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書店にて<2022年11月14日>

 所用のため、久しぶりに街(この場合、駅周辺を意味する)に繰り出す。そこまでの道程には大きな坂がふたつばかりある(さすがかつての城下町)のだが、競歩並みに行けば10分(若い頃の記録)、ゆったり歩けば20分といったところ。
 暑い時期は当然汗でビシャビシャ。その後、電車に乗ると冷房が効いているから風邪をひく可能性大。だからバスを利用するようにしているのだが、この季節は歩いてちょうどよい。しかも、時間に追われているわけでもないからのんべんだらりと。いつも見慣れている景色をぼんやりと見つめながらゆるやかに歩く。春の短い期間、梅の花が咲き誇る一帯は、枯れ木枯れ葉と化しているが、それもまた風情があるというものだ……なんて、何だか本当におじいちゃんになってしまったような気分に浸る。

 駅には三省堂書店とビル階上に有隣堂とふたつの本屋がある。ここに立ち寄るのが慣例。新刊や書店の“推し”をチェックし、文庫棚にへばりつく。
 最下段はしゃがまなければ見えない。自然、スクワットすることになる。と、立ち眩んだように頭と体がぐらんぐらん。「あれ、ヤバいな。貧血か」なんて一瞬思ったが、裏の通路から「いま、揺れたよね」って若者同士がボソボソ。そうか、地震だったのかと、絶妙なタイミングだったことに感心がいった。

 いわゆる「街の本屋さん」がひとつ、またひとつと消える。そんなニュースを近年は幾度となく聞かされてきた。そして、現存する書店を眺めても、“逆風”を感じる。かつては嬉々としてスポーツ雑誌コーナーに立ちはだかったものだが、切ない思いばかりが去来する。
 休刊になるかなり前から、とうに『ボクシング・マガジン』は姿を消しており、そればかりかどこもかなりスペース縮小傾向にある。つまり、スポーツ全般の雑誌が減った、もしくは入荷されないということだ。

 けれども、書店に足を踏み入れる人の数が少ないかというと、決してそんなことはない。世代関係なく、いや、高校生、大学生など若い人たちの姿をよく見かける。実際、電車内で文庫を読む姿がまた増えてきたように思う。さすがに大きな雑誌をこれ見よがしに広げて読んでいる人は目にしないが、ファッション誌や総合誌コーナーが以前として花盛りなことを思えば、決して「紙がダメ」だというわけではないのだと痛感する。
 要は「おもしろいこと」「やりたいこと」をやれているかどうか、だ。

 昔お世話になっていた雑誌の生存を確認するのも嬉しい。『ロードショー』『スクリーン』は残念ながら姿を消してしまったが、老舗の『キネマ旬報』があるのは納得として、『BURRN!』まで!
 紆余曲折あったようだが、体裁もコンテンツもパッと見は変わらない。いずれにしても“一貫して流れるもの”があり、変わらない、決して変えないものがあるのだろう。

 写真は映画の原作本。昔から、映画を観て原作を読むという“癖”がある。作者が表したかったことを感じ、より映画を理解したいという想いが強いのだが、ストーリー展開の相違を楽しみたいという面もある。実際、監督が小説も書いていて、まったく異なる展開になることも往々にしてある。
『騙し絵の牙』(𠮷田大八監督、脚本、塩田武士原作)は映画、原作と、まったく異なる道を行く。出版業界の内幕が克明に描かれているおもしろさが原作にはあり、テンポ良く、ラストに流れ込んでいく鮮やかさが映画にはある。雑誌編集者・松岡茉優と、町の小さな書店主の父・塚本晋也のエピソードは大好きだ。“復活”“再生”のくだりは、ある意味、われわれの夢である。

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