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若い頃に社会人の常識としてものすごく怒られたこと

私は人柄が良いとよく言われる一方で、社会人として常識がなってない!問題児だ!とよく怒られます。

寛容な人とは仲良くできるけど、常識云々にうるさい人、他人の粗探しをする人、重箱の隅をつつく人からは徹底的に嫌われます(この手の人が嫌いな人は少なくなさそうですが)。

タイトルは若い頃にとついていますが、未だに社会人としての常識は全くなく、常識がないと怒られます。

しかし私は社会人としての常識がバカバカしくて大嫌いです。今回はそんな私が大嫌いな常識について、若い頃に散々怒られまくったことを挙げて行きます。


仕事は苦痛と忍耐

仕事は苦痛と忍耐というのは当たり前かもしれません。仕事が趣味のように楽しかったらいいでしょうし、友達同士で仲良くするようにできたらいいでしょう。

しかし現実の仕事は理不尽が沢山あり、どうしても我慢が必要です。

お金をもらうためだから我慢をしないといけない、お金をもらうためだから辛いことや大変なことがあるのは当たり前、理不尽への耐性が社会人としての能力だ…そんな意見は沢山聞いてきました。

ハッキリ言って、やりたくもないことに時間と労力を使い、しかも苦痛や理不尽に耐えるなんてバカバカしいことこの上ないです。みんなそうしているからなんてますますバカバカしいです。みんなと一緒論は私は大嫌いです。

だったら自分が興味を持てること、やりがいを持てること、やりたいこと、学びたいことを仕事にしようよと思います。

仕事のために勉強することは思考停止

仕事は嫌だけどお金のためにやるもの、仕事は嫌でもやらなければいけないものという意見は多いです。

それゆえ仕事にとってプラスになることを自主的にしようとすると、バカだ!とか解っていない!思考停止だ!と怒られました。

仕事とは言われたことを嫌々ながら仕方なく我慢してやるものであって、自主的にやるものではないと怒られたのです。

プライベートでの遊びこそが大事であり、仕事なんかのために使う時間や労力は極力減らすべき、仕事のことなんて考える暇があったら遊びのことを考えるべきと怒られました。

仕事は嫌でもやらなければいけないと言っておきながら、仕事のためには微塵たりとも自分から時間や労力を使ってはいけないって何なんでしょうね?未だに理解できません。

受け身で仕事するよりも能動的に仕事しようよと思います。

キャリアについて考えることは逃避

自分は何をやりたいのか?何に向いているのか?自分が何を身に付けてステップアップしていくのか?などは常に考えるべきことだと思っています。

しかしこういうことを考えるようになったらとてつもなく怒られました。そんなものは逃避だ!働きたくなくてニートに憧れているんだ!と。

仕事とは嫌でもお金のために仕方なくやらされるという考え方であれば、それとは逆の仕事を求めることは甘えとか逃げになるのでしょう。仕事の苦痛や理不尽が嫌で逃げたがっているということになるのでしょう。

実際はこういうことを言う人たちは、苦痛や理不尽が少ない仕事に転職することや、転職によって年収がアップすることに嫉妬しているのだと思います。

いつだって苦痛や理不尽に耐えるためではなく、自分がやりたいことや学びたいことを基準にキャリアを考えて行きましょう。苦痛や理不尽に耐えるために時間と労力を使うなんて勿体ない!

みんなと同じことをしろ

みんなと一緒論は学校でも会社でも共通の面倒くさい考えです。

学校は色々な人がいるだけまだマシです。しかし会社ともなると特定の業種で特定の会社の文化に合う人を採用しているので、同質性が高くなります。

特に新卒一括採用や同期意識が高い会社はみんなと一緒が大好きで同調圧力が高いです。

みんな違って当たり前、みんなそれぞれ個性があるのに、それは悪いことだと怒られるのです。

自分がやりたいことをやればいいし、そういう趣味があるのに、プライベートまでみんなと同じことをしないといけないと怒られるのです。

こんな会社はどこにでもあるものでしょうけど、私は我慢できません。結局ケンカして辞めました。

趣味は大事だし、個性も大事にしたいです。自分には自分のこだわりがあって、みんなと違うことをして差別化してもいいと思うのです。

口答えはするな

お客様は神様ですとか、会社や上司の言うことは絶対というのは仕事の世界にはありがちです。

会社や上司が黒と言えば白も黒になるなんて、仕事の世界では普通のことでしょう。

普通に考えれば、会社や上司の命令に対して、嫌だとか自分はこうしたいなんて言うのは、自らクビになろうとしているようなものです。でも嫌なものは嫌。

私は会社や上司の命令が聞けないですし、顧客を神様として服従しろというのも無理です。

だから非常識人、問題児と沢山怒られました。

その後、私は顧客とパートナー関係を築く仕事をするようになりました。会社や上司の命令は受けず、自分の裁量で全てを決められる仕事をするようになりました。

私のような落ちこぼれで非常識なダメ人間にはこういう仕事はとても快適です。

社内の人間だけと付き合え

同じ釜の飯を食うという考えが根強い会社は少なくないでしょう。私も若い頃にそんな会社に入ってしまったことがあります。

そういう会社は飲み会が多く、同期意識が強いです。同質性・同調圧力も強いです。

そういう会社では、よその部署の人と食事に行くだけで怒られました。同じ部署の人とだけ付き合え、同期とだけ付き合えとうるさく怒られました。

私は色々な人と交流を持ちたいという考えです。根っからの社交的な人間で、小学生の頃から社交的でした。学生時代からサードプレイスに所属してきたので、特定の人とだけ付き合うという考えはありませんでした。

しかし同質性・同調圧力の会社では、同期以外の人やよその部署の人と交流を持つと、社交性がない、仲間を大事にしないと怒られました。常識がない、人として問題があるとすら怒られました。

ものすごく腹が立って何度もケンカしましたが、相手は決して譲りませんでした。私も腹が立って決して譲りませんでした。

こういう真逆の考えは水と油で、お互いが正しいと本気で信じているので、決着が付きません。しかし郷に入っては郷に従えということわざがあるように、相手の方が会社の文化に合っていたら、こちらが間違っていることになります。

だったらそんな会社は辞めてしまえばいいのです。

その後、私は個性的な人が多い多様性が普通に受け入れられる会社に転職しました。というか1つの会社で上手く行かずに転々としている人が多い会社は、自然と多様性が受け入れられるものでした。

多様性がある組織は私にとってはとても快適です。色々な個性・能力を持った人がいて、色々な話が聞けるのが楽しいのです。

人によっては自分と考えや性格が似ていて、共通の話題ができる人とだけ付き合いたい人もいるでしょう。

世の中の企業の多くが同質性・同調圧力の文化であることを考えると、そういう人の方が多数派かもしれません。

これは最近の言葉だと外向型/内向型の話だと思います。外向型人間は多様性の世界で積極的に色々な人と話せばいい。内向型の人は交流を狭く絞り、相性が合う人とだけ話せばいいのでしょう。

会社とか社会人の常識ってマジで下らん!

私が会社という場所に入った頃から今までずっと感じていることが、会社とか社会人の常識ってマジで下らん!ということです。そして勉強すればするほどこの思いは強くなって行きます。

私は長年マネジメントの仕事をしていて、論文も読んでいますが、私が新人の頃から今まで会社とか社会人の常識ってマジで時代遅れです。世界の最先端はずっと先を行っています。

私はこれからも会社とか社会人の常識を否定し、反発して生きて行きます。常識をトコトン破って、常識外れの会社を作ってやろうとも思っています。

ぶっちゃけて言うと、会社とか社会人の常識には従わなきゃと思いつつも、下らない、バカバカしいと思っている人っているんじゃないでしょうか?

私がそう思うのは日本人の従業員エンゲージメントは諸外国と比べて著しく低いからです。エンゲージメントの高い従業員は日本には5%しかいないのです。

ということは会社は嫌だけど、既存のルールに従っておかないと自分の身が危ないから従うのではないでしょうか?そして他人が従ってない場合は、他人を悪者にして自分に矛先が向かないようにしているんじゃないでしょうか?

だったら新しいルールを作ろうよと思います。でもみんな様子見して誰も行動を起こさないのが集団の性質です。だから私は自分のこだわりでマネジメントするし、将来は自分で会社を作りたいです。

終わりに

そもそも日本企業の体質は第二次世界大戦中の日本軍の根性論ベースの考えが使われているそうです。

だから会社とか社会人の常識も根性論や忍耐が中心になってしまいます。

でももう時代は違うのです。古臭い考え方は頭にきますし、そういう会社が未だに少なくないのでしょう。でも自分でできる範囲から変えていきたいです。

私は根性論や残業賛美、仕事は苦痛と忍耐という考えに逆らい続けます。そういうマネジメントを続けますし、いずれはそういう文化の会社を作ります。

他にもプロボノで事業開発などもやっていますので、そういう文化の部門を作るのもいいかなと考えています。

常識は既存のルールなのですから、そんなものに盲目的に従っても思考停止です。トコトン逆らって、楽しいことをしてやります。


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