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自分の個性は他者によって引き出される

普段、アルバイトで塾講師や高校のチューターをやっている中で、下は小学校5年から上は高校3年生まで様々な生徒と接することが多い。

生徒たちが普段どんな環境で時間を過ごしていようと、一人ひとりをじっくり観察したりボケ〜っと眺めたりしていると、その人らしさなる物があるなぁ〜と感じる。その人の長所・短所と言い換えてもいい。

ただ、人によって個性を発揮できている人もいればそうで無い人もいる。


「その人の良いところを極端に伸ばし、弱いところは他の人が補う」自分の価値観(前提)を踏まえた上で、本人が自分の個性に気づき、そこを伸ばすにはどうすればいいか?自分の役割は何か? と、ふと思った。


現段階で自分なりの最適解としては、自分の個性は相手によって引き出され、その逆も然りである。以下、その解に至った思考プロセスを記していく。


一人ひとり様々な分人が存在している

家族に見せる自分と友達と話している時の自分、あるいは誰かと付き合っている時の自分は全て違うと思ったことはあるだろうか。

平野啓一郎さんの『私とは何か――「個人」から「分人」へ』の考えを使うと、1人の人には幾つもの分人が存在している。

SNSで複数のアカウントを持って運用している人なら理解しやすいだろう。例えば、30代男性なのに女子高校生に擬似的に化けてTwitterを利用したり、趣味用アカウントを作ったりするなどが挙げられる。

VTuberがもっと普及していけば、誰かに化けることも益々容易になりそうだよね。

人と人間の違い

よく、「人」の由来は、お互いに支え合っているからだと聞くことが多い。しかし、漢字の語源をちゃんと調べると、実際は1人の人が背中を丸めている様子を表している。


(出典:『漢字なりたち図鑑』)

一方、人間は「人の間」と書く。ここは自分なりの解釈で申し訳ないが、人と人が向かい合って間が生まれコミュニケーションをとることによって、初めて分人が引き出され個性が生まれる。

他者に貢献することから始めよう

昨今、単一性の価値観から多様な価値観へとシフトしつつある中で、「自己分析を通じて自分を知ろう」のような考えが普及している。その発想も全然アリだが、自分1人で掘り下げる切り口はどこかで行き詰まるだろう。

そこで自分は、相手からのフィードバックによって規定されていく発想へと転換することが必要だと思う。

例えば、他者に貢献していく中で、自分は結構頑張ったのに他者からは全然喜んでもらえなかったり、逆に自分はそんなに頑張らなくても他者はすごく感動してくれることもあるだろう。前者は好きだけど全然稼げなく、後者は別にどっちでも無いけど稼げる感覚。場数を増やしていくことによって、「あ、自分はこれが向いているんだな」と少しずつ分かる。

上記を補足する理論として、ジョハリの窓を使う。

自分と相手それぞれが知っている・知らないをグラフで分けている。ここで大事なのは、気づかない窓を通じて開かれた窓へと昇華していくこと。そのためには、年齢や性別を問わず色々な人と関わる必要がある。

自分も、自分から出発する自己分析の考えと、他者からの評価を元に規定する発想を行き来しながら、人と接していく中で

・すごいロジカルで戦略的
・教え方がとても分かりやすい
・独創的な発想を持っている
・ストーリーを作るのが上手い
・ふと何かあった時、相談したくなる

集約すると、このようなことを言われることが多い。また、自分としても上記の分人を出すことに全然苦痛を感じないし、4年前に無かった分人を後天的に鍛えたものもある。

そう分かった上で、後は自分の分人を色濃くする(自分の才能を伸ばす)ために、アルバイトでも良いから環境を設定して、そうせざるを得ない時間を作っている。自分の意志ほど頼りないものは無い。


以上です。

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