見出し画像

恐れについての10の聖句

神は、人間に恐れという感情を与えることによって、危険を避け、自分の身を守れるようにしてくださいました。

しかし、過度に恐れると、心の平安が奪われるし、大胆に行動に出なければいけない時にそれができなくなってしまいます。

恐れるものは危険だけではなく、人から裏切られたり一人ぼっちになったりすることへの恐れもあれば、失敗することへの恐れもあります。

また、健康、仕事、愛する人などを失ったらどうしようと、将来について不安になり、恐れることもあります。

誰もがいつか、そういった恐れを抱くことがありますが、神はそんな私たちの弱さをよくご存知なので、聖書の中で何度も「恐れるな」と励ましておられます。

恐れる時に、すべきこと

わたしが恐れるときは、あなたに寄り頼みます。・・わたしは神に信頼するゆえ、恐れることはありません。(詩篇56:3,11)
わたしが主に求めたとき、主はわたしに答え、すべての恐れからわたしを助け出された。(詩篇34:4)

恐れにとらわれそうな時は、まず祈り、神に信頼することです。

神は近くにおり、私たちを見捨てない

神はわれらの避け所また力である。悩める時のいと近き助けである。このゆえに、たとい地は変り、山は海の真中に移るとも、われらは恐れない。たといその水は鳴りとどろき、あわだつとも、そのさわぎによって山は震え動くとも、われらは恐れない。(詩篇46:1-3)
主は、「わたしは、決してあなたを離れず、あなたを捨てない」と言われた。 だから、わたしたちは、はばからずに言おう、「主はわたしの助け主である。わたしには恐れはない。」(ヘブル13:5-6)

幼い子が親のそばにいて安心感を覚えるように、私たちも神がすぐそばにおられると分かっているなら、安心して行動することができます。

神に愛されている

大いに愛せられる人よ、恐れるには及ばない。安心しなさい。心を強くし、勇気を出しなさい。(ダニエル10:19)

神に愛されているという事実が、私たちの心を強めます。

人から攻撃された時

主がわたしに味方されるので、恐れることはない。人はわたしに何をなし得ようか。(詩篇118:6)

神が私たちの味方! なんと心強いことでしょう。


自分が弱くちっぽけに感じる時

あなたの神、主なるわたしはあなたの右の手をとってあなたに言う、「恐れてはならない、わたしはあなたを助ける。・・虫にひとしいヤコブよ、イスラエルの人々よ、恐れてはならない。わたしはあなたを助ける。」(イザヤ41:13-14)

右の手は力の象徴であり、神は少し前(10節)に、「わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わが勝利の右の手をもって、あなたをささえる」とも言われました。

自分は虫けらのようにちっぽけな存在だと感じても、神の力が私たちの力を支えてくれます。

生活に不安を感じる時

何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。(マタイ6:25-26)

神が私たちを愛し世話してくださると気づく時、現在や将来に対する不安は消えていきます。

人を導く立場に立たされた時

主はみずからあなたに先立って行き、またあなたと共におり、あなたを見放さず、見捨てられないであろう。恐れてはならない、おののいてはならない。(申命記31:8)

モーセが後継者ヨシュアに、それまで自分が導いてきた数百万の民を託して語った言葉です。

それだけ多くの人たちを導かなくてはいけないと考えると、不安になるのも当然ですが、神が共にいてヨシュアを導くので恐れる必要はない、とモーセは言いました。

危険が迫る時

たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。(詩篇23:4)

数多くの危険に遭いながらも、その度に神に助けられ、救われてきたダビデ王の言葉です。

上にあげた聖句の多くにあるように、ダビデにとっては、「神が共におられる」ことの方が、目の前にある危険よりもはるかに重要な事実だったのです。

私たちが恐れに押しつぶされそうになる時、神はいつも私たちのすぐそばにいて、助けの手を差し出しておられることを、どうぞ覚えていてください。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?