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約束の実現は突然に

「病気は突然やってくる」と言います。医者からすれば、それは突然のことではなく、身体の中で不調が蓄積するなどした結果なのですが、患者にとっては、自分の目に見えないところで起こっていることだし、しるしがあっても気づかない場合も多いので、病気が見つかった時には、突然だと思えるものです。

7年前、私がパソコンを操作していた時、体がしきりに痒くなり、掻いたところがミミズ腫れになりました。文字通り、かなり太くて大きいミミズのような形に、ぷっくりと皮膚が盛り上がったのです。そんなことは生まれて初めてであり、それまで何のしるしもなかったので、まさに突然のことでした。

しばらくすると収まったものの、その後も同じ症状を繰り返しました。病院では、アレルギーか内臓疾患の可能性があるとのことで、3ヶ月にわたり、いくつかの検査を受けましたが、原因が特定できないのです。抗アレルギー薬を飲むと症状が収まっていたので、それを普段から飲み続けて様子を見ることになりました。

癒やしのために祈った時、私は「これは治る」という確信をいただきました。それは、神から私への個人的な約束のようなものです。(何かについて祈るたびにそのような確信が与えられるわけではないのですが、この件に関してはそうでした。)

そこで、時々(医師と相談の上)薬を1~2日抜き、皮膚を引っ掻いて反応を見てきました。薬のおかげで最初の時ほどひどくはないものの、毎回しっかりとミミズ腫れにはなります。

ところが1ヶ月前、久しぶりにチェックしてみると、少し赤くなる程度で、まったく腫れないのです。それ以来、一度も薬を飲んでいないけれど、症状は出てきていません。

何のしるしもなく突然に病気になり、突然に治ったという、不思議な感覚ですが、私の目に見えないところで神が働いておられたことは分かるし、すぐに治らなかったことにも何かいい理由があるのでしょう。

ペテロ(ペトロ)が「主の来臨の約束」(イエス・キリストが再び来られるという約束)について語ったことを思い出しました。

愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。主の日は盗人のようにやって来ます。

(2ペトロ3:8-10 新共同訳)

その時が来れば、神の約束はまるで「盗人」が来るように突然に実現しますが、その間も、神は私たちの目に見えないところで常に働いておられます。

また、神の働きやご計画は、私たち人間の時間感覚では測れません。私たちは時間の流れの中の「今」を生きていますが、時間を創造された神にとっては、過去も未来もなく、常に「今」であり、約束の実現をすでに見ておられるからです。

だからこそ、聖書はこのように告げているのでしょう。

何事でも神の御心にかなうことをわたしたちが願うなら、神は聞き入れてくださる。これが神に対するわたしたちの確信です。わたしたちは、願い事は何でも聞き入れてくださるということが分かるなら、神に願ったことは既にかなえられていることも分かります。

(1ヨハネ5:14-15 新共同訳)

神の御心に適うことを願ったなら、神からすれば、それはすでにかなえられており、ただ私たちの目にはまだ見えていないだけです。

蕁麻疹じんましんを発症して7年後、神がこうして突然に(でも、私の見えないところで働きをなすことによって)約束の実現を見させてくださったことを、心から感謝しています。あきらめずに信じ続けることの大切さを実感しました。

だから、自分の確信を捨ててはいけません。この確信には大きな報いがあります。神の御心を行って約束されたものを受けるためには、忍耐が必要なのです。

(ヘブライ10:35-36 新共同訳)



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