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自己紹介。目の前のことに集中してたら思わぬ道へ

はじめまして!中村大希(なかむらたいき)と申します。

2024年6月までの独立を目標にしている

ブランドプロデューサー

です。

自分は今まで色んな人とお会いする中で、

いい人、いい商品、いいサービスなのに
何故かその魅力が伝わってこない。

と思うことが数多くありました。
凄く勿体ないなと

人、ものの善さが正しく伝えれて、
正しく魅つかるようになればいいな

と思っていて、
そのために魅力を整理し、
誰に伝えていくのか、どう伝えていくのかを考える必要がある。
そして、その魅力や大切にしている思想を伝え続けることで、
ファンがつき、人から愛される唯一無二のブランドへ。
自分はそうなるためのサポートをしていきます。

人の表現の輪を広げる。

これは自分自身に課したミッションで。
その人(商品、サービス)がその人らしい表現ができるように何かヒントになるような投稿が出来ればなと思ってnoteの発信を続けています。
自分の成長日記も兼ねて。

ちょうどサービスもスタートさせるということもあり
改めて、
そんな自分はどういう人間なのか?
なぜそう思うようになったのか?

そんなことを語らせてください。


大学入学:たまたま入ったボランティアサークル

当時18歳。
周りの流れに身を任せるように大学の理工学部に入学しました。
何がやりたいかも分からず入学したので、
就活を少しでも有利に進めるためにも
とりあえずボランティアサークルに名前だけでも置いておくか
と思い、友達と一緒にいくつかあるボランティアサークルのうちの一つに入りました。

正直、ボランティアなんてどうせ自分のためにならないし、人のために自分の時間を捧げてやるなんて正直気が進まなかったので、
他にやりたいこと見つけて充実したキャンパスライフを送ってやる!
と普通の大学生みたいなことを思ってました。

そこでの経験が人生の選択を大きく変えることになるとも知らずに。

実は自分が所属したボランティア団体はIVUSA(イビューサ)という団体で。
詳しくは👇🏻

全国に90以上の大学に支部を持ち、
3500人の学生会員を持つ全国最大のボランティア団体でした。
(当時)

元々、災害救援が始まりで大きくなっていった組織なので、今でも災害救援が強みのボランティア団体なのですが、
自分が入学した年は
九州北部豪雨災害が発生した年でした。

その災害救援にたまたま自分の予定が合い、
参加することになるのですが
そこでの経験が衝撃的で。。

災害現場のことはよくテレビで見てたし、
ある程度知ってると思ってたんです。
でも、実際に行ってみると自分の想像というか、テレビで見てた被害の体感10倍増しで現地はダメージを受けてました。
こんなにも違うものかという衝撃が大きかった。

活動内容としては家の中まで土砂が来ている状況なので、その土砂を掻き出す作業をしていきます。
言い方が悪いのですが、
最初、自分たちは被害を受けた可哀想な人たちを助けにいく
という気持ちで現場に入ってました。

だけど、自分たちが頑張れば頑張るほど、
被害に遭われた方に感謝を言われ、
差し入れを頂き、
自分たちが現地の方へ元気を届けるためにやってははずなのに
僕たちが逆に元気を頂くというなんとも不思議な感覚を味わいました。

救援に入らせて頂いたお宅


この経験から
人に徹底的に尽すと
自分の心が満たされ、満足感を得られる

という楽しさを知り、ボランティアに精を出すことになります。
誰かのために動くという尊さを知りました。

これが

人の表現の輪を広げる

ということの原体験なのかもしれません。

大学生:そして色んな経験を、、

ここからボランティアにどハマりしていきます。
この団体の特徴は

学生がボランティア活動を1から企画し、運営する。

ということにあります。
もちろん、NPO法人なので事務局というバックアップして下さる大人の方はいるのですが、
基本全て自分たち学生。

大きい団体なので、メインの活動は100~200人規模のボランティア活動で2泊から3泊しながら、夏休み、春休みに行っていていました。
沢山活動がある中で自分が参加したい活動に応募し、参加する活動を決めていきます。
活動内容も多岐に渡り、

地域活性、環境保護、国際協力、災害救援、子どもの教育支援など。

その中で希望する人たちが

リーダー、車両の手配、食事の用意、お金の管理、企画の準備、勉強会、当日オペなどなど

の担当に分かれて当日までに準備します。

自分も沢山の活動に参加させてもらい、

カンボジアへ国際協力

凄く現地の子供たちに囲まれた

西伊豆の町おこしでフェスの統括

ステージの責任者

児童養護施設の子どもたちと

何故かにらめっこ

琵琶湖で400人で外来植物除去

すごい人数

これ以外にも沢山の活動にかかわせてもらい活動の中で、
200人のリーダーもやったし、
5人のチームをひいきてセクションの統括もやったし、
企画もやった。

ここには到底書ききれないことを経験させて貰って、今振り返ると、
組織を動かして目標を達成するマネジメントの基礎を叩き込まれたなと。

学生の頃って、お金を払ってもらって動いてもらってるわけで、
今思えばかなり難易度の高いことしてたなと思います笑

ここでのリーダー経験は

人と徹底的に向き合う。

この大切さを学びました。
誰よりも徹底的に人と向き合ってきたし、
しっかり向き合えたメンバーとは今でもちょこちょこ連絡取るくらいの仲。

逆に関わり方を間違えて沢山嫌われたし、
OBの大人たちに徹底的に潰される経験もしました。

このボランティア団体での経験から
プレゼンする機会も沢山頂いたし、
人の心を動かし行動させるにはどうしたらいいか?を考えたし、
人が成長するためにはどう関わったらいいか?を考え続けた3年間でした。

酸いも甘いも全て経験してきました。
今の自分の基礎、土台となる力をつけさせてもらいました。
かけがえのないいい思い出です。

だからこそ、この時期を超えるくらい今楽しい!
と言える人生にしたい。

自粛時期:コロナと迷走

そして、大学3年生の終わりからコロナが流行。
活動の予定もすべてなくなりました。
(内定は貰ってたので就活もない)

暇なちょうどのタイミングで、
4年生の夏に友人からの誘いで
ネットワークビジネスを始めました。

今思えば本当に無知すぎたなと思います。
何も知らずに稼げると言われ、高額な商材を買い、友達に声をかけまくる日々。
今振り返れば、コロナで何もすることがなくて
なにかしなくてはと焦ってたんだと思います。

3ヶ月やって
100人近く声掛けて入ったのはゼロ。
心折れたし、
そのネットワークの中身を良く知ってみるとやる意味ないじゃんって気づいて辞める。
(今は一切やってない)

そこからビジネスから一旦手を引けばいものを
ビジネス系のマッチングアプリに登録して
何かいいビジネスは無いか探す日々。

でもこういう時って情弱がカモられるんですよね。
何も知らない自分は
これは稼げるかも!!
と思うものを買っては失敗。
次こそはと負債を増やしながら挑戦。

あの時はマジで迷走してました。
人に会えば仕事を貰えると思ってたし、
人に合えばお金を稼げると思ってました。、

だから1ヶ月で新しい人60人に会ってた,
元々知り合いも含めると月100人近く。

当時の予定表。オレンジとピンクは全て人と会う予定


目的もしっかりしてないのに、こんなに人に会いまくると本当に何が正解か分からなくなってくるし、
自分のよさがマジで分からなくなってました。

我ながらこの時はよくやったよ。

何がエネルギー源だったのか?って考えると、
負けを認めたくなかったんだと思います。

利益作ろうとして、負債になってるし。
なんとか行動量でカバーして何とかしないとって。
でも結果を見てみると、

お金を稼ぐのも失敗。
この時やったイベントも失敗。
お金を頂いて頼まれた仕事も失敗。

大学生時代で培ってきた自信は全てここで折られました。
でも、これで良かったと思ってます。

だって、失敗する前提で全力で挑戦できるようになったし、
失敗する人間なんだからとにかく恥も惜しまず見せに行くっていうマインドは刷り込まれました。
プライドがいい意味でマイルドになった気がします。

それに、このこの時代に会った人達はほとんど独立して、ビジネスをして生きてたから
それに憧れて、独立しようとここで決心しました。
沢山の人に会った、色んな考え方をしてる人がいることを知ったし、人生の生き方の幅が広がりました。

ただ、この時は迷走しまくっていて、
やりたいこともないのに、
独立が正義!!
死んだ目をしてる会社員は悪!!

みたいな感じになっちゃって。。
会社員を何も知らないのに
内定蹴って独立するんだ!!
って勇者モードに入ってしまってました。

会社員も悪くないどころか、
めちゃくちゃいいぞ!
死んだ目をするかどうかは自分次第!

あの時に独立を止めてくれた人には感謝しかない。。

大学4年生の1年間はコロナがあったから
友だちとも遊べず、
やることも無く
って感じで。

だからこそこんなに迷走できた1年ではあったなと。

けど!!
死ぬほどお金に対するストレスはかかったし、
泣くほど悔しい思いはしました。

稼げる人を見て、
自分もああなりたいけど、今はなれない。
ということを嫌という程思い知った1年。
自分の力不足で負けをまるっと受け入れないといけなかった1年でした。
(この影響(ストレスかなにか)でこの後1年間は新しい人とめっきり会いにいけなくなった。)


社会人:入社そして忍耐

大学3年生後半には内定を頂いていた会社で
システムエンジニアとして働くことになりました。
内定を蹴っての独立はやめたものの、
3年を目処に独立と決めての入社。

自分はどうも理想が高い人間らしく、
会社に入ってからはその理想と日々の現実とのギャップの激しさに苦しみました。

このことに関しては別の記事を見て欲しいです。


なおかつ、独立のために自己成長したいのに定時で帰れるという、なんとも成長しがたい環境。
正直、ボランティアやってた時の方が働いてた。
しかも、叱ってくれる人もいない。

これは自分でその環境を作るしかないと思い、
とにかく入社してからの1年半は
目につくもの、出来そうなこと、
なんでもやってみました。

個人でWEB制作
Androidアプリ制作
絵を書いてみる
100キロ歩くイベントに出てみる
麻雀を初めてみる
お金を払ってセミナーを受けてみる
尊敬してる人に会いに行ってみる

とにかく、手当り次第。
ただ1つ希望だったのは、
やりたいことを見つけるためには3年は必要とやまけんさんという方が言ってらっしゃって、
(アート型ビジネス)


それを信じて色んな経験を積み重ね、
何が向いてるか試してきました。

その中で、一番自分がやっていて楽しかったのが
楽器のチェロ。

チェロってこんな楽器!


チェロを習うきっかけはおしゃれな近所のカフェ。
月一回プロのバイオリニストの方が来て、演奏するイベントが開催されているカフェでした。

そのイベントに何回か参加し、演奏者の方とも仲良くなり、
コロナ渦ということもあって、何かやれることないかなと探していた時期も重なって、面白そうだし楽器やってみようと。

最初はバイオリンがいいなーと思ってたんです。
持ち運びやすいし、楽器を買うことになったとしてもそこまで高くならない。
ピアノとかだとできる人多いし、今からやるのであればみんながやらなさそうな楽器がいいなと。

ただ、カフェのマスターがすでにバイオリンを習い始めてたんです笑

なので、仲良くなったバイオリンのプロの方が一言。

「マスターもすでにバイオリンを習ってるから、このカフェでは役割はない。お前はチェロが似合ってる。チェロをやれ」

と。
まあ、そんな風に言われたら返事は

「はい!そうします!」

になりますよね笑
なので、半分ノリで始める楽器がチェロに決まりました。

そのチェロが後に自分の人生を変えるほどの経験をさせてくれるとは思いもしませんでした。
そんな中チェロに続くもう1つの転機が。

転機:チェロのクラファンとコンサート

社会人になって
1年半。あれは2022年8月中旬。
ある方の講演会を聞きに行って、その後の懇親会に参加しました。

ちょうど将来独立のためにお金の勉強をしないとなと思ってた頃でした。
その懇親会に来ていた経営者の方のお話の中で出てきたクラウドファンディング。

社会人でもできて、なおかつ目標達成しなかった場合お金を頂かないということにしたら、
リスクなく体系的にお金の勉強ができる!!

と思いクラウドファンディングをやってみることを決意。
内容はちょうどその時習い始めたチェロを買うためがいい。面白いし笑
クラファンをやることが目的だったんです。

打ち出し方は

『音楽初心者がチェロを習い一年後にミニコンサートを開催するためにチェロを買いたい』


このクラファンで目標金額10万円に対して
12万8千円の支援をいただきました。

何とか成功はしているものの、

事前準備はグダグダ
リターン設計が甘い
打ち出し方下手くそ

など、
初回ボーナスでなんとか無理やり達成させたという感じでした。

お金をいただくってこんなに難しいんだと痛感した経験でした。
ただ、これで終わりじゃない。

まずは支援していただいたお金で、

チェロを買い、

自前のチェロ!良い!!


コンサートに向けての練習をしないといけない。
しかも、本番では7曲もやらないといけないという鬼畜っぷり
(自分で決めた事だけど、今だからこそ鬼畜って思える)

会社から帰ってきたら用事がない日は毎日練習。

支援していただいた場所へは積極的に下手くそな演奏を見せに行く。

本当に何やってんだかって。
冷静になれば思います。

でも、宣言してしまったしって。
自分のケツを叩いて向き合う。
せっかくやるなら全力で。

ビジュアルも全力で。これで逃げれなくなった笑


2023年10月にやったコンサートは結果、
60人の方にきていただけて、会場はパンパン。
大成功。
ここら辺の細かい話は別記事に書いたので時間がある方は見て欲しいです。


ここでの成功体験は
来てくださったお客さんが感動してくださるものができたということ。
このコンサートに沢山のチップを頂けたこと。
そして、どんな結果になっても後悔しないと言い切れるほど努力出来たこと。

この経験から、
どういうものに人は感動するのか?
どういうものに人はお金を払うのか?

が言葉にできない所もありますが、
理解がかなり進みました。

今まで独立のために勉強してきたこと、
経験してきたこと
全ての点が繋がり線になる感覚。

コロナになってから、失敗ばかりで
3年かかってようやく掴んだ成功だったなと。

そして、現在
この今まで経験したこと、勉強してきたことを元に
誰かの表現の輪を広げていける伴走者で
あり続けたい。

色んな人に学ばせてもらって、
見せていただけた景色を自分のものだけにしてしまうのはあまりに勿体ない。

これは完全に自慢になってしまいますが、
ここに書いてきた、いかなることにも

そのとき持ちうる全ての力を使って向き合ってきた自信があります。
それが、間違った努力で結果が出なかったこともあるし、
結果を出すことが出来たこともある。

ただひとつ言えることは、
結果が出るまで努力を辞めないし、
向き合うことを諦めない。
(それが行き過ぎて自分を苦しめることも多々ありますが笑)

自分が自分で在るための表現を。
これからも全力で挑戦し、向き合っていきます。

最後に

現在、自分のこと、商品のこと、サービスのこと
をどう上手く伝えていくか分からないという方は是非一度お話聞かせて欲しいです。
ブランディングという文脈なのか、分からないですが、なにか力になれることがあるかもしれないです。

自分の公式LINEを作ったので是非登録して、
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こんなに長い記事を最後まで読んでくださりありがとうございました。


2023年12月10日
中村大希

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