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Vol.8 好きな先生に会いに行くことと異なる人と一緒にいたくなることと ~ヘラヴェダガマおぼえがき その5~

今回のよもやま話は、ヘラヴェダガマ医の患者への向き合い方や、異なるものを取り入れる一貫としての友達について。

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さき: 手術や検査は、先生の技術や病院の設備や知名度を気にする人が多いけど、かかりつけのお医者さんの場合は、先生の人柄や、自分との相性で決めるってこと、実は多いよね。

たま: いじわるな先生イヤだよ。風邪やちょっとした怪我だったら、どこで診てもらってもほとんど同じと思うから、やさしい先生がいいよ。

さき: うんうん。いまでもさ、そういう肌感覚は残ってるじゃない?気に入ってる先生に診てもらうために、みんな結構遠くまで行ってるんだよね。その距離が、私が想像していたよりもっと長くて。医師に会う時に、この先生が好きとか安心するとかっっていう感覚を大切にする気持ちは、いまだにちゃんと存在しているんだと思った。

たま: だって、自分の身体を粗末に扱われるのって、相当なダメージ受けるから。

さき: そうそう、そういうことなんだよね。ヘラヴェダガマの先生ってさ、やさしい口調で「どうしましたか?」なんて絶対言わないけど、患者さんのことを粗末に扱おうとしている感がまったくないよね。

たま: ないない。そっけなかったりもするけど、ていねいに扱おうとしているのがわかるよ。

さき: そうなの。ていねいっていっても、笑顔とか、猫なで声とか、そういうのではないんだよね。それでも、わかるんだよね。ヘラヴェダガマの先生って、患者に変に同情もしないけど、身体にできた腫瘍や臓器などを「もうそれ、切っちゃうしかないんじゃないですか?」っていうような雑な対応もしないよね。

たま: スタンスが一定なんだよね。好き嫌いや損得で動いてない感じ。それも宇宙との契約だからなのかなあ。

さき: 患者さんが行列して待ってるのに、お腹がすいたらお昼に家に帰っちゃったり、結構長いこと休憩したりしてるじゃない?こちらとしては、そういう姿にドキドキしちゃうの。でも人間同士の契約じゃなくて、宇宙との契約だから、約束の守り方も違うんだろうなと。

たま: 彼らのルールを、こちらの基準で推し量るから、びっくりしちゃうんだよね。

さき: 人間的には不義理だけど、宇宙的には筋が通ってる、みたいなことってあるよね。

たま: そうなんだろうね。なんかね、そういう、理解不能なものに触れておくってことが大事な気がするの。理解を越えたものがあることをつい忘れちゃうからさ。

さき: 異なるものを取り入れることで、人って生きながらえてきたでしょ。純血だったら滅びていたかもしれないけど、混ざっていくことで、川幅が広がっていったと思うの。
わたしは実は、異なる人、違う考え方の人と一緒にいたくなってしまうという癖があって・・・。ちなみに、いや、だからなのか、私にとって大好きな友人同士を紹介しても、友人同士は全然違うタイプだから合わなかったり・・・むしろ逆に合わなすぎて喧嘩になっちゃったりして・・・。

たま: なにそれ、おもしろいね。考え方が全く違う人と、仕事やお付き合いで時々一緒に過ごすのは楽しめるけど、友達として積極的に一緒にいたいかとか、興味や心地よさを感じ続けられるかと言われると、私自信ないな。さきちゃんは、考え方が違う人と一緒にいることが心地いいの?

さき: やー、どうだろう。心地よさよりも、好奇心の方が勝ってしまうのかも。「この人はなんでこんな風に考えるんだろう?」「この人といるとこういう景色が見えるんだ」っていうのを知りたくて、近づいてしまう(笑)。とはいえ、1対1が基本でして。

多分、カウンセリングも施術も、その人を無条件に受け入れること前提の仕事だから、わたしにとって、人と会うのは、全部その延長なのだろうな。まず受け入れたうえで、どの部分がその人の美や味わいなのかをさぐっていって、そのジューシーな部分をシェアし合う醍醐味が、わたしにとっての友達なんだと思う。

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次回はいよいよ「ヘラヴェダガマおぼえがき」の最終回。ヘラヴェダガマの先生たちにもう一度会えるとしたら…についての雑談です。

photo by Satoshi Osaki

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