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棚の本:方法序説

フランス生まれの哲学者、デカルト(1596~1650)の『方法序説』。
あの名言「われ思う。ゆえにわれあり」※は、この本に載っています。

くまとら便り

『方法序説』は、1637年に著者名なしで出版されました(129頁の解説参照)。
デカルト41歳にして、初めて公刊された著作です。

 方法序説

岩波文庫版のカバーにも使われている表紙の画像だと、確かにデカルトの名前はありません。
表紙になんて書いてあるのかな、ということで。Googleと機械翻訳、日仏のウィキペディアのお世話になりました。
”DISCOURS DE LA METHODE” は「方法に関する言説」、"Pour bien conduire sa raison, & chercher la verité dans les sciences" は「副題 理性の正しい行いと諸科学における真理の探究のために」、と機械翻訳されました。
"PLUS" の後の "LA DIOPTRIQUE, LES METEORES ET LA GEOMETRIE" は、「屈折学、流星(学)そして幾何学」となりました。

そう、『方法序説』は「三つの科学論文集の短い序文」なんです(129頁の解説参照)。
序文が、今では独立した本になっているのです(文庫本が薄いはずです)。
哲学と科学は、元を辿れば同じもの、なんですよね。

しかし、なぜにまた、41歳初めての科学論文集を匿名出版したのでしょう。

『方法序説』の最終部である第6部に、その答えがありました。
出版の数年前にあったガリレオの宗教裁判です。

デカルトは、『論文(『 世界論』)を書きあげて、印刷業者の手に渡すために見直しを始めていた』ときに、『私が敬服する方々』が、『ある人によって少し前に発表された自然学の一意見を否認した』ことを知ったのです。
デカルトは『世界論』の出版は断念しますが、結局、慎重に別の形式にし、匿名で『方法序説』を発表したのでした。

『方法序説』は、ラテン語ではなく、フランス語で書かれました(女性や子どもにも理解されることを望んでいたのだそう。)。
第6部には、次のような記載があります。

またわたしが、自分の国のことばであるフランス語で書いて、わたしの先生たちのことばであるラテン語で書かないのも、自然〔生まれつき〕の理性だけをまったく純粋に働かせる人たちのほうが、古い書物だけしか信じない人たちよりも、いっそう正しくわたしの意見を判断してくれるだろうと期待するからである。

デカルト著・谷川多佳子訳『方法序説』(岩波文庫)


科学や知の力は、戦争や暴力とは違った形で、既存の権威や秩序を破壊し、全く新しい秩序を生み出す側面があります。
新しい知見について、デカルトが、古い秩序の信奉者に理解を求めようとするのではなく、一般の人びとの理解を得られる手段(フランス語)で発表したのは、とても合理的で現実的な選択に見えます。さすが、合理主義哲学の祖、近代哲学の父。

ガリレオの宗教裁判、科学と宗教の対立など、歴史のキーワードは知っていても、それが実際に、当時を生きた生身の人間であるデカルトに大きな影響を与えたこと、デカルトがなお、人の生まれ持つ理性を信じ、大胆かつ慎重に『方法序説』を発表したことは、本書を読まなければ知り得なかったことでした。

理性の家を建てる※※ための4つの規則(第2部)や、家の建て直しが終わるまでの当座の備えとしての道徳律(第3部)にも、学ぶところが多いのですが、道徳律を踏まえても、デカルトが結局自分の今やっている真理追究の仕事を続けていくのが良いと判断したところには、理性に導かれた人の運命と反骨心を感じます。ガリレオは当時、世界の秩序に断罪されたのですから。

薄いのに、とても深い本です。

※冒頭の名言は、第4部。デカルトが見出した懐疑論に対抗する確固な真理。懐疑論とどう関係するのかは、『方法序説』をお読みになっていただければ。ちなみに第5部は、魂(精神)と心臓の解剖の話でした。

※※『わたしの計画は…わたしだけのものである土地に建設することであり、それより先へ広がったことは一度もない』(第2部)とあり、新しい世界秩序を打ち建てる意図のないことを表明しています。本心はどうだったのだろう…


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