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小説「エクステリアの園」⑥【最終話】

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早川勤が亡くなった。65歳。まだ寿命というには早過ぎる年齢だった。

彼の友人である磯山進は葬儀に出席した後、ひどく荒れた様子だった。

原因は彼自身の内側にあった。友人の死に際して、「ざあまぁみろ」と思ってしまったからだった。

理由は、恐らくはっきりしている。磯山進は高校時代、沢北秋が好きだった。本当に初々しい気持ちで、彼女のことを愛していた。

しかし、友人である早川勤に彼女を取られてしまった。やり場のない気持ちが、どこか心の中でふわふわと漂っていた。

しかし彼は、そのことを誰にも言わずにいた。それが返って、早川勤への複雑な思いとなって凝り固まってしまったのかも知れなかった。

俺は、何を思っているんだ。俺は、なんて奴だ。彼は、自分の気持ちに気づいた時、すぐにそう思った。自分がとんでもない羞恥と罪を抱えているような気持ちになった。

そんな思いに振り回されるように、酒を飲むようになった。日中から酒を飲み、近所をフラフラと歩いている時、あの庭に出会った。

「あれは…」

素晴らしい庭だった。緑の芝は生き生きと映え、恐らく主景である滝は、ゴウゴウともコポコポともとれる、心地の良いリズムを刻んでいた。

表札を見るともなしに、すぐにアイツの家だと気づいた。早川家の家の外観は、すでに知っていた。

同時に、気づいたことがあった。

「快適な庭の作り方を教えて欲しいんだ」そう言った早川勤のセリフが、繰り返し思い出された。

「秋さん、いるかい」

入り口に声をかけてみると、人の動く気配がした。しばらくして、フワッとした花柄の服に身を包んだ早川秋が現れた。

「進さん、お久しぶりです。」

「ちょっとこの辺を通りかかって。もし良ければ、中に入れてくれないかな」

「えぇ。何もないですけど」

2人は庭の見える和室で、緑茶を飲んだ。若い頃書道を習っていたという早川秋は、日本の文化をよく好んだ。

「この庭、勤が作ったんだってな」

誰にいうともなしに、呟く。えぇ。と、早川秋が答えた。

「あの滝、気持ちの良いリズムを刻んでいるだろう。あの音は、ホワイトノイズだ」

「ホワイトノイズ…?」

早川秋は、聞きなれない言葉を耳に馴染ませるのに苦労している様子だった。

「あぁ。高い音と低い音が混じるように作られている。あの音を聞くと、他の音が気にならないんじゃないかい?雑音をカットして、物事に集中できる効果があるんだよ」

「確かに」

早川秋はそう呟いて、想いを巡らせるようにくうを見つめた。

「そして緑。これはコウライ芝だ。うちのものと一緒だな。緑には目を休める効果がある」

磯山進はそう言うと、緑茶を一口啜った。冷たく、全体として透き通っていて、苦味のある風味が鼻を通った。

「最後に、庭のいくつかのゾーンに植えられた花々。色とりどりの花々だが、これは貴方の趣味じゃないかね」

「確かに、私は花が好きですけど…」

事実、早川秋は花が好きだった。いつも花柄の服を着ていたし、たまには生花をたしなむこともあった。

「俺が思うに…。勤は、あなたに庭をプレゼントしたかったんじゃないかね。最後に、余生を心地よく送れる庭を」

早川秋は、そう言われてハッとしたようだった。

「主人は、よく庭の話をするとき、決まって私の書道作品の話題を持ち出しました。私が主人への想いを作品にした、あの書道作品のことを」

磯山進は、その話を知っていた。若き日の早川勤が、嬉しそうに自分にその話をする光景は、今も忘れられなかった。

「主人は、私から告白をしたことを引け目に思っていたのでしょうか。もしかして、自分から告白できなかったことを、後悔していたとか」

「それは分からないな。でも、あなたの書道作品に対して、勤はこの庭をプレゼントとして遺した。その可能性は高いんじゃないかな」

黒の生けどりから見える庭は、どこまでも青々としていて、それでいて心地よいリズムを奏でていた。


磯山進は早川秋に見送られ、早川家を後にすると、「これで良かったのかな」と呟いた。

彼の恋心は、一生実ることはないように思われた。しかし、「ざまぁみろ」と思った矮小な彼自身は、もう彼の中のどこにも存在しなかった。

磯山進は、手にしていたカップ酒を側溝に流すと、ゴミ箱に捨てた。

早く帰って、あの庭で、日光でも浴びたい気持ちだった。


ー 終 ー

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