負け犬なりの遠吠え
子供の頃、小学校でサッカーに夢中になってた。
暗くなるまで泥だらけになって友達とサッカーボールを追いかけた。
ちょっとでも上手くなると鼻高々となり、自分が世界で1番上手いと錯覚するほど嬉しかった。
でも、それは自分たちの世界だけの錯覚だった。
小学校6年の時に他の町の小学校とサッカーの試合をする機会があった。他の町には小学校で遊びでするサッカーとは訳が違う本格的なサッカーチームがあり、そのサッカーチームに子供たちはお金を払って入っていたのだ。
だから、子供たちの目の色が違う。やる気も違う。親からの期待も違う。
とにかく、お金がかかってるわけだ。小学校の休み時間や放課後にダラダラと笑いながらするサッカーとは練習の仕方も違うし、何よりそのサッカーチーム内で厳しい競争があるのだ。
そこで振り落とされると試合には出れない。
それに比べて、俺なんかは毎日レギュラーだ。
なぜなら、俺の小学校はサッカーをするための、まともな人数さえいない小学校だったからだ。
なんの競争もない世界。
どこかの成り上がり社長の一人息子みたいなものだ。スーツも着ずにジャージを着て自分の会社に面接をしに来ても問答無用で面接に受かるような甘えた世界。
その甘い世界で作られた、俺のガラス細工のような自信は他の町のサッカーチームによって粉々に打ち砕かれた。
まったく相手にもならずに、俺の小学校のサッカーチームはボロ負けだった。
最初に、他の町のサッカーチームの練習を見てたらレベルの差は明らかだった。ボールのリフティングは俺は50回もまともに出来なかったのに、そのサッカーチームはみんなが100回ぐらいはしていた。
ここで、俺はすでにビビってたが、試合は本当に目も当てれないほどの完敗だった。
その後に負け犬の俺はさらに心が負けて、中学校では最初は卓球部に入った。
本当はサッカー部に入りたかったが、中学校のサッカー部では、さらにいろいろな町から子供たちが集まってくる。これでは俺なんかが勝ち抜ける競争率ではない。
でも、それでも俺は悔しくて密かに家でサッカーボールでのリフティングの練習はしていた。
絶対に100回はリフティングが出来るようになりたくて、孤独に練習だ。
この時は、まだ卓球部のくせにだ。
だーれも見てない意味のない努力。
もし、リフティングが100回出来るようになっても披露する場所がない寂しい技術。
でも、1人で黙々と練習を続けた。
すると、やはり上手くはなるもので、いつしかリフティングを100回は出来るようになったのだ。
しかし、俺は卓球部。卓球部でサッカーのリフティングを披露するわけにはいかない。俺は意味のない努力を続けたわけだ。
結局は思春期の激しい欲望に負け、女子にモテたくて、卓球部を辞めてサッカーに入部をしたから俺の陰の努力は一応は日の目は見た。
でも、サッカー部と言うだけでモテてしまい調子に乗ってしまい、同級生にボコボコに殴られ、サッカー部の不良にも目を付けられ、俺はそこから完全なる負け犬になったのだ。
今思うと、ここが人生の大きなターニングポイントだな。
俺が負け犬にならない未来はあったのだろうか?
サッカー部にさえ入らなかったら、子犬ぐらいの負け犬で済んでた可能性はあったのではないか?
サッカー部と言う、思春期では絶大にモテ力のある肩書きを手にしてしまったがゆえに、俺は自分自身の魅力でモテたと勘違いして、陰で努力したサッカーでの本当の目的さえ忘れてしまってた。
最初はモテたくてサッカーを始めたわけじゃなかったはずだ。
ただ、サッカーが上手くなりたかった。
リフティングを100回出来るようになりたかった。
でも、俺は本来の目的を忘れて、モテることばかりを考えてしまってた。
これでは努力の神の罰が当たるはずだ。
サッカー部も辞めて、サッカー部という肩書きが無くなった途端に俺はまったくモテなくなった。
同級生にみんなの前で殴られて自信を無くしてしまったのも原因としてあるとは思うが、サッカー部という肩書きが無くなった俺にはまったく魅力が無かったということなんだろうな。
この時は本当に辛かったな…
俺みたいな一般人が言うとおこがましいが、有名人が落ちぶれると、こんな気持ちになるんだろうなと思った。
俺の外見も中身もまったく変わってないのに、サッカー部じゃなくなったら、俺を好きと言ってくれてた女子は俺の姿が見えなくなったかのように、俺の目の前を素通りしだしたんだ。
人に求められると嬉しいけど、それが突然無くなり人が離れて行くと本当に切ない。
昨日まで俺を必要としてくれてたのに、今日は俺を必要としなくなる。
必要とされる依存症にしておいて、そりゃないよ…
そんな事を何度思ったか、今はもう、その回数さえ思い出せない。
俺の人生は、まさに負け犬だが、それでも必死に努力した日々はあった。
モテたいじゃなく、サッカーが上手くなりたい!と思って1人練習した、あの日。
どんな豪華な肩書きや綺麗な衣装を身に着けようとも、あの時の俺が人生で1番カッコ良かったのかも知れない。
今日の夜は、あの日の心に戻れるように、負け犬なりの遠吠えを吠える夜だ!
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