン(サックス)、ハイラム・ブロック(ギター)などが参加し、最後にはパティ・オースチンI.G.Y.を歌い上げます。

フェイゲンにNYで遭遇!

さて、前回に書きましたが、自分は96年にアメリカ貧乏旅行を敢行し、その際に訪れたNYの魅力にハマり、その後毎年のように訪問するのです。

そしてそれは1991年5月のことです。
とある広告代理店にプランナーとして採用されていた自分は、数回目のNYを訪れたのです。
ホテルにチェックインしVillage Voiceを開いて、その期間のLiveのスケジュールをチェックするのが習慣でした。
NYに到着し、その夜のLiveスケジュールを見て仰天したのです。
そこには忘却の彼方にいたDonald Fagenの名前が確かに演者として記載されていたのでした。
ネットのない時代で全く消息不明になっていた彼の名前を見て、狂喜乱舞したのです。

しかもBottom Lineという小さなライブハウス。(2004年1月に閉館)
LiveはFive Songwritersという題目で、フェイゲン名義ではなく、複数人の合同で開催されました。
フェイゲンがピアノで、アル・クーパーがシンセサイザー、ダン・ペンが生ギター、スプーナー・オールダムがキーボードという豪華なメンツ。
到着した日だが時差ボケで朦朧としつつもBottom Lineに着くと長蛇の列。
何とか入場し、初フェイゲンを目撃しました。
Black FridayHome at last、そして本作からGreen Flower Streetを披露。
生きていて、動いている彼と初遭遇し、夢見心地でした。
翌日街を歩いていたらクーパーと遭遇しサインを貰うオマケ付きでした。

New York Rock and Soul Revue

そして、帰国して5ヶ月後の10月に「The New York Rock and Soul Revue」というLiveアルバムがリリースされます。
ドナルド・フェイゲンが座長となり、マイケル・マクドナルドボズ・スキャッグスフィービー・スノウという凄いメンバーが集まり、バンドには
ウォルター・ベッカーもギターで参加したのです。

垂涎のメンバー

リビー・タイタスとの結婚

リビー・タイタス(Libby Titus)というシンガーソングライターがいます。
1977年リリースの「Libby Titus」にはボニー・レイットでも知られる名曲Love Has No Prideが収録されています。
そして彼女はレヴォン・ヘルム夫人でもありました。

Eric Kaz/Libby TitusによるLove Has No Prideが収録されたLP

ヘルムと離婚したタイタスは1987年にフェイゲンと出逢います。
タイタスは前述の「New York Rock and Soul Revue」の仕掛け人として、フェイゲンの復活の手助けをします。フェイゲンは1974年から離れたライブ演奏への熱意を、タイタスが再燃させたと称賛しています。

完全復活したフェイゲンは1993年にソロ2作目の「Kamakiriad」をリリースし、プロデュースをベッカーに依頼、遂に2人はヨリを戻したのです。

そして、同年フェイゲンとタイタスは結婚し、夫婦になったのです。
Kamakiriad」にはタイタスの前夫レヴォン・ヘルムとの娘エイミー・ヘルムも参加し、義理の娘とも仲睦まじい所を見せました。

レヴォン・ヘルムとリビー・タイタスの娘エイミー・ヘルム

そしてスティーリー・ダンを再始動させツアーを開始。
1995年にはLiveアルバム「Alive in America」をリリースするのです。

1974年からLiveを休止していたスティーリー・ダンがLiveを再開し、再現不能といわれた「Aja」のサウンドをLiveで演奏することは大きな話題となりました。

1994年4月初来日し自分も国立代々木競技場第一体育館で彼らを初目撃したのです。

10年間の休眠と言う大きな代償を払いながら、Liveなミュージシャンとして再生したのです。

また、2012年4月、レヴォン・ヘルムがこの世を去った時には、彼の前妻リビー・タイタス、娘エイミーと共にリビーの夫としてフェイゲンも、今際の際に立ち会ったのです。

最後に歌詞やジャケットの世界観はこの方の解説が最適です。


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