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【似非エッセイ】ブラウン(茶)

「騙されたと思って聴いてみな」。そう言って、級友Oに1枚のCDを手渡されたのは大学1年の夏前頃だったと記憶している。
 誰もが知っている、世界中で愛され、人気を二分している奴らである。だからこそ、それまで頑なに拒み続けてきたのだ。

 協調性はあった、と思う。思春期特有の、反抗的態度がイカスぜ!なんていう感覚もなかった。景色にじっとりと潜み、目ん玉キョロキョロ舌ちょろちょろの、カメレオンのような生態だった。

 生来の天の邪鬼。だが、(自分で言うのもなんだが)ひねくれたり拗ねたりということでもない。けれども「みんなが良いって言うから同調する」ことはどうしてもできなかった。同化しているフリをして、洞穴に逃げ込んでいた。

 自分だけの世界は果てしなかった。「おもしろいもの」は、誰の助けを借りることもなく、次から次へと目の前に現れる。誰か、ではなく、あくまでも自分ひとり、自分主体、自分だけの空間。ミニカーやウルトラマンのソフトビニール怪獣を集め、部屋に籠って“ごっこ”を延々としていたような子どもは、やっぱり大きくなっても変わらない。「三つ子の魂百まで」とはよく言ったものである。

 高校で嗜んだ少林寺拳法では白帯のまま過ごした。昇級・昇段試験を受けるために技を覚えるのが面倒だった、というのがその理由。でも、新宿在住、ヤ○ザの群れに突っ込んでいって大立ち回りを演じ、ボコボコに蹴り倒したものの自らも入院してしまうような伝説の男・丹沢先生に通用するはずもない。普段は優しいが、部活では鬼のように怖い“ミニ丹沢”の諸先輩方にも。
 物覚えが悪いフリを装って(いや、実際に覚えも悪かったのだが)試験の誘いをのらりくらりと免れた。「自分はボクシングを学びたいから、少林寺をしに来たわけではない」という言い逃れをしたこともあった。これは、新入生勧誘期間の小林先輩(当時の主将)の言葉を逆手に取ったもの。「ボクシング部はないけれど、少林寺拳法部でボクシング、できるよ」。勧誘に苦戦していた小林さんは、苦肉の策でそんな適当なことを言っていた。それに引っかかったほうも引っかかったほうなのだが。

 そんなこんなでゆらゆらと、水中に踊る海藻のように。「めんどくせー奴だな」と思ったのだろう、いつしか本当に泳がされるようになった。
 とはいえ、少しマシな、前向きな理由を考えた。「白帯のやつが強かったらカッコいいでしょ」、これで決まりだった。

 乱取りに力を注いだ。みんなが当然のように抱いていた「茶帯、黒帯になりたい」という気持ちは欠片もなかった。今ならば、それが努力の証だと理解できるのだが、当時の自我は強烈だった。「帯の色が変わったからって強さの証明にはならない。あくまでも形だ」と突っ走った。他人の目はほんの少しも気にならなかった。

 成人式。着物やら袴、スーツなど、競い合うようにして大人になったことを主張し合う大群を、黒い革ジャン(といってもライダースジャケットでなく、シックなもの)、ブラックジーンズの小男がかき分けて進む。それで目立ちたいなどという安易な抵抗ではなく、たんに袴やスーツを着るのが面倒なだけだったのだ。

 文化会館の最後列に座り、式典にしっかり参加した。ゲストとして登場したクラシック楽団の演奏を堪能した。同級生や、市内各地から集まった成人の大半は、屋外でおしゃべりに熱中していたが、姿勢を正し、耳を澄ませていた革ジャン野郎はこのとき、人は見かけによらないのだぞ、と、自らをもって悟ったのだった。

 偏屈で頑固な長年のこだわりが、クールなOの手によってあっさりと瓦解した。「聴いてボロクソに言ってやろう」と、微かな抵抗の思いもあった。けれども、コンポの小さなスピーカーから流れ出たギターリフが、脳に中毒症状を起こさせた。

「How come you taste so good」

 中学、高校時代は洋楽、特にハードロックを好んでいたが、もちろん歌詞の意味などわからずに体で聴いてきた。その姿勢は基本的に今も変わらない。だから当然、この曲の意味もかなり後になって知った。

「Brown Sugar」とは砂糖のことでなく、俗語でヘロインのこと。そしてこの曲は奴隷、性奴隷を歌っていると曲解されて近年バッシングに遭い、昨年2021年のツアーセットリストから外された。長年、ツアーでは必ず組み込まれてきた欠かせない曲だけに、驚きを隠せない。と同時に、とうとうここまで来てしまったのか、と世界的に差別に対する歪んだ眼差しが充満していることを嘆かわしく思う。

「いったいどこに問題があるのか。この歌が奴隷制度の恐ろしさを歌ったものだと理解できないのだろうか」。キース・リチャーズはそう言って頭を抱えたという。

 けれども、この曲との出会いが、ひとりの人間性を変え、人生を豊かに変えた。芸術の魅力であり、魔力、それを実現した1曲である。

 コーヒー党である。ホットは断然ブラックだ。そうして茶色い粉に熱湯を注ぐ。湯気とともに沸き立つ香りは、自分にとっての「ブラウン・シュガー」だ。古びた教室の片隅で、アンディ・ウォーホールの絵を受け取った瞬間がまざまざと甦る。

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