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傲慢と自戒

なかなか書きにくい件だが、書いてしまおう。

また朝の通勤電車内での話だが、左斜め前の席に30歳くらいのスーツ姿の男がいた。

当たりをキョロキョロをうかがう様子、眉をしかめた表情が明らかに不審である。

たぶん被害妄想の一歩手前の状態だろう。

多少、錯乱しているようだ。

ただし、非常に疲れているのか、基本的には寝ようとしている。

目をつぶってもたれかかる姿だけを見れば、疲れ切った普通のサラリーマンである。

しかし、人が乗ってきたり、人が移動したりしたとき、明らかに挙動がおかしい。

彼の場合はちょっと症状が強めで心配だが、働いていて錯乱する、うつになるということはよくあることだ。大抵は一線を越えず(※)、しばらくしたら落ち着くか、退職してすったもんだの末に自分なりの人生を見つける場合がほとんどである。

※固定化したいわゆる「病気」にはならないということ。



話は、彼のことでも、職場のメンタルヘルスのことでもない。

彼を見たときに、「こりゃやべえな」と思うと同時に、同情心が全く起こらなかったのである。

むしろ心は冷ややかだった。負け犬を見るような。


また、こんなこともあった。

新宿の京王百貨店の前を歩いていると、ある集団が街宣活動をしている。

たぶん労働運動系の団体だ。

2022年度に仕事が原因で精神疾患になった人は2,643人もいるんです!

通りすがりながら

(それは違う)

と心の中で冷ややかにつぶやいた。

その数字は「仕事が原因で精神疾患になったので労災保険で補償して欲しいと請求した人」の数である。このうち「仕事が原因」と認められて補償金の支給決定がなされたのは710人だ。

労災保険側はなるべく払いたくないので認定は絞り目のきらいはあるが、申請者の2,643人全員が「仕事が原因で精神疾患になった」訳ではない。

令和4年度「過労死等の労災補償状況」を公表します|厚生労働省 (mhlw.go.jp)

困った人を助ける側の「支援者」と呼ばれる人たちは、悪意はないケースがほとんどだが、よくこういうことをする。被害を大きく訴えようとするのだ。

しかし大きめの会社に勤めていれば分かることだが、心を病んで休職した同僚はとても多くいる。一人ひとりの顔やこれまでの言動を考えると、全員が「仕事が原因」とは思えない。

こういう訳で「また盛ってる」と冷笑しながら、通り過ぎたのだが、ちょっと目線が冷たくなりすぎたと反省した。

期せずして2つともメンタル系の例になってしまったが、最近、自分が勝手に「自分より下」と思っている人に対して、冷たくなっている気がする。

ここからが書き方が難しいのだが、書いてしまおう。


若い頃なら、同情したはずである。

どちらかといえば、理不尽に苦しむ人の助けになりたいと記者になった。

どちらかといえば、街宣していた人に考えは近かった。

ここでお前がこんな話を、というのは今回は措かせていただく。

今でもどちらかと言えば、そのスタンスで生きているつもりである。

しかし、最近少し冷ややかになっている

「自己責任もあるだろう。なるべくしてなったのでは?」

「すべての人を助けられない。一定程度の脱落が出るのは仕方がない」

「ある意味、弱肉強食は自然の摂理であり、福祉はそれを調整するもの」

と、心のどこかで思うようになっている。


ここからがさらに書き方が難しいのだが、考えていても仕方がない。

私は今、結構恵まれた環境にある。世間的にも評価の高めな会社に勤め、給与も高い。最低ランクといえども管理職であり、出入りの業者さんなどには礼を尽くされる。

また、副業もそこそこ上手く行っている。

危険である。

小さな世界の、低いレベルの話だが、危険と思った。

多少、冷酷になっているし、何より保守化している。

少し傲慢になっているかもしれない。


私の会社には人の好い善人が多いと思うが、エリート意識を持つ人は多い。弱い立場の人への視線は多少冷ややかだろう。正社員とそれ以外に、ものすごい格差がある。

会社の一部の人たちの、派遣さんや出入りの業者さんへの態度が気になっている(特にプロパー)。対等の人間ではなく、まるで部品でも見るような目線。また、清掃の人が掃除するのが当たり前に感じている普段の様子。

私はラッキーで入れた転職組だが、このような環境に感化されているかもしれない。

とはいっても、うちは中小企業で、一部上場の名門企業のプロパー社員になると、さらに驚くほど傲慢な人間がいる(いい人も多いけど)。

官僚や医師も同様だ。接してみると思ったよりいい人が多いのだけど、ものすごく傲慢な人間も多い。知能指数で人をはかるような。

環境からの影響は自分を変える。気をつけなければならない。


思えば、自分も苦しかったはずである。うつになりかけたこともあった。

ド田舎の大学出でコンプレックスもあったし、何よりろくに勉強もせずに繁華街で夜職バイトばかりしていて社会的な常識もなかったので、新卒のときはかなり苦しんだ。

小さな世界の低レベルな話だけれど、今の環境にいることができるのは自分の力よりも幸運のためである。人にもたくさん助けられた。

にもかかわらず、すべて己の力と言わんばかりの態度になるのはよくない。

傲慢になるのはお門違いである。


人間社会に格差をなくすことはできない、すべての人が満足するのは無理であるとは、大人になって分かった。

それに、何かできることはない。

やはり、最終的には自分の力で何とかするしかない。誰も助け上げてはくれない。

少し背中を押してくれたり、手を引っぱってくれるだけだ。

それにしても、目線は大事である。もう少し温かい目線を持つべきだ。

なぜ、こんなことを書いたかは分からないが、明らかに自己満足である。

自分の紙のノートにでも書いておけばよいのだけれど、自分への戒めとしてアップしたくなった。

ネットで検索したら「ネット乞食」という言葉に出くわしました。酷いこと言う人、いるなー。でも、歴史とたどれば、あらゆる「芸」は元々「乞食」と同根でした。サーカス、演芸、文芸、画芸しかりです。つまり、クリエイトとは……、あ、字数が! 皆様のお心付け……ください(笑) 活動のさらなる飛