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Swords 3 つづき - 悲しみ、深淵、矛盾、信頼

分からなくなってきたとき、これが深淵?なのかもしれない?と思った。
深淵だったとしたら、対峙しようとすると矛盾と疑問の無限ループになってくる場所だと思った。
この場所には、人間関係で起こるあらゆるものがある気がした。この入り口でひとしきり逡巡したあげく、これ以上入ってはいけないところなのかもと感じた。
その"入ってはいけないのかも"という、初めて感じた感覚が、私の中では深淵という言葉と繋がったのでした。実際には深淵から生まれた沼とかかもです(笑)。

プリーステスの瞑想できっかけがあった。
イシスにどうしても分からないと問いかけた時、「それはあなたの探求に必要なことですか」と問い直された。

その問いを通して、私は完ぺきに、もらさずに進もうとしているのではと思った。
ひとつも取りこぼさずに歩こうとすると進めない。
一番必要なもの、これだけはこぼしてはいけないというものを拾い上げ、理解して、進んでいくことが必要なこともあるのでは。
限られた生の中、むしろそうして進んでいかないと、その度に立ち止まるようなことになるのでは。

「それはあなたの探求に必要なことですか」という問いは「それは本当に必要なことなのですか? 」と同義な気がする。
ここから、この道を信じているなら矛盾してようが矛盾のまま進めるのではと思い始めることができた。

ソードの3の真ん中の剣は、刻印がないけれどメイガスの剣。

垂直の剣は「#1 The Magus 魔術師」の剣でもある。つまりここで味わう悲しみは経験すべき悲しみだった。これは自分が歩むべき本当の人生ではなかった。
それが本当の意味で理解できると、この地点から立ち去ることができる。

『魔術師のトート・タロット』

ソードの3はビナーの場所。
悲しみは避けて通れないからこそ、体験を通してしか感じ取れないものをもたらしてくれる。

ビナーの悲しみについて、このようなことを教えていただいている。

人々は深い感覚的なものの中で、最も重要な側面に当たっていない限り、ものごとを完全には実現しない、または実現できないように作られています。そして、ただ悲しみによってだけ、悲しみから悲しみへと進むことによって、個人的な進化が進んでいきます。

矛盾を解決することよりも、矛盾の中にいながら、自分の道を見失わないでいると、"本当の人生ではなかった。" ということが見えてくる。

本当の人生は信頼できる。自分が信頼するものに向かっていけば分かる。

そうすると個人的体験としての悲しみを「悲しみ」そのものとして引き受けて、進んでいける気がする。
悲しみはまたやってくるという、次の悲しみのことだけではなくて、クロウリーの言葉にある"大衆の悲しみ" から "世界的な悲しみ" へ進んでいく。

それがビナーの、悲しみから悲しみへと進むということなのかもしれない。
だから経験すべき悲しみなのでは。悲しみによってでしか進めないから。

何度、あのソードの3の花を散らそうとしても、私の脳にはまだ破片が突き刺さってて、、というかその破片を抜こうとしない、石のような愚かな心があるのが分かる。
でも時間がかかっても、もう終わったことなのだと受け入れ、通過していける。
必ずそのようにさせてくれると信頼している。
その信頼の働きが、この破片は任せなさい、あなたはどんどん歩いていきなさいと言って、私をパスワーキング、タロットの中へと促してくださっている気がします。

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