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布始末

フルタイムの仕事を退職する時、同僚だった友人達から餞にと頂いた、銘の入った立派な裁ちバサミ。手にずしりと重い。毎日使って、最近は持ち手が剥げてきたが、経年変化でなかなかいい味になってきた。頼もしい仕事の相棒である。

研ぎに出すのはもう何回目になろうか。ネットで見つけた桐生の研ぎ屋さんは、3日もすれば素晴らしい切れ味に仕上げて送り返してくれる。信頼できる職人さんのお陰で、作業が楽しく捗る。

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着物と違い、カーブの多い洋服は、どうしても端切れが出る。この増えていく端切れや端革が小物に生きると、すごく満足感がある。

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どんなに小さな端切れも、使いようはある。

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そして、古布を細く裂いて織る、裂き織りは究極の始末だ。これには数年間夢中になって、バッグや服に仕立てた。楽しかった。

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イベントで知り合った福島の布作家さんに、リネンの端切れを所望され、使えそうなものにアイロンをかけてどっさり送ったこともある。その時は大分片付いたけれど、すぐにまた山になった。

後日、立派な水蜜桃("桃"などでは言い表せない!大きい!瑞々しい!)が送られてきて、思いがけずわらしべ長者になった。

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韓国の韓山で月2回、朝4時から立つ、苧麻の糸と布の市を見に言ったことがある。裸電球の下で、渾身の手仕事を持ち寄った女たちと仲買人の、熱気に溢れた攻防は、まるで映画のワンシーンのよう。言葉がわからなくても両者の力関係が手に取るようにわかる。いい糸、いい布の作り手は強気なのだ。攻防は夜明けにはお開きになった。

中でも一番細く美しい糸を績む(と見えた)女性から分けてもらった糸は、かさがあるのに驚くほど軽かった。

ツアーが終わり、帰国する一行15人をホテルの玄関で見送って、ひとりでソウル郊外を巡る。

骨董商が軒を並べる街で掘り出し物を見つけた。生成りの極薄の布を接いで、丁寧に作られた美しいポジャギ。物を包んだり、覆ったりする風呂敷のようなものである。四隅に紐が付いている。

韓服の端切れを大事に取っておいて作ったのだろうか。店の主人は「こんなのを欲しがる日本人が値段を高くしたんだ。」と苦笑する。韓国の民衆には、ごく当たり前に日常にあるものだったのだろう。

苧麻から人の手で糸になり、織られ、小布になってからも、ミシンなど一切使わず、手仕事でちくちく接ぎ合せられたポジャギは、見た目は儚げなのに、何年使ってもほつれることがない。

陶磁器と並んで私が惹かれる、隣国の文化遺産である。

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細い縫い目の両面からまつりがけして、ふんわりと、しかもしっかり縫い合わされたこんなに美しいものが、売るためでなく、暮らしの道具とは!

布好きが共感する、神業のような美しい手仕事。始末のよい、好ましい暮らしぶりが想像できる。

そして、これは確信を持って言うのだけれど、つましい暮らしの時間を割いて、小布をちくちくつなぐとき、つくり手は心が満たされ、幸せを感じていたに違いない。

日本では4〜5倍はしただろう。吹っかけずに売ってくれた店主の矜持が嬉しかった。






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