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自分のためだけに生きる人生


今より元気があった数年前。


その時に一緒にいる人と、毎日のように夜中まで議論していた。議論というか、口喧嘩よりさらに上の暴力を伴わない争いだ。

何を争ってたかと言うと、俺からしたら、ただの心配からのアドバイスだ。

いや、俺からしたら、ただのアドバイスでも、相手からしたら、絶対に譲れない事だったのかも知れない。

相手がいないから、自分をいくらでも良いように書けるからと噓を書いてるわけではなく、本当に正直に書くのだが、俺はその人と出会ってから、最後の離れる時まで、その人の生活が良くなるようにしか考えてなくて、そうなるようにアドバイスをしていたんだが何が気に入らないのか、俺が心配して話してると、相手の感情は、いつも怒りに変わって行くのだ。

争い事を簡単に書くなら、俺が、

「こうした方が得だし、生活のためだよ!」

「嫌だ!したくない!」

こんな、シンプルな事で、毎日、毎夜、夜中まで激論である。

そして、それで家に帰るのが遅くなってしまうのを、俺のせいにして、また次の日は怒りから1日が始まるのだ。

俺の心が、まだ元気な時はそんな日々を送ってた。

その時は俺は正しいと思ってるから、なんとか納得してもらおうと、必死に弁を尽くして話すのだが、これが逆効果となる人だった。

いくら、こちらに正義があって言葉で説き伏せようとしても、相手のプライドまで捻じ伏せてはダメなのだ。


イソップ寓話の「北風と太陽」みたいなものだ。

北風が旅人の上着を吹き飛ばそうとするが、かえって旅人は上着をしっかり押さえてしまったが、太陽が燦々と優しく暖かく照りつけると、旅人は自ら上着を脱いだという、北風と太陽の勝負の話だ。


その時の俺は北風だった。


決して、説得するために怒ったり、激しい言葉で言ったわけではないが、こちらが間違いなく正しいわけだから、いつか必ず分かってくれると詳しい数字を出し、根気強く説明しても分かってはくれなかった。

こちらの思いとは逆の事をしてしまう例として、何かのニュースで見たが、少年革命家として活躍してた、youtuberのゆたぼん君が、最初は親の教えに従い、子供の時は学校に行かない自由もあると言って、学校に行かなかったのだが、今は青年革命家となって学校に通ってるのだ。

小さい時は素直に親の言う通り、学校に行かなかったが、今は反抗期となり、親の言う事を聞かずに学校に行ってるという…

これを知った時に笑ってしまった。反抗期で学校に行くようになったとは、なんと素晴らしい反抗期なんだ!

キャッチフレーズも、

「人生は冒険や!」から、

「人生は勉強や!」

に変わってた、親の意見に逆らう事が学校に通うことだなんて、なんと微笑ましい反抗期なんだ。


このように、相手に自分の考えを押し付けるばかりが、正義ではない。相手を思ってるという、押し付けを相手が素直に受け取るとは限らない。

だから、俺は途中で、正論で説き伏せるのを諦めた。相手の言う事を出来るだけ聞くようにして、ダメになったら、ひたすら謝るようにした。


その結果、俺は潰れてしまった。


結局、どちらの方法もダメだったんだが、その人には、そんなに俺の言う事が気に入らないならば、俺から離れるように促したんだが、その人は潰れた俺を助けようと無茶な事をしだしたのだ。

闇金でお金を借りたり、風俗の面接に行こうとしたり、俺がほっておけないような事を平気でする人だった。

だからこそ、俺の言う通りにして!と、また説明するんだが素直に聞いてくれない。

これの繰り返しだった。

俺の言う通りにしてくれたのなら、二人の生活はかなり潤い、なんの問題もなく穏やかな生活を送れたのに、結局は二人共が血まみれの人生となった。

俺はその人の意見を真正面から受け止めようとしてしまい、その結果全てを失った。

毎日、毎日、その人ためにと動いてたつもりだったが、ある時、

「あんたは何も役に立たん!」


そう言われて、俺はブチ切れた時があった。俺はその人の前で携帯をぶち壊して投げ捨て、飛び出したことがあった。

初めてと言っていい、全てを投げ捨てた俺の反抗であった。

1週間ほど部屋にも帰らず、他県でフラフラして自分の部屋に帰ってみると、部屋のポストに手紙がたくさん入っていた。

文面を見ると、俺に言った事の反省の言葉と俺に対しての心配の言葉が綴られてあった。

後で本人から聞いたら、俺がいつ帰って来るか分からないから、俺の借りてる駐車場で、毎日夜になると毛布を持ち込んで車の中で俺の帰りを待ってたそうだ。

そんな事をするぐらいならば、日頃から俺を大事にしてくれよ!とは思ったが、単純な俺は、そんなに俺を必要としてくれるならば「ジョージもっと頑張る!」と、さらに茨の道を突き進むのであった。

今から考えると、典型的なDV旦那のような手口だ。殴った後に果てしなく優しくする。

ある意味、怪しいプレーのようだ。激しく怒られれば怒られるほど、その怒りが収まった時に、なんとも言えない開放感があるのだ。

怒られない日常こそが当たり前なのに、普通に接してくれるだけで、ご褒美と感じてしまうほどに、毎日怒られ文句を言われまくってた。

俺は、その人の借金全て背負い、生活費のお金も出してた人間なのに、この扱いだ。

結局は、俺が出したお金は無かったものとなり、自分の生活費すら困るような状態となったのだが、その人はそんな状態の俺を救おうと、逆に俺の為にお金を出してくれる状態となった。

俺が出したお金は無いものとするのに、俺がその人から出してもらったお金はキッチリと俺の借金として、記録をしていた。

その結果、それを俺の弱みとして、その人はさらに俺にキツく当たるようになり、俺をさらに奴隷のように扱うようになってしまった。

こんな扱いを受けてたのに、俺はその人から離れる事を躊躇するのだ。

「俺がいなくなったら、この人はどうなるんだろう?」

まず、頭に浮かぶのは、この人の生活の心配だった。

しかし、こんな生活が長く続くわけはなく、最後は両親に救い出された。両親はその人に、俺が借りたとされる数百万にもなるお金を支払ってくれた。

俺は、

「この人は本当はお金じゃなくて、俺を奴隷のように扱いたいだけだ。このお金では俺から離れようとしないのではないか?」

そんな自惚れとも自信とも取れる考えでいたが、結果的には、お金を受け取ったら簡単に俺から離れた。

 
本当にアッサリと。


 
俺はやっと、夢にまで見た、自分のためだけに生きれる人生を取り戻せた。

この先の人生は間違いなく、この人といるよりは幸せになるはずだ。もう毎日怒られることもなく、命令されることもなく、自分の生活のため、自分のためだけの人生が、再び、また始まる!


そう思って、その人と離れて、もう3年が過ぎた。


俺は前より幸せになったかな?


人に怒られる毎日は無くなったけど、人と話さない毎日となり、人に命令されない毎日となったけど、誰にも必要とされない毎日となった。


自分のためだけに生きる人生は、決して幸せではなかった。

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