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かつてはINFP/230913



相棒の寝癖と生配信をしていて「自分はたぶん昔はINFPだったんだろな」と思った

もちろん作られたINFPなんだけど、結果的に一部分は染み込んで消えない性格となり、一方では「やっと仮初の姿を辞められた」と胸を撫で下ろしている自覚がある

だから寝癖と話していると過去の自分と話している感覚によく陥いるのだ

そして、この一年で自分はすごく成長して、
そしてそれは男性たちがそうしてくれたのだとわかった

▼結局なんにもお悩み相談しておらぬ詐欺タイトル

頼ることを知らなかった


ラジオでも寝癖が言っていたけど「どこで頼れば良いかがまずわからない」状態に陥っていた

頼ったこともないし今まで自分でやってきたし、自分が困っている状態そのものがまずわからない

これ本当にそう

とにかくいっぱいいっぱいではあるけど、頼るという発想がまず無いから、当たり前に自分で抱えることとなる

まさに私もほんの一年前はそうで、そもそもいつ頼ればいいかわからないし私の場合は拒絶されてきた経験も多いので自衛のため、もあった。

その分厚いガードを破って懇切丁寧に教えてくれたのは、過去の男性たちだったと話していてわかった


懇切丁寧に教える


その状態で39年生きてきたので頑固にもなっているし傷つきたくないし、強がるつもりはなくてもそうしかやり方を知らないわけで

だけど何人かの男性がそれを「その状態はまず人に頼ろう」とタイミングを何回も何回も何回も教えてくれた。

「まずは思っていることをそのまま言えば良い」とも

まず「思っていること」がわからないので探すところからだった。

印象的なのが、とある男性の前でパニック発作を出してしまった時

具合が悪い=悪、と思ってしまっていたのでそれも相まって余計に具合が悪くなってしまった。
すると、治るまで何時間もかかったのにとても優しく丁寧に看病をしてくれて、しかもその方法もとても理にかなっていた。

ま、精神科医だからなんだろうけど

それでも、いつも憎まれ口をきくのに一切それがなくなって、夜中に根気よく看病する彼の姿にすごく感動してしまったのだ。
後日お礼を言うと「べつに」みたいな、でもまんざらでもなさそうであ、大丈夫なんだ」と思った。

発作ではなく他にもそういうことが何回もあって、
その時の安堵感をよく覚えている

当たり前に人が持っていて良いこんな小さなことを、回数を重ねて、こうして身体と心両方で覚えていった



とりあえずやってみる


その他のひとつは去年、体調を崩した時

親友に「とりあえず歩け運動しろ」と何回も何回も言われて「わかったこれで具合悪くなったらきみのせいだからぁ!」と半ばキレて「ほら具合悪くなったろうがぁ!」と言うためのウォーキングを始めたら、良くなってしまった。

しかも素直に認めた

私の価値観てまだまだ凝り固まってるね?

いつも「自分の常識なんてたかが知れている」と思っているけど、こと自分のこととなると「私が一番私のことわかってんだからぁ!黙ってろ!」となっていたのが変わった。

とりあえず言われたことやってみればよくない?

だって今の私の周りの人って明後日のこと言わないし、アドバイスってありがたいし

アドバイスを求めているのでそういう時に共感だけされても「いや解決策求めてんのよ」のフラストレーションが39年あったのでその徒労感も味わいたくなかった。

でも今は違う

自分に嘘をつかないで付き合ってる人しかいないから、だとしたら私のために言ってくれてるし、少なくとも私のことを考えて言ってくれているのだから、一回くらいやってみても良くない?

やってみてから「違う」て言えばよくない?

それが相手への尊重よね?

だって、私がそうされたら嬉しいもん



私こそが誤解していた


「誤解されやすい女たち」というラジオタイトルで「わかってねぇなあ!」みたいな態度のくせに、私も誤解していたのだ

もちろんそう思うに至った経験が沢山あるからだけど、今は必ずしもそうじゃない人もいるんだとわかることができた。

私から見てもかなりの労力をかけて教えてもらって「そんなことまでしてくれて」と思うことも沢山あったからだ。

「もう少し人を信じても大丈夫だよ」

これを1年間で一体何回言われただろうか。
「そんなわけない!」と思っていたし、そうではないと私が今まで見てきたことが間違いだったことになる。
そんなことは認めたくない。

だから人は今まで通りでいてくれないと困る

深層心理ではそれを思っていた。
だけど違う人もいるとわかって、別に意地を張らなくても目の前にいる人たちは過去の人たちとは違う。
それを認めたからと言って私が間違いなわけではない。

「違う人もいるんだ」思えばいいだけの話なんだとわかった。

それに今思えばそうしようとしてくれる人もいなくはなかった。
ただ、私に響くアプローチ法ではなかっただけなんだ、と。


任せてしまえばいい


今年に入ってから仕事でもプライベートでも任せる/頼ることができるようになってきた

諦めた「任せる/頼る」ではなくて、完全に相手に委ねる、だけどできなくても別に良いよ、という気持ちになってきたのだ。

一人で結論を出さなければいけないという強迫観念が消えて「んー、任せるよ」と言うことがかなり増えて、その時思っていることをそのまま言えるようにもなった。

「つらい」だけでも「悲しい」だけでもいいんだとわかって、まず状態を伝えないととわかり、一人で無理矢理「辛いけど大丈夫」と結論をつける必要もない、ともわかった。
何かを投げかけたらいいんだ、と。
そして気分よく任せるようにもなれた。

結果は大成功だった

そしておそらく、INTJENTJになったのもそこが大きく関係していると分析している

委ねられた人は「任された/頼られた」と信頼を抱くらしく、できてもできなくても、答えが出ても出なくても私が喜ぶので「もう少し自由にやってみようかな」「もう少しやってあげようかな」という自立心も出てくるとわかった。
能動的になれるらしい。

そして何より、私の労力もストレスも減る

これは盲点だった

「じゃあ任せた方が楽じゃん」とやっとわかって、今は仕事でもプライベートでも「ここまではやるけど、あとは私の範疇ではないから、余力があればやろう」「とりあえず投げかけてみよう」と思うようになり、そうなると相手の私への優先順位ももっとハッキリ見えるようになった。


簡単ではない


だけどこうなるにはかなり時間がかかったし、自覚していないけど今でもまだやりすぎるところもあると思う。

お節介ではなく、面倒見が良い、くらいにまずはなろう

相手に期待せず、だけど委ねられるところは委ねてみよう

面倒を見られてみよう

今はそう思うようになった。
単純にラク。

自分が思うより人は優しいし、
自分が思うより人は私を大切にしてくれる


そこを認めることは何もおかしいことではないし私の間違いでもない

だけどこの感覚は中々伝えることが難しい、とも思う

でも難しいからやりたい


かつてINFPであっただろう私だけど、寝癖がこうだとは思わない。
結果的に同じだとしてもそこへの道筋/原因は全員違う。

だけど本当に過去の自分と話している錯覚に何度も陥ったので、こんな私と10年も仲良くしてくれる寝癖夕波のようなキャンペーンを始めようと思った

そして何より、私が出会った人たちのような人と出会えることを願っている


▼好評のうちに終了した夕波へのキャンペーン

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