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将来は小さい家に暮らしたい、という憧れ②

こんにちは。
適応障害の疑いで休職し、転職活動をした結果無事再就職することができた40代のお話です。

今日は家のことについての、私の考えを記します。

前回までのお話はこちら。
こんな価値観もあるんだな、と知っていただければと思います。


負の遺産・子供への負担

私が持ち家に対して感じている印象の一つは次世代への負担です。
私が住む町にも空き家は多くあるのですが、多くはお子さんが離れて独立しており、ご両親が亡くなられて空き家になっているパターンがあります。
今住んでいる裏手の家も空き家で、時々帰ってきては遺品の整理を行なっているところなのだそうです。(自分だったら遺品はそのままでいいので安く借りたいと思ってしまいますが…。)
帰ってこられる場所ならいいのですが、家によってはお子さんが遠く離れた場所に住んでいたりして、ほとんど手付かずのまま放置されている、なんていうケースも珍しくはありません。

いずれ相続した際に売りやすい土地に建てているなら素晴らしいと思うのですが、なかなか自分の手持ち資金では難しいものがあります。かと言って安い所に建てても結局買い手がつかず…なんてことにもなりかねません。
未来はわからないですが、そうそう土地や上物の価値が上がる、なんていうケースはないでしょう。

それに少子高齢化が目に見えていて、これから家あまりの時代が来るのは明白なのに、空き家が資産になる、という考え方を鵜呑みにするのは危ういような気がします。

動ける、という選択肢を持つ

借家がいいところは何かトラブルがあれば比較的気軽に手放せる、という点だと思っています。

私は子どもの頃いじめ…というか嫌われ役というか…まぁ、疎外感を常に感じながら過ごしていました。実家は自営業だったため、学校に行かない日も時々ありましたが、もしあの頃引っ越すことができていたら…どんな人生を歩めただろうかと思うことがあります。

また、子どもが逆にいじめる側になることもあり得ます。
私の経験から、もし子どもが加害者になった際で、かつ反省の色が見られないのであれば私たち家族こそが引っ越すつもりでいます。

他にも、ご近所トラブル(今の所裏の家の犬がうるさい程度ですが。)があるかもしれませんし、自然災害の可能性もあります。

なんにせよ、予期せぬトラブルを抱えてしまった時に動ける選択肢を持っている方が私の価値観には合っているのではないかと思います。

ミニマムな暮らし、手の届く範囲の暮らし

20代の頃自転車で日本を旅をしたり、バックパックひとつで野宿をしながら四国を一周した経験のあと、ゲストハウスで働く機会を得ることができました。屋根と壁、布団があって安心して眠ることができることがいかに恵まれていることか。ありがたいことか。
最近はちょっとその感覚も薄れてきてしまってはいますが、多くを望まなくとも幸せはすぐそこにあることを知ることができました。

「美しい星はいつもそこにあるのに太陽という大きな明るさの中ではその美しさを見ることはできない。」

日々目の前に溢れているはずの小さな幸せに気付けるかどうか、それだけでも人生の満足度は変わるように思います。

余計なものを求めすぎず、小さく暮らすことができれば環境負荷も減らすことができるはず。支出も減るのでがむしゃらに働きすぎなくてもいいし、今回の私のように適応障害という診断がなされても、およそ半年間、細々でも暮らしを維持することができました。

物を持つには大きな家が必要です。
物に頼りすぎない暮らしができれば、大きな家を持つ必要はなく、小さな幸せに気付ける感覚があれば家という物にも幸せを担保させなくてもよくなるのでは無いかと思います。

次回も長くなりそうなので今回はここまで。
引き続きお楽しみください。


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