【神奈川のこと11】愛甲の横浜高校

今日は、夏休みを取ったので、このことを書く。

夏の高校野球が終わった。

この時期はいつも、何か心にぽっかりと穴が空いたような心持ちとなり、同時に身体もちょっと夏バテ気味となる。

いつもなら甲子園の決勝戦が終わると、その時期がやってくるのだが、今年は異例中の異例で、神奈川県の決勝戦が最後となった。母校、東海大相模が優勝したので、とても嬉しい。相手の相洋高校にも「あっぱれ!」だ。

高校野球が好きだ。特に神奈川の。

県内の球場をくまなく行脚したり、母校の試合を欠かさず観戦に行ったりするほど熱心ではない。ただ、夏の県予選が始まれば、TVK(テレビ神奈川)の「高校野球ニュース」は毎日、必ず観るし、神奈川新聞にも目を通す。

そんな神奈川高校野球好きにさせたのは、母校、東海大相模ではない。

紛れもなくそれは、昭和54年(1979年)のジャンボ宮城を擁するY校(横浜商業)であり、翌年、昭和55年(1980年)夏の甲子園で全国優勝した愛甲を擁する横浜高校なのである。もちろん、昭和58年(1983年)春夏甲子園で準優勝した三浦を擁するY校も含まれる。

私より少し上の世代に、神奈川高校野球の思い出を聞くと、皆、一様に「東海大相模がすごかった、原がカッコよかった」と言う。更に上の世代に聞くと、武相であり法政二高となる。それが私にとっては、Y校と横高なのだ。

初めて、甲子園をちゃんとテレビ観戦したのが、小学3年の夏、ジャンボ宮城のY校であったが、何と言っても夢中にさせたのは、翌年、小学4年の夏、愛甲の横浜高校であった。

とにかく強かった。初回、先頭打者の安西が大概出塁して、得点する。そして、愛甲が粘り強い投球をして相手打線を抑える。常にリードする展開で優位に試合を進めていた印象だ。無敵であったし、愛甲は、疲れを知らないスーパースターに見えた。

何よりも、まるで誰かが演出した、ドラマや映画でも見ているようなストーリーと登場人物にワクワクした。まず主人公である「愛甲」は「甲子園を愛する」と書く二枚目のサウスポー。元は札付きの不良という役柄設定だ。それから、助演男優賞は何と言っても安西。「ANZAI」という響きがいいのだ。小柄で俊敏、スマートなプレーヤーで、愛甲とは対象的なキャラクターとしてこのストーリーを躍動させる。チームを率いる渡辺監督も凛々しくて男前、どこか星一徹を思わせた。グレー地に紺色の字で書かれた「YOKOHAMA」のユニフォームもたまらなくスタイリッシュ。決勝戦の相手が早実の荒木大輔であったことも、引き立て役としてはこれ以上ない演出だった。もちろん、三枚目だっている。横高二番手の川戸投手だ。この演出家は粋で、優勝を決めるその瞬間は、川戸投手に花を持たせた。しかし、マウンド上で歓喜する川戸投手のところへは誰も(なかなか)行かず、一人で喜んでいるという三枚目らしい幕切れにしている。そして、極め付きは、何と言ってもエンディングテーマ曲である校歌だ。この曲なくしてはこのドラマは語れないのだ。

当時は、すっかりあの校歌に魅了されて、持っていたラジカセ(SANYOおしゃれなテレコ)にマイクをつけ、テレビのスピーカーに向けて試合後の校歌を録音した。真剣な眼差しで録音している時に弟が「わっ!」と大声を出したり、「びっくん、鼻くそほじるなよ~」と言って妨害してきたが、めげずに毎試合後、熱心に録音した。なので、今でも横浜高校の校歌は大好きで、そらで歌える。

今では母校の憎きライバルで、悔しい敗戦を何度も経験している。その後に歌われる校歌は、本来、屈辱的なはずが、思わず一緒に口ずさんでしまうのだ。

横浜高校の甲子園優勝の数日後、杉田にある親戚の家に行った。そこには、当時高校生の従姉がいて、熱狂的な横浜高校のファンだった。甲子園から帰ってくる横高ナインを新横浜の駅まで見に行ったと興奮気味言っていた。その従姉と横浜高校の話をしていたら、彼女がふいに誰かに電話をかけた。そして、「びっくん、今、安西と話してるけど話してみる?」と持っている受話器を手に言ったのだ。あまりに突然で、驚いた。子ども心に少しまゆつば物とも思ったし、それよりも照れがあって、黙って首を横に振った。このことはちょっとだけ今、後悔している。

今でも、横浜高校の校歌を録音した当時のカセットテープは、自宅の本棚のどこかに眠っている。弟に妨害されながらも熱心に録音したテープが。昭和55年夏の記憶をその磁気に湛えて。

♪あっさひーたーださすー、とみおーかのおかー、こんぺーきのなみー、ひったいーにーせーまるー♪






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