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眼前に広がる海は静かだった

3月も末のまるで春を通り越して初夏のような気候の日に松島に行った。

前回の松島と違って今回のメンバーは私含め完全な(元)地元民で松島上級者なので急いで行くところはどこもない。松島周辺をゆっくり過ごす旅だ。

その中で福浦橋に行く機会があった。
橋の言い伝えによれば赤く塗られた長い長い橋を渡って出会いを願うのだそうだ。
橋を渡った先福浦島で私が出会ったのは、目の前に大きく広がる海だった。

海。波打ち際。コンクリートで整備もされていない砂浜。
こんなところに来るのは幼いころ以来だ。
私は正直幼いころは海が好きだったのだけど、あの日──
真っ黒な海が町をさらっていった日から何となく敬遠していた。
私自身は波とは無関係な場所にいたのだが、揺れた翌日に避難所でもらってきた朝刊をみて家族と腰を抜かした。知らない間によく知った土地が更地になり、よく知った場所だったものの残骸が海岸に山と積みあがった…そんな衝撃的な写真が1面裏表ぶち抜きで載っていた。
ずっとあと、上京してからテレビ番組のスペシャルでようやく黒い波の到達するまでのニュースをみた。報道するキャスターもまるで信じられないというニュアンスを隠し切れないような声色だった。そりゃそうだよ、そんなでかい波が町をさらっていくなんて実際見たら絶句するだろうと思った。
そんな思い出があり、うかつに近寄らなかったのだ。

しかし松島に泊まってみて改めてわかったことは、この海がもたらす恵みというのは計り知れないということ。
東京にも海はあるけどこんなにおいしい魚介類は手に入らない。
魚だけじゃない、海藻に至るまでがおいしい。
その恵みをもたらしているのはこの眼前にある海なのだ。
大いなる自然と私たちとは、共存していくしかできることはないのだと改めて痛感させられた。たとえ私たちに牙をむいて襲い掛かるのだとしても。

ぼーっと海を眺めるとヨットが数隻風に揺れている。
なにもない、静かな海。
ふと目先には地元の親子、まだ小さな子供が春の砂浜をぺたぺたと駆け回っていた。
子供の先に広がる大きな海は陽の光に当たって、静かにきらめいていた。

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