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元ダメ力士が健康マニアになった話

自己紹介


初めまして、筆者の野村と申します。


少し長いのですが自己紹介させてください!

読んで頂くと多少は身体作りや健康作りの参考になるかと思います、多少はですが、。

是非ともお付き合いください。


僕が身体作り、特に健康作りに関して学びだしたのは今から20年程前からになります。

僕は15歳で中学を出たあと、すぐに相撲部屋に入門して23歳になるまで7年と少し在籍させて頂きました。

昔から武道を習い、陸上競技などでそれなりに結果を出していましたので、細いけど一般的に身体は強い方でした。

しかし、当時の相撲部屋は80kgもない僕からしたら、それはそれは厳しくて、毎日強く大きくなる為に殆どの時間を使っていました。

稀勢の里の存在と無力感


当時、部屋の2年下の後輩には、ありがたい事に後に横綱になる稀勢の里がいました。

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メキメキ強く大きくなっていく彼を見ていると、焦りと嫉妬が生まれ、それがさらに焦りを産む、というダメダメなサイクルに知らず知らず陥ってしまいました。


自分は身体が大きくならないし番付も上がらないしと考えながら、しばらくして焦りや嫉妬が薄れていく時に、せめて自分に何かないかと手を付けたのがウエイトトレーニングとスポーツ栄養学でした。

こう書くと、それで良くなったような話なのか?となりますが、、、、、、実際は大失敗でした。


食べても考えても調べて実践しても、身体が大きくならないのは、激しい稽古の刺激と食べている量のバランスが単に悪いだけでした。

必要なのは、毎日前の日よりハードに稽古をして、それを回復させるだけ食べて休む。

つまりは相撲界でずっと前からやっている事そのものでした。

ウエイトトレーニングで負荷をかけて、サプリなどを駆使して身体を作る、という考え自体がハードな稽古から逃げている、という事に気付いたのは大怪我をして再起不能になった後でした。

20年前の身体作り


当時は今より身体に対する情報を集めるのは大変で、ボディビルの雑誌やパワーリフティングの本などをベースにトレーニングに励みました。

細かくプロテインや糖質などを摂ったり、パワーリフティングやウエイトリフティング競技をベースに全身を鍛える、といったベーシックなものです。


相撲稽古のベースもありましたので、ありがたい事に扱えるウエイトはメキメキ上がり、スクワットとかは300kgに届きそうになってました。


ただ、ボディビルやパワーリフティングの競技特性と相撲とは相性が悪く、ますます太りにくい【相撲】に必要なパワーの無い身体が出来てきました。

食べて稽古をする程、体脂肪率が下がっていきましたが、なんとか7年かけて130kg近くまで体重を増やしました。

これは大怪我をして入院した後で発覚した事なのですが、130kgくらいになった時には膝以外ほぼ全ての関節、また様々な内臓が痛んでいました。

大体の相撲取りは、そのくらいの怪我は当たり前になのですが、あげると

●首と腰に重度のヘルニア

●腰痛にすべり症

●手指の脱臼が多数

●両肘に変形性関節症

さらには

●膵臓や腎臓の機能低下

など散々な状態だったようです。


そして、ある日の取組で残った右膝が全損してしまいました。

長いリハビリ生活と将来の不安


膝や肘の再建手術やリハビリ重ねて、日常生活を送れる位になるまでは半年以上はかかり、長い入院で色々な事を、沢山考えました。

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僕の父は日本人形の職人だったのですが、

脳内出血で右半身が麻痺して人形を作る事が出来なくなった事もあり収入もなく、家族の皆が生活ギリギリのような状態だったのもあり、「身体が動かなくなる、出来る事が出来なくなる」という部分に対し、当時の僕はもの凄い恐怖を持っていました。

つまり、当時の悩み事や考え事の主な部分は、

相撲の事でなく「自分は健常な状態に戻れるのだろうか?」が殆どを占めており、それに気づいた為に現役を諦める事にしました。


負荷を減らす為に体重は3カ月で50kg程落ち、80kgくらいになりましたが、筋力も落ちまして、不安定な感じ、痛みなどが残り、まだまだ治ったとは言えないような状態で、常に不安や恐怖を感じ、精神的にも落ちていました。

その時に初めて、正しい身体作りを考え直そう、と思いました。


稽古やトレーニング内容やケアの方法は自分で考え、セルフの範囲を超えたら鍼灸整骨院や病院にいく、といった一般的には普通の流れでいたつもりでしたが、不十分だった訳で身体をダメにしたのですから、

何をしたら良かったのかな?

どうしたら怪我をせずに健常でいられたのかな?

のような感じから当時はスタートしました。

引退、再スタート


身体が不自由だったのもあり、まずは学問を基礎からやり直そうと3カ月かけて高認試験(旧大検)を取りまして、身体が治るまでは飲食業界で働きました。

飲食の勉強は奥が深く、文化的なところから栄養学、心理学、なんなら分子分子ガストロノミーという化学的なところまで修める人もいたりで、相撲しかしていなかった僕はのめり込みました。

3年かけてゴリゴリの板場から、管理栄養士さんや製造業の方と一緒に企画をするような会社まで様々な現場で学ばせて頂きましたが、何か物足りなさを感じて、途中からスポーツ栄養学の勉強もスタートしました。


やり始めるとどの分野も深く、専門的に学びたくなったので飲食業界から一旦離れ、スポーツ専門学校に入りながら働き始めました。


学校を出てから、ジムで少し働きましたが、今のようにパーソナルトレーニングが一般的では無かった時代であまり勉強になるような現場は少なかったのもあり、2年程勤務した後、直ぐにプロスポーツのチームでトレーナーを開始しました。

プロの現場は非常に理論や周りの専門家との連携など勉強になりましたが、どうせなら一競技より沢山のスポーツを学びたくなり、大学のスポーツ選手を沢山見れるトレーニングセンターで勉強を始めました。

また、自分も選手でいたいと思いボディビル競技を始めました。


スポーツ現場で勉強していると、アスリハやスポーツ医学、またよりハイレベルなスポーツ栄養学にも興味が出まして、そのような専門家と一緒に仕事を始めました。

今は有難いことに、そのような専門家の方々と共に治療院とトレーニング施設を運営し、鍼灸師の奥さんももらい、日々沢山の勉強や経験を積ませて頂いています。


相撲→怪我人→板前→専門学生→パーソナルトレーナー→スポーツトレーナー→大学の職員→治療院

みたいなのを13年程続けていて感じた事は、

「一つの業種や学問で解決する事は無い」となりました。


例えば、

今の仕事の関係で、レストランの助言を頼まれた事があるのですが内容が、

オーナーは身体作りの出来る飲食店を作りたかった為、管理栄養士、スポーツトレーナー、ボディビルダー、板前、などを集めて企画会議をしたところ、同じ「身体作り」というテーマでも、それぞれの意見が全く違い、揉めに揉めた、との事でした。

専門家はそれぞれ国家試験やライセンスを持っていますが、「周知=コンセンサス」の部分がそれぞれの協会などでも全然違い、日本ではお互いを尊重しない事が非常に多いです。

アメリカの強いスポーツチームなどは、

選手、監督、コーチ陣、強くするトレーナー、調整するトレーナー、スキルを与えるトレーナー、医療班などが、同じ周知をもち、誰に聞いても同じ答えが返ってくる位の体制を整えていたりします、まさにワンチーム。

それが、このレストランの場合、管理栄養士は管理栄養学的に正しい企画をしますが、それはアスリートやボディビルダーが求める身体作りには当てはまらない場合が多く、板前さんは栄養に偏重して美味しくならない仕事はあまりしたくない。

要は、全員が専門家ですが未熟であり、顧客のニーズに合わせられなかった、という事です。


結構のところ、「自分の健康や目標」に周知を作る事は不可能です。

なぜなら、自分自身でどうなりたいかがわかっていない人が殆どで、何かの専門家も所属する協会などが定めた「健康基準」みたいな物に合わせて指導しますから、出来上がったものは「自分の健康や目標」ではなくなっているという事になるからです。

当然これでは上手くいくはずがありません。

経営とかにも通じるような内容なのかもですが、

「自分の身体は、範囲を広げて自ら学び、出来ない範囲は専門家を使うが、あくまで自分で整える」

これが正解だと思います。

この当たり前な事に気づくまでに、だいぶ時間をかけてしまいましたが、遠回りしたおかげで、様々な専門家と触れ合い、学ぶことができました。  それにより運動理論、栄養、東洋医学などなど健康に関して異常に執着するマニアが出来上がりました。

おかげで、日常生活が困難で、軽度のうつであった自分が今では何も不安のない身体になれたと思います。

👇健康とはまた違いますが体脂肪もすっかり落ちて動けるようになった筆者

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当社の記事は、僕が健康的に身体を作るために必要だと思う分野を紹介していくような内容になります。


全部見る必要はありませんが、自分に必要かな?と思ったら覗いてみてください。

怪我をしたり、病気にかかる人が1人でも減れば幸いです。


長い文にお付き合いいただきありがとうございました。



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