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自分を美しい柄で色付ける


人柄という言葉で検索すると、

人の品格。人の性質と出てくる。

ならば、柄とはなんぞや?と柄(がら)で検索すると、

人柄という言葉に合う意味だけで抽出すると、

▪名詞の下に付いて、その物事の本来持っている性質、品格、身分などの意、また、それらの性質、品格、身分などにふさわしいこと、また、その状態の意などを表す

▪その人に本来そなわっている品位、性格


よく聞く言葉で「あの人は人柄が良い」というのがあるが、そもそも、人柄という言葉だけで、褒め言葉になるほど良い言葉であった。

ならば、俺は人に誇れる品格ある人柄が備わっているのか?

品格どころか検索で出てくる意味の人柄すらも備わっているとは言えないが、人柄が備わるように努力はしてると思う。誰も見てないところの行動で、自然に人に伝わればいいなと思ってしてることはある。


この世の中は、多少はズル賢く生きた方が得する世の中だと思う。人をちょっとぐらい騙したって、その嘘がバレなかったら何も問題ないし、無理しなくていいことは苦労してまでしなくていいし、効率良く生き、例え人を蹴落としても人より良い思いをした方が「良い人生だった…」と人生を終われる可能性が高いと思う。

もちろん、全ての人間がそうではない。真面目に正直に人の為に生きて、そして周りの人に愛されて人生を終える人が一番素晴らしいが、多分、大多数の幸せに生きてる人は利己的な人が多いはずだ。

貧乏で苦しんで生きてる人がいる以上、やはりその人より良い人生になろうとするならば、多少は人を犠牲にして生きるしかないと思う。

道で暴れてる人を見ても、見て見ぬふりをした方が間違いなく自分に危害が及ばないし、学校でイジメられてる子がいたとしても、そのイジメを防ごうとしたら逆に自分がイジメられるリスクがあるから、ほとんどの人はイジメを見て見ぬふりした経験があると思う。

この世の中は体を張って人を助けるより、困ってる人を見て見ぬふりした方が損をしない可能性が高い世の中だ。


そして、困ってる人を見て見ぬふりをする人生で生涯を終えても何も罰がない。


俺が勝手に思うに、例え困ってる人を正義感を出して助けたところで、警察沙汰にならずに決着したら、多分、相手からのお礼と自分の自己満足だけで終わるだろう。

でも、困ってる人を見て見ぬふりが出来ない人間性を作る意識こそが品格のある人柄なのだと思う。

そもそも、困ってる人を助けない自分を誰も見てないわけじゃない。


自分自身の心は間違いなく見てる。


困ってる人を見て見ぬふりをしてる自分を許せない心。これこそが品格ある人柄だ。

自分自身が自分に色を付けるのだ。そして、自分だけが自分に美しい柄を付けて品格ある人柄を作れる。

ズル賢く生きると自分は得をすることが多いし、そして、そんな卑怯なことをしてもバレなければ誰にも罰せられないから、精神は堕落して品格ある美しい人柄は身につかない。

だから、自分だけが厳しく自分の行動を正し、そして自分だけが自分に人柄という色を付けれる。


仏教の教えで「捨身飼虎の物語」というのがある。

インドに3人の兄弟王子を持つ王様がいた。ある日、王と3人の王子は竹林に遊びに行った。そこで7匹の小虎を連れた母虎と出会った。親子共々餓えて痩せ衰え餓死寸前だった。3人の王子は深く憐れみの心を持ったが、2人の王子は虎は元気になると人を襲う可能性があるから「救うことは出来ない」とその場を立ち去った。しかし、3番目の王子は、

「菩薩は慈悲の心で我が身を捧げ、他人を救う。私はこの身を捧げ餓えてる虎の親子の命を救おう」

そう言って、その身を虎の親子に委ねたのだ。虎は王子を食べた。そして、この虎の親子の命を救った王子こそがお釈迦様の前世であったという物語なのだ。


これは本当に究極の慈悲の心だ。自分が損するどころの話ではない。自己犠牲のウルトラ究極の姿だ。そもそも、元気になれば人を襲う可能性のある虎を救おうとするなんて愚の骨頂だ。

しかし、そんな後のことを考えてたら命は救えない。虎の親子は今現在、目の前で餓えて息絶えようとしてるのだ。目の前の苦しんでる命を自分を犠牲にしてでも救うのが本物の慈悲の心なのだ。

これが事実ならば、こうやって俺が知るということは誰かが伝えたということだ。

人が見てるから善行が後世の人間に伝わる。


これこそが命を救える本物の品格ある人柄ならば、俺がどれだけ努力しても身につくような領域ではない。

しかし、懸命に人柄を身に付けようと努力すること自体が、自分に人柄という色を付ける第一歩であるとも言える。

考えれば考えるほど、生きるということは難しい。

ちょっと前は「これでいいのだ!」とアホな記事を書きながら、今は難しいことを考えに考えて書いて、そして自分の人生を振り返りまた考え込んでしまう。


こんな悩める俺にお釈迦様はなんと言ってくれるのだろうか?

多分、

「悩むあなたは、もう十分立派な人柄を持ってますよ」

お釈迦様は俺の全てを受け入れ、こんな優しい言葉を言ってくれる気がする。


自分を美しく色づける色は自分の心の中にしかないのだ。

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