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'23卯年🎍年頭に触れた言葉📚東洋文庫の人々

元日の新聞より

「去年どんないいことがあったかを数えてみることにしている」         幸田文(随筆集)

これ頂き、と思ったけれど…忘れっぽい私は、「昨日どんないいことがあったかひとつ思い返す」ことにしよう。何もなければそれでよしとする。悪いことは忘れるに任せる。

「近しい人を亡くした人、絶望の淵に立っている人の拠り所となるのは、まさに日常そのものだけなのです。たとえば、孫の頭を撫でること。朝のコーヒー一杯でもよいでしょう。そんな、何か人間らしいことによって、人は救われるのです。」
 スベトラーナ・アレクシェービッチ(祖国への侵略についてオンラインインタビューに答えて)

キーウの若者が、警報が鳴っても、その場に居続ける理由を問われて「彼らは僕たちの日常を奪おうとしている。そうはさせない」と言う。時間が経つにつれ、悲惨なニュースを徐々に遠ざけていた。彼の国の脅かされる日常に思いを馳せながら、この日常を丁寧に続けなければと思う。

インクは褪色しても色褪せないTさんからの言葉

読み返した書簡より

「しやせましせずやあらましと思うは おおかたするがよきなり」          兼好法師

JR駒込駅から徒歩数分の所にある東洋文庫は、今ではお洒落なカフェを併設した、明るく近代的な建物になったが、かつては大きな樹木に囲まれた、古い煉瓦造りの趣のある洋館だった。

旧東洋文庫の2階には、東洋史関係の文庫に隣接して、ユネスコ東アジア文化研究センターが入っており、大学四年次から翌年夏まで、非常勤で週2日通っていた。

明治期のお雇い外国人に関する資料整理が主な仕事だったが、大して役に立ったとは思えない半人前を、根気よく指導、とても寛大に遇して下さった。

各部屋の住人も、定例研究会や国際会議、イベントで内外各地からやってくる人々も、ユニークな顔触れだった。ユネスコの隣部屋「チベット研究室」のソナム氏は、1959年ダライ・ラマ14世がヒマラヤを超えて亡命した折の、若き随行員の一人だったとか。気さくで知的な紳士だった。

昼休みには中庭でバレーボール、週末には目白の角栄邸隣接の公務員用コートでテニス、夏の仕事終わりに屋上でビアパーティ、秋には日帰り山行、冬は5泊6日のスキー…と陽の当たらない室内での、地道な仕事とバランスを取るように、各部屋入り混じっての集いを楽しんでいた。

大学を卒業した年の9月に、フルタイムの仕事が決まり退職して程なく、ユネスコの部屋を仕切っておられたTさんが、便箋6枚に渡る手紙を送って下さった。送別会をしていただいた帰りがけ、私が彼女にふと尋ねた言葉に、時間が足りなかったからと、後日わざわざ手紙に続きをしたためてくださったのだ。

折々に読み返してきたのは、その時その時の私の迷いに道を示されるような、示唆に富む言葉と、彼女の懐深い優しさに溢れる手紙だったからだ。手紙の山を整理していて、久々に目を通した。

そうして、今の私の背中を押してくれるのが、手紙にある吉田兼好のこの言葉 :

「するかしないか迷ったらやってみるがいい」

やらなかった悔やみは後を引く。後悔の数を増やすのはもうやめよう。残り時間もそう長くはないのだから。我ながら突拍子もないアイデアが浮かんだことで、少なくとも今、心に張りができたのは嬉しいことだ。

年明けに出逢った言葉たち。忘れないうちにnote にメモ。




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